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第8話 噂の中心に立つ彼女
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晩餐会の翌日、王都は早朝からざわめいていた。
昨日の王の裁定とリディア・フェルナンドの勇敢な行動は、一夜にして国中へ広まっていたのだ。
「フェルナンド令嬢が公爵家を訴えた」「第二王子が彼女を擁護した」「陛下がクロフォードを退席させた」――事実と憶測が入り混じり、噂は次々と形を変えて、街の隅々まで届いていた。
その中心にいたリディア本人は、朝の光の中でいつも通りの穏やかな顔をしていた。
「お嬢様、まるで何事もなかったようなお顔ですこと」
エリサが朝食の準備をしながら、半ば呆れたように言う。
「平気の顔をしていないと、みんなの不安まで背負うことになるでしょう?」
リディアは紅茶を口にしながら微笑んだ。
「けれど本音を言うと、少し疲れたの。心の奥が重い感じ」
「それは当然ですとも。あれだけの場で陛下に物申し、過去の名を正面から口にされたのですから」
リディアは小さく首を振った。
「私はただ真実を述べただけ。でも、社交界の人たちはその“動機”を勝手に美談にも醜聞にも仕立て上げるから厄介ね」
窓の外では春の鳥がさえずる。その穏やかさが、逆に胸のざわめきを際立たせた。
しばらくして、一通の封書が運ばれてきた。封蝋には王家の紋章。
「殿下……?」
封を開けると、整った筆跡で短い文が書かれていた。
“本日の午後、陛下があなたとの謁見を望まれています。同行いたします――オーウェン・ローゼンハイト。”
エリサが息を呑む。
「お嬢様、いよいよ……」
「ええ、わかっているわ。これは、昨日の件の正式な報告と、今後の立場を問う場。だけど、私はもう恐れません」
* * *
正午を過ぎたころ、リディアは王宮の謁見室に立っていた。
白大理石の柱が並び、窓から射す光が床に紋様を描く。
玉座には陛下、そしてその右にオーウェン、左には第一王子の姿も見える。
多くの重臣たちが列席する中で、リディアは凜と立ち、王に一礼した。
「フェルナンド令嬢。そなたの行動はすでに報告を受けておる」
「恐れ入ります。陛下のお耳を煩わせることとなり、申し訳ございません」
「余は不敬とは思っておらぬ。真実を恐れず語る者は少ない。……さて、その勇気に見合う責務を与えねばなるまい」
王の言葉に、重臣たちの間で小さなどよめきが起こる。
陛下は顎に手を添えながら、リディアを見つめた。
「フェルナンド家は代々忠義と誠実を重んじる家系。そなたも父に劣らぬ知略を備えておると聞く。
これより一年間、王立孤児院および社交会教育委員の監督官を任せる」
「監督官……に、でございますか?」
リディアは思わず問い返した。
「うむ。貴族子弟の教育方針を正す目だ。孤児と貴族、その二つの環を繋ぎ直すことができるのは、そなたのような者だけだと余は思う」
「陛下……光栄にございます。そのお役目、命に代えても果たしてみせます」
声を震わせながら頭を垂れると、王は満足そうに頷いた。
玉座を降りると、オーウェンが微笑んで囁いた。
「おめでとう。あなたの努力がようやく形になりましたね」
「まだ夢のようです。でも、責務を得たということは、それだけ見られる目も増えるということ」
「その視線を怖がる必要はありません。今やあなたは“再生の象徴”だ。王都中の人々が、あなたの一歩に希望を感じています」
「……“象徴”、ですか。そう呼ばれる日が来るなんて、少し複雑です」
「象徴とは“縛り”でもありますからね。けれど、私はあなたを人として見ています。象徴ではなく、あなたという一人の女性として」
リディアは思わず息をのんだ。
彼の穏やかな瞳を見返した瞬間、心に微かな揺らぎが生まれる。
たとえどれほど理性的であっても、この人の言葉だけは胸の奥に残ってしまう。
* * *
謁見の後、オーウェンの同行で王宮を出たリディアは、午後の庭園で貴族令嬢たちに囲まれた。
彼女たちは好奇心と畏怖を隠さず、まるで珍しい宝石を観察するような目でリディアを見た。
「まあ、フェルナンド令嬢。昨日はお見事でしたわ。陛下の前であのように堂々と発言なさるなんて」
「王子殿下と並んで座られる姿、本当に絵になっていましたわ」
「殿下はあなたの虜なのではなくて? 今や社交界の注目はすべてあなたに」
軽やかな声の中に嫉妬が混じっているのを、リディアは感じ取っていた。
「皆さまが仰るほど大したことではありません。私はただ、与えられた役目を果たしただけです」
「まあ、ご謙遜を。ですが、気をつけて。あなたが上れば上るほど、足を引こうとする人も増えますのよ」
その言葉にリディアは微笑んだ。
「お心遣いに感謝いたしますけれど、私はもう恐れません。人の陰口より、自分の信じる光を見ていたいの」
その静かで真っ直ぐな口調に、周囲は言葉を失い、やがて一歩退いた。
噂の中心に立つこと――それは危うい誇りと孤独を背負うことでもある。だが彼女は知っていた。逃げずに立てば、いつか噂の“形そのもの”を変えることができると。
* * *
夜、屋敷に戻ると、机の上にまた一通の手紙が届いていた。
封蝋は見慣れない紋章――だが、そこには確かに見覚えのある筆跡。
アルベルト・クロフォードからだった。
リディアはしばらく封を見つめ、やがてゆっくりと開けた。
“あの夜、君を失ったのは自業自得だ。何をしてもやり直せないことは理解している。
ただ一度だけ、君の口から聞きたい。――どうか、私を恨んでいてくれ。忘れないでいてくれ。それが消えたら、私はもう何者でもない。”
震える文字が、哀しみというより空虚さを伝えていた。
リディアは短い吐息とともに、便箋をそっと重ねて引き出しにしまった。
「……恨みも愛しさも、もう終わったわ。あなたが何者であろうと、私は私になるだけ」
彼女は窓辺へと歩き、外を見た。
遠く王宮の尖塔の先に、明かりがまだ灯っている。
そこにはおそらく、彼――オーウェンがいるのだろう。
「人の言葉に動かされるのではなく、自分の心で選ぶ。それが自由ね」
風に髪が揺れる。
まるで新しい章が始まる音がした。
噂の中心は、今や彼女自身の生き方そのものだった。
褒められても憎まれても、真実の姿で立ち続ける。
リディア・フェルナンド――その名が、再び王都に響きわたる日が始まった。
続く
昨日の王の裁定とリディア・フェルナンドの勇敢な行動は、一夜にして国中へ広まっていたのだ。
「フェルナンド令嬢が公爵家を訴えた」「第二王子が彼女を擁護した」「陛下がクロフォードを退席させた」――事実と憶測が入り混じり、噂は次々と形を変えて、街の隅々まで届いていた。
その中心にいたリディア本人は、朝の光の中でいつも通りの穏やかな顔をしていた。
「お嬢様、まるで何事もなかったようなお顔ですこと」
エリサが朝食の準備をしながら、半ば呆れたように言う。
「平気の顔をしていないと、みんなの不安まで背負うことになるでしょう?」
リディアは紅茶を口にしながら微笑んだ。
「けれど本音を言うと、少し疲れたの。心の奥が重い感じ」
「それは当然ですとも。あれだけの場で陛下に物申し、過去の名を正面から口にされたのですから」
リディアは小さく首を振った。
「私はただ真実を述べただけ。でも、社交界の人たちはその“動機”を勝手に美談にも醜聞にも仕立て上げるから厄介ね」
窓の外では春の鳥がさえずる。その穏やかさが、逆に胸のざわめきを際立たせた。
しばらくして、一通の封書が運ばれてきた。封蝋には王家の紋章。
「殿下……?」
封を開けると、整った筆跡で短い文が書かれていた。
“本日の午後、陛下があなたとの謁見を望まれています。同行いたします――オーウェン・ローゼンハイト。”
エリサが息を呑む。
「お嬢様、いよいよ……」
「ええ、わかっているわ。これは、昨日の件の正式な報告と、今後の立場を問う場。だけど、私はもう恐れません」
* * *
正午を過ぎたころ、リディアは王宮の謁見室に立っていた。
白大理石の柱が並び、窓から射す光が床に紋様を描く。
玉座には陛下、そしてその右にオーウェン、左には第一王子の姿も見える。
多くの重臣たちが列席する中で、リディアは凜と立ち、王に一礼した。
「フェルナンド令嬢。そなたの行動はすでに報告を受けておる」
「恐れ入ります。陛下のお耳を煩わせることとなり、申し訳ございません」
「余は不敬とは思っておらぬ。真実を恐れず語る者は少ない。……さて、その勇気に見合う責務を与えねばなるまい」
王の言葉に、重臣たちの間で小さなどよめきが起こる。
陛下は顎に手を添えながら、リディアを見つめた。
「フェルナンド家は代々忠義と誠実を重んじる家系。そなたも父に劣らぬ知略を備えておると聞く。
これより一年間、王立孤児院および社交会教育委員の監督官を任せる」
「監督官……に、でございますか?」
リディアは思わず問い返した。
「うむ。貴族子弟の教育方針を正す目だ。孤児と貴族、その二つの環を繋ぎ直すことができるのは、そなたのような者だけだと余は思う」
「陛下……光栄にございます。そのお役目、命に代えても果たしてみせます」
声を震わせながら頭を垂れると、王は満足そうに頷いた。
玉座を降りると、オーウェンが微笑んで囁いた。
「おめでとう。あなたの努力がようやく形になりましたね」
「まだ夢のようです。でも、責務を得たということは、それだけ見られる目も増えるということ」
「その視線を怖がる必要はありません。今やあなたは“再生の象徴”だ。王都中の人々が、あなたの一歩に希望を感じています」
「……“象徴”、ですか。そう呼ばれる日が来るなんて、少し複雑です」
「象徴とは“縛り”でもありますからね。けれど、私はあなたを人として見ています。象徴ではなく、あなたという一人の女性として」
リディアは思わず息をのんだ。
彼の穏やかな瞳を見返した瞬間、心に微かな揺らぎが生まれる。
たとえどれほど理性的であっても、この人の言葉だけは胸の奥に残ってしまう。
* * *
謁見の後、オーウェンの同行で王宮を出たリディアは、午後の庭園で貴族令嬢たちに囲まれた。
彼女たちは好奇心と畏怖を隠さず、まるで珍しい宝石を観察するような目でリディアを見た。
「まあ、フェルナンド令嬢。昨日はお見事でしたわ。陛下の前であのように堂々と発言なさるなんて」
「王子殿下と並んで座られる姿、本当に絵になっていましたわ」
「殿下はあなたの虜なのではなくて? 今や社交界の注目はすべてあなたに」
軽やかな声の中に嫉妬が混じっているのを、リディアは感じ取っていた。
「皆さまが仰るほど大したことではありません。私はただ、与えられた役目を果たしただけです」
「まあ、ご謙遜を。ですが、気をつけて。あなたが上れば上るほど、足を引こうとする人も増えますのよ」
その言葉にリディアは微笑んだ。
「お心遣いに感謝いたしますけれど、私はもう恐れません。人の陰口より、自分の信じる光を見ていたいの」
その静かで真っ直ぐな口調に、周囲は言葉を失い、やがて一歩退いた。
噂の中心に立つこと――それは危うい誇りと孤独を背負うことでもある。だが彼女は知っていた。逃げずに立てば、いつか噂の“形そのもの”を変えることができると。
* * *
夜、屋敷に戻ると、机の上にまた一通の手紙が届いていた。
封蝋は見慣れない紋章――だが、そこには確かに見覚えのある筆跡。
アルベルト・クロフォードからだった。
リディアはしばらく封を見つめ、やがてゆっくりと開けた。
“あの夜、君を失ったのは自業自得だ。何をしてもやり直せないことは理解している。
ただ一度だけ、君の口から聞きたい。――どうか、私を恨んでいてくれ。忘れないでいてくれ。それが消えたら、私はもう何者でもない。”
震える文字が、哀しみというより空虚さを伝えていた。
リディアは短い吐息とともに、便箋をそっと重ねて引き出しにしまった。
「……恨みも愛しさも、もう終わったわ。あなたが何者であろうと、私は私になるだけ」
彼女は窓辺へと歩き、外を見た。
遠く王宮の尖塔の先に、明かりがまだ灯っている。
そこにはおそらく、彼――オーウェンがいるのだろう。
「人の言葉に動かされるのではなく、自分の心で選ぶ。それが自由ね」
風に髪が揺れる。
まるで新しい章が始まる音がした。
噂の中心は、今や彼女自身の生き方そのものだった。
褒められても憎まれても、真実の姿で立ち続ける。
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続く
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