永遠に君を手放さないと誓った、あの日の僕へ――裏切られ令嬢の逆転婚約劇

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第9話 第二王子の差し伸べた手

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春の終わりを告げる風が王都を包んでいた。街路樹の花が白く散り、朝の光が黄金に揺れる。  
フェルナンド邸のバルコニーでは、リディアが新しい報告書に目を通していた。  
王立孤児院と貴族教育委員会の調整役という重責を受けてから、彼女の日々は静かに、しかし確実に忙しさを増している。  

机に並ぶのは、支援予算の帳票、子どもたちの学習記録、そして貴族領からの寄付の目録。  
誰かのために働くことが、こんなにも心を満たすものだったのか――ふと微笑む自分に気づく。  

「お嬢様。殿下がお見えです」  
執事が告げた声に、ペンを止める。想定外の訪問だった。  

王子、オーウェン・ローゼンハイト。  
彼がこの屋敷に来るのは、これで三度目。  
正式な視察の名目ではあるが、彼自身が好んで“偶然を装った訪問”をしていることを、屋敷の者たちは皆うすうす感じ取っていた。  

「通してちょうだい」  
慌てて姿勢を正したものの、心の奥で胸がわずかに高鳴る。  

オーウェンは爽やかな笑顔で現れた。  
「お忙しいところに押しかけてしまいました。仕事の様子を少し見せていただければと思いまして」  
「歓迎いたします。報告書は山ほどありますよ?」  
「ええ、あなたが眠る時間を削ってでも働いていると聞きましたから」  
「殿下、そういう風におっしゃると使用人たちが心配しますわ」  
オーウェンは笑みを深め、窓辺に立って外を見た。  

「王都の空は、今日も澄んでいますね。あなたがここで働くようになってから、不思議と空気が明るくなった気がする」  
「お褒めの言葉として受け取りますわ。けれど、私はまだ小さな一歩を踏み出しただけです」  
「その一歩が、誰かの希望になるのです」  

その言葉にリディアは少し目を伏せた。  
――あの晩餐会のあと、彼の言葉や仕草が心の奥で静かに響くようになっていた。  
それは恋と呼ぶにはまだ遠いもの、けれど温かく確かな力。  
誰かに救われるのではなく、誰かと共に歩むという感覚。  

* * *  

二人は庭に出た。  
春の風に揺れる花々の香りが漂う。  
オーウェンが少し離れた場所で立ち止まり、ふいに振り返った。  

「あなたに頼みたいことがあるのです」  
リディアが首をかしげると、彼は慎重に言葉を選んだ。  
「クロフォード公爵家の件です。調査の結果、彼らの資産の一部が不正に回されていたことが確認されました。だが完全な解決には至っていません」  
「確かに、関係者の多くが沈黙していますものね」  
「ええ。王家の威光だけでは出てこない真実も多い。あなたには、あの家を直接知る者として、協力をお願いしたい」  

一瞬、リディアの表情が固まった。  
あの名を聞くだけで、かつての痛みが微かに疼く。  
けれど怯えではなく、冷静に思考する力が今はある。  

「殿下。彼らの罪を暴くだけなら、私でなくてもよいでしょう」  
「いいえ。あなたにしかできない。あなたは彼らの“過去”を見て、なお前を向いた人だ。真に改革を語れるのは、被害を経験した者だけなのです」  

オーウェンの真摯な声に、リディアは息を呑んだ。  
その光のような瞳が、彼女の心の奥の迷いを照らし出す。  

「……殿下。もしその件に関わることが、フェルナンド家や父に負担を与えるとしても、私は進むべきでしょうか?」  
「あなたの父上は、あなたの勇気に誇りを抱いておられる。問題はないでしょう。それでも迷うなら――私が全責任を取りましょう」  
「殿下が?」  
「ええ。あなたが再び人々の嘲りに晒されることがあっても、私はあなたの傍に立ちます」  

その言葉は、まっすぐに彼女の胸に届いた。  
視線が交わる。  
そこに政治や策略の影はない。ただ人としての真摯さがあった。  

「殿下、それは……あまりに重いお言葉です」  
「王族としてではなく、一人の人間として言っているつもりです」  

リディアは何かを言いかけたが、言葉が見つからなかった。  
その代わりに、静かに頷く。  
「わかりました。……私にできる限りのことをいたしましょう」  

オーウェンの表情がやわらぐ。  
「ありがとう、リディア。あなたにそう呼ばせる日が来るなんて、嬉しいですね」  
「私も……です。あの夜会の日、殿下は“背を守る”と仰いました。覚えていらっしゃいますか?」  
「ええ、もちろん。あれは本心です」  
「ではその言葉、信じさせていただきますわ」  

オーウェンが笑い、風が二人の間を吹き抜けた。  

* * *  

数日後、リディアとオーウェンは連名で提出書類を王宮監査局に届けた。  
クロフォード家の財務操作に関する報告だ。  
数字だけでなく、教育費として流用された銀貨の出所までも明確に示したその書類に、監査官たちは驚嘆した。  

「殿下、まるで我々の仕事を代わりにしてくださったようだ」  
オーウェンは軽く笑い、「有能な協力者がいたもので」と応じた。  
その横でリディアは静かに一礼した。  

帰り際、王宮の長い廊下に陽が差していた。  
遠くで鐘の音が響き、昼下がりの静けさが広がる。  
オーウェンが立ち止まり、リディアを振り返った。  

「あなたは本当に変わりましたね」  
「そう……でしょうか」  
「ええ。初めて会った時は、まだ少し震えていた。けれど今のあなたには、誰も逆らえないほどの強さがある」  
リディアは苦笑しながら首を振った。  
「ただ、逃げることをやめただけです。怖れを抱えながらでも、立ち止まりたくない」  
「それが勇気です。……私はそれに惹かれます」  

その言葉に、リディアの胸が一瞬だけ高鳴った。  
空気が柔らかく変わる。  
けれど彼女は微笑むだけで、答えを返さなかった。  

「殿下、まだまだやることが山積みです。惹かれる云々は、もう少し国が平和になってからなさってください」  
「いつか、そのときが来たら答えてくれるのですか?」  
「約束は嫌いですわ。果たせなくなるかもしれませんもの」  
「では、信じるしかありませんね」  

二人の間で笑い声が交わる。  
しかしその笑いの奥に、それぞれの想いが静かに芽生えていた。  

* * *  

夜、フェルナンド邸のバルコニーに一人立ったリディアは、昼の出来事を思い返していた。  
彼の言葉、真っ直ぐな瞳。  
同情でも庇護でもない、“信頼”という名の温もり。  

「第二王子の差し伸べた手、か……」  
彼女は呟き、空を仰いだ。  
夜空は穏やかで、星々は変わらずそこにあった。  

「でも今度は、私の方からも手を伸ばさなくては。――一歩ずつでいい」  

風がそっと彼女の髪をなでた。  
彼の笑顔が、遠い星明かりのように胸に灯る。  

そして決意だけが残る。  
かつて愛を失った彼女が、今度は自らの意志で未来を掴もうとしている。  

続く
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