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第18話 計略の果てに見えた心
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王宮を離れたリディアは、馬車の中で窓を見つめていた。
夕陽が傾き、赤く染まる王都の屋根を照らしている。
その光の中に、複雑な想いが揺らめいていた。
真実を知った今でも、リディアの心は不思議と冷静だった。
怒りもあったはずなのに、胸に残るのは痛みよりも深い安堵だった。
裏切りの理由――それが「政治的な命令」であったとしても、ようやく“終わらない問い”に答えが出たからだ。
だが同時に、別の違和感が胸を刺す。
グレゴールがすべてを告白したのは、単なる真実の開示ではない。
あの男の言葉には、何かを仕掛ける意図があった。
「――オーウェンを守るために、彼はあえて私を揺さぶった?」
呟く声は風に消えた。
彼女が立ち止まることを望んでいるのか。
あるいは、オーウェンを引かせたいのか。
どちらにせよ、第一王子の動きが王家全体に波紋を広げつつあるのは確かだった。
* * *
邸に戻ると、エリサが心配そうに出迎えた。
「お嬢様、殿下のお顔がずいぶんつらそうでした。何かあったのですか?」
「ええ……真実を知っただけです」
「真実……?」
リディアは苦笑した。
「裏切りの理由です。私があの夜、捨てられたのは王家の取り引きのせいでした。殿下の兄上、グレゴール第一王子の命令だったのです」
エリサは息を詰めたが、黙ってリディアの手を握った。
「お嬢様、それをお聞きになっても、まだ第二王子殿下のことを……」
「はい。嫌いにはなれません」
それは自然な答えだった。
怒りも悲しみも、長い時間をかけて滲み出してしまった後に残る“澄んだ場所”がある。
そこには、ただ静かな想いだけが残るのだ。
「私は、殿下に関わる覚悟を決めています。けれど……」
リディアは視線を落とした。
「グレゴール殿下が何を考えているのか、それを知る必要があります。」
エリサは一瞬ためらったが、頷いた。
「お嬢様……まさか、王宮に戻るおつもりですか?」
「ええ。正面から」
* * *
三日後、王都では“次期教育会議”が開かれることになっていた。
主題は、貴族と庶民の教育制度の統一案――それはリディアが何年も前から提唱していた案だった。
だが、先日の真実が明るみに出た今、この会議は王家内の権力闘争への布石でもあった。
第一王子グレゴールが提案を握りつぶすか、第二王子オーウェンが支持を取り付けるか。
それは兄弟間での見えない戦いだった。
そして、そのどちらにも“リディア”という名が不可欠だった。
会議当日。
王立学館の大講堂に、貴族たちが列をなしていた。
王族の席の下、壇上には教育局の顧問としてリディアが立っている。
白いドレスに淡い青を差し、いつもより簡素な出で立ち。それがかえって彼女の存在を際立たせていた。
ざわめきが収まり、先に立ったのはグレゴールだった。
「――この新制度案は、理想に満ちてはいるが、現実的とは言い難い。」
彼の声は落ち着いていたが、明らかな拒絶が含まれていた。
「学びの平等など美辞麗句にすぎん。貴族社会の秩序は血統によって成り立っている。もしそれを崩せば、この国は瓦解するだろう」
会場の一部が賛同の拍手を送る。
リディアはそのすべての視線を正面から受け、口を開いた。
「殿下。……秩序とは、“恐れ”を土台に築かれるものなのでしょうか」
グレゴールの目が一瞬わずかに細められた。
「恐れ、だと?」
「ええ。身分の差、家の力、血筋――それらが人を縛る。けれど恐れは、理解よりも早く腐るものです。
もし、知ることのできる場を奪えば、人はずっと恐れ続けるしかなくなる。」
会場の空気が変わった。
リディアの声は凛として、しかし刺すような冷静さを持っていた。
「私は一度、身分という名の恐れに潰されました。だからこそ、子どもたちには“選べる力”を持ってほしいのです。」
しばしの沈黙。
だが、その瞬間、議場の扉が開いた。
オーウェンが姿を現した。
会場にどよめきが走る。
「弟よ、ここは私と君の領分ではないはずだ」
グレゴールが眉をひそめた。
オーウェンは正面から歩み寄り、壇上の彼女の隣に立つ。
「いいえ。彼女の提案はこの国に必要です。兄上がどんな威光を持とうとも、民の声を黙らせることはできない」
二人の間に火花が散った。
観衆は息を呑んで見守る。
リディアは二人を見つめながら、深く息を吸った。
「殿下方、もし私という存在がこの議論の“焦点”になるのなら、どうぞお好きにお使いなさい。けれど――」
声が震えずに出た。
「私の理想は、権力の印ではありません。誰の影にも立たず、誰にも与えられぬ光でありたいのです」
その言葉に、オーウェンが彼女を見る。
目が合った瞬間、静かな微笑みを浮かべた。
それだけで、“何も変わらない”と信じさせる力があった。
* * *
会議が終わった後、王宮の廊下を歩くリディアの足を、背後から呼ぶ声が止めた。
「フェルナンド嬢」
振り向くと、そこにはグレゴールがいた。
「……見事だった。あの場であそこまで人を動かせる者はそういない」
「お褒めいただいても、それが殿下のお望みだとは思えませんわ」
グレゴールは微笑み、近づいた。
「君を傷つけたあの命令、今でも正しいとは思っていない。だが、あの時そうしなければ、王家は崩壊していた」
「――それでも、命令に従った結果、たった一人の人生を壊したことに違いはない」
グレゴールの目にわずかな痛みが走った。
「オーウェンは私とは違い“感情を信じる王”になるだろう。……君という存在が、それを作っている」
「それを妨げるおつもりですか?」
「さあな。王家のためならどんな手も選ぶ。それが私の役目だ」
そう言い残し、彼は去った。
リディアはしばらくその背を見つめ、ゆっくりと拳を握った。
「計略の果てで、何を見ているのですか……殿下」
* * *
夜、フェルナンド邸。
オーウェンが現れた。
窓から射す月光が、彼の影を柔らかく落とす。
「今日のあなたは、まるで私の光を奪うほどに強かった」
「強く見えただけです。怖くて仕方がなかった」
「怖いときほど、あなたは凛とする。そんなあなたを見ていると、自分も変わらなければと思う」
リディアは微笑んだ。
「殿下。私たちは同じですね。どちらも、誰かの影に怯えて生きてきた。でも今は違う」
「ええ。あなたと出会って、初めて自由が何かを知りました」
沈黙が優しく満ちる。
互いの手が触れた。
それだけで、すべてを語り尽くせる気がした。
――裏切りの理由なら、もういらない。
彼女が求めていたのは、真実ではなく寄り添う心そのものだった。
続く
夕陽が傾き、赤く染まる王都の屋根を照らしている。
その光の中に、複雑な想いが揺らめいていた。
真実を知った今でも、リディアの心は不思議と冷静だった。
怒りもあったはずなのに、胸に残るのは痛みよりも深い安堵だった。
裏切りの理由――それが「政治的な命令」であったとしても、ようやく“終わらない問い”に答えが出たからだ。
だが同時に、別の違和感が胸を刺す。
グレゴールがすべてを告白したのは、単なる真実の開示ではない。
あの男の言葉には、何かを仕掛ける意図があった。
「――オーウェンを守るために、彼はあえて私を揺さぶった?」
呟く声は風に消えた。
彼女が立ち止まることを望んでいるのか。
あるいは、オーウェンを引かせたいのか。
どちらにせよ、第一王子の動きが王家全体に波紋を広げつつあるのは確かだった。
* * *
邸に戻ると、エリサが心配そうに出迎えた。
「お嬢様、殿下のお顔がずいぶんつらそうでした。何かあったのですか?」
「ええ……真実を知っただけです」
「真実……?」
リディアは苦笑した。
「裏切りの理由です。私があの夜、捨てられたのは王家の取り引きのせいでした。殿下の兄上、グレゴール第一王子の命令だったのです」
エリサは息を詰めたが、黙ってリディアの手を握った。
「お嬢様、それをお聞きになっても、まだ第二王子殿下のことを……」
「はい。嫌いにはなれません」
それは自然な答えだった。
怒りも悲しみも、長い時間をかけて滲み出してしまった後に残る“澄んだ場所”がある。
そこには、ただ静かな想いだけが残るのだ。
「私は、殿下に関わる覚悟を決めています。けれど……」
リディアは視線を落とした。
「グレゴール殿下が何を考えているのか、それを知る必要があります。」
エリサは一瞬ためらったが、頷いた。
「お嬢様……まさか、王宮に戻るおつもりですか?」
「ええ。正面から」
* * *
三日後、王都では“次期教育会議”が開かれることになっていた。
主題は、貴族と庶民の教育制度の統一案――それはリディアが何年も前から提唱していた案だった。
だが、先日の真実が明るみに出た今、この会議は王家内の権力闘争への布石でもあった。
第一王子グレゴールが提案を握りつぶすか、第二王子オーウェンが支持を取り付けるか。
それは兄弟間での見えない戦いだった。
そして、そのどちらにも“リディア”という名が不可欠だった。
会議当日。
王立学館の大講堂に、貴族たちが列をなしていた。
王族の席の下、壇上には教育局の顧問としてリディアが立っている。
白いドレスに淡い青を差し、いつもより簡素な出で立ち。それがかえって彼女の存在を際立たせていた。
ざわめきが収まり、先に立ったのはグレゴールだった。
「――この新制度案は、理想に満ちてはいるが、現実的とは言い難い。」
彼の声は落ち着いていたが、明らかな拒絶が含まれていた。
「学びの平等など美辞麗句にすぎん。貴族社会の秩序は血統によって成り立っている。もしそれを崩せば、この国は瓦解するだろう」
会場の一部が賛同の拍手を送る。
リディアはそのすべての視線を正面から受け、口を開いた。
「殿下。……秩序とは、“恐れ”を土台に築かれるものなのでしょうか」
グレゴールの目が一瞬わずかに細められた。
「恐れ、だと?」
「ええ。身分の差、家の力、血筋――それらが人を縛る。けれど恐れは、理解よりも早く腐るものです。
もし、知ることのできる場を奪えば、人はずっと恐れ続けるしかなくなる。」
会場の空気が変わった。
リディアの声は凛として、しかし刺すような冷静さを持っていた。
「私は一度、身分という名の恐れに潰されました。だからこそ、子どもたちには“選べる力”を持ってほしいのです。」
しばしの沈黙。
だが、その瞬間、議場の扉が開いた。
オーウェンが姿を現した。
会場にどよめきが走る。
「弟よ、ここは私と君の領分ではないはずだ」
グレゴールが眉をひそめた。
オーウェンは正面から歩み寄り、壇上の彼女の隣に立つ。
「いいえ。彼女の提案はこの国に必要です。兄上がどんな威光を持とうとも、民の声を黙らせることはできない」
二人の間に火花が散った。
観衆は息を呑んで見守る。
リディアは二人を見つめながら、深く息を吸った。
「殿下方、もし私という存在がこの議論の“焦点”になるのなら、どうぞお好きにお使いなさい。けれど――」
声が震えずに出た。
「私の理想は、権力の印ではありません。誰の影にも立たず、誰にも与えられぬ光でありたいのです」
その言葉に、オーウェンが彼女を見る。
目が合った瞬間、静かな微笑みを浮かべた。
それだけで、“何も変わらない”と信じさせる力があった。
* * *
会議が終わった後、王宮の廊下を歩くリディアの足を、背後から呼ぶ声が止めた。
「フェルナンド嬢」
振り向くと、そこにはグレゴールがいた。
「……見事だった。あの場であそこまで人を動かせる者はそういない」
「お褒めいただいても、それが殿下のお望みだとは思えませんわ」
グレゴールは微笑み、近づいた。
「君を傷つけたあの命令、今でも正しいとは思っていない。だが、あの時そうしなければ、王家は崩壊していた」
「――それでも、命令に従った結果、たった一人の人生を壊したことに違いはない」
グレゴールの目にわずかな痛みが走った。
「オーウェンは私とは違い“感情を信じる王”になるだろう。……君という存在が、それを作っている」
「それを妨げるおつもりですか?」
「さあな。王家のためならどんな手も選ぶ。それが私の役目だ」
そう言い残し、彼は去った。
リディアはしばらくその背を見つめ、ゆっくりと拳を握った。
「計略の果てで、何を見ているのですか……殿下」
* * *
夜、フェルナンド邸。
オーウェンが現れた。
窓から射す月光が、彼の影を柔らかく落とす。
「今日のあなたは、まるで私の光を奪うほどに強かった」
「強く見えただけです。怖くて仕方がなかった」
「怖いときほど、あなたは凛とする。そんなあなたを見ていると、自分も変わらなければと思う」
リディアは微笑んだ。
「殿下。私たちは同じですね。どちらも、誰かの影に怯えて生きてきた。でも今は違う」
「ええ。あなたと出会って、初めて自由が何かを知りました」
沈黙が優しく満ちる。
互いの手が触れた。
それだけで、すべてを語り尽くせる気がした。
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続く
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