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初日(1)
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1.
彼は一つの台本を残した。
そして、死んだ。
手首を切っての自殺だった。
私が大学の演劇部に見学に行って、まず最初に教えられたのはその事だった。
みんな、どこかイライラしていた。
物語の内容は、一人の女の子が親の言いつけで白金駅に向かう電車の中から始まる。
そこで一人の学ランを着たレトロな少年に出くわす。
彼は白金駅のすぐ隣にある白山駅で降りるという。
少年は先に降りる。
何かを落として降りる。
少女はそれを届けようとそのまま追いかけて白山駅を降りる……──
「そっからがな、白紙なんだ、これがっ!」
部長が台本をパシッと机に叩きつけた。
「次の公演な、これでいこうと思ってたんだよ」
周りの空気が、急にぴりぴりと緊張し出す。
演劇部の人たちは、誰もが顔を背けるか俯くかしかしていなかった。
「しかし、まあ……台本読んでもあいつの世界観は今ひとつ分からねぇし、単なる戯曲的なパフォーマンス劇にしたかったのか、きちんと軸のあるストーリーものの舞台にしたかったのすら分からない」
「その辺、全部白山に託してたからね。全部」
部長さんの隣に座っていた眼鏡の先輩が苦笑いで応える。
だから続きも予想すらできないんだと、部長さんは言った。
「あのぅ」
私は遠慮がちに声を発した。
私と同じ、見学していた新入生のみんなが一斉に振り返った。
やめときなよ、と菜穂が止める。
けれど、私は止めなかった。
「その台本、ください」
突拍子もない一言──だと、後に菜穂に言われたけれど、とにかく、その時の私は全く空気が読めてなかったらしい。
だけど、絶筆になった台本に、私はただただ興味があっただけだった。
彼は、きっと何かを思っていたのだろう。
考えていたのだろう。
それを本に込めたかったのに、そっちじゃぁないと思ったから「死」を選んだのだろう。
だとしたら、その続きを、考えてみたい。
白山さんと、リンクしてみたいと思った。
「……お前、役者志望でこの部に?」
「いえ、どちらかと言えば裏方に」
「学科、どこだ?」
「文芸です」
部長さんは、あっさりと私に台本を渡してくれた。
味気のない、原稿用紙。
白山さんは、アナログな人なんだなぁ、と思った。
「ちょっと!」
ヒステリックな声が後ろの方でした。
とっても美人な黒髪の先輩が、険しい顔でこちらを睨んでいた。
「信也の事なんにも知らない新しい子に続き書かせようっての?!」
凄い剣幕の彼女とは正反対に、部長さんはゆっくり、落ち着いて返事をした。
「……そうだ」
「バカじゃない?! 頭おかしくなっちゃったんじゃないの?! だったら新しい本を書くか、既存の台本を使えばいいじゃないっ」
部長さんは、深く、息を吐き出した。
無精髭が、ちくちくと蠢く。
「再演はしたくない。新しい本を書くにも、うちの脚本家は白山しかいなかった。俺たちはな、あいつに全てを頼り過ぎていたんだよ」
「それで? 死んだ今でもすがろうっての?」
部長さんはしばらく動かなかった。
けれど、少しの沈黙の後「そうだ」と繰り返した。
「私、辞めるわ」
辞めてやる! 美人な先輩はそう喚いて、近くにあったイスをバッグでバコン、と倒して出て行ってしまった。
「……すがる、か」
部長さんは煙草を取り出して、しばらくぷかぷかしていた。
そうして、真っすぐに私を見る。
「名前は?」
「フミノです」
「いや、下の名前じゃなくて」
「いえ、名字です。文野蝶子と言います」
こりゃまたえらい文学的な名前だなぁ、と部長さんは笑った。
「で」
「はい」
「時間がない。五日、いや、厳しいか。三日。三日だ。明日から三日で、全て書き終えられるか? 時間的には90分ぐらいを設定したい」
「がんばります」
私は、原稿用紙をぎゅっと、抱きしめて応えた。
彼は一つの台本を残した。
そして、死んだ。
手首を切っての自殺だった。
私が大学の演劇部に見学に行って、まず最初に教えられたのはその事だった。
みんな、どこかイライラしていた。
物語の内容は、一人の女の子が親の言いつけで白金駅に向かう電車の中から始まる。
そこで一人の学ランを着たレトロな少年に出くわす。
彼は白金駅のすぐ隣にある白山駅で降りるという。
少年は先に降りる。
何かを落として降りる。
少女はそれを届けようとそのまま追いかけて白山駅を降りる……──
「そっからがな、白紙なんだ、これがっ!」
部長が台本をパシッと机に叩きつけた。
「次の公演な、これでいこうと思ってたんだよ」
周りの空気が、急にぴりぴりと緊張し出す。
演劇部の人たちは、誰もが顔を背けるか俯くかしかしていなかった。
「しかし、まあ……台本読んでもあいつの世界観は今ひとつ分からねぇし、単なる戯曲的なパフォーマンス劇にしたかったのか、きちんと軸のあるストーリーものの舞台にしたかったのすら分からない」
「その辺、全部白山に託してたからね。全部」
部長さんの隣に座っていた眼鏡の先輩が苦笑いで応える。
だから続きも予想すらできないんだと、部長さんは言った。
「あのぅ」
私は遠慮がちに声を発した。
私と同じ、見学していた新入生のみんなが一斉に振り返った。
やめときなよ、と菜穂が止める。
けれど、私は止めなかった。
「その台本、ください」
突拍子もない一言──だと、後に菜穂に言われたけれど、とにかく、その時の私は全く空気が読めてなかったらしい。
だけど、絶筆になった台本に、私はただただ興味があっただけだった。
彼は、きっと何かを思っていたのだろう。
考えていたのだろう。
それを本に込めたかったのに、そっちじゃぁないと思ったから「死」を選んだのだろう。
だとしたら、その続きを、考えてみたい。
白山さんと、リンクしてみたいと思った。
「……お前、役者志望でこの部に?」
「いえ、どちらかと言えば裏方に」
「学科、どこだ?」
「文芸です」
部長さんは、あっさりと私に台本を渡してくれた。
味気のない、原稿用紙。
白山さんは、アナログな人なんだなぁ、と思った。
「ちょっと!」
ヒステリックな声が後ろの方でした。
とっても美人な黒髪の先輩が、険しい顔でこちらを睨んでいた。
「信也の事なんにも知らない新しい子に続き書かせようっての?!」
凄い剣幕の彼女とは正反対に、部長さんはゆっくり、落ち着いて返事をした。
「……そうだ」
「バカじゃない?! 頭おかしくなっちゃったんじゃないの?! だったら新しい本を書くか、既存の台本を使えばいいじゃないっ」
部長さんは、深く、息を吐き出した。
無精髭が、ちくちくと蠢く。
「再演はしたくない。新しい本を書くにも、うちの脚本家は白山しかいなかった。俺たちはな、あいつに全てを頼り過ぎていたんだよ」
「それで? 死んだ今でもすがろうっての?」
部長さんはしばらく動かなかった。
けれど、少しの沈黙の後「そうだ」と繰り返した。
「私、辞めるわ」
辞めてやる! 美人な先輩はそう喚いて、近くにあったイスをバッグでバコン、と倒して出て行ってしまった。
「……すがる、か」
部長さんは煙草を取り出して、しばらくぷかぷかしていた。
そうして、真っすぐに私を見る。
「名前は?」
「フミノです」
「いや、下の名前じゃなくて」
「いえ、名字です。文野蝶子と言います」
こりゃまたえらい文学的な名前だなぁ、と部長さんは笑った。
「で」
「はい」
「時間がない。五日、いや、厳しいか。三日。三日だ。明日から三日で、全て書き終えられるか? 時間的には90分ぐらいを設定したい」
「がんばります」
私は、原稿用紙をぎゅっと、抱きしめて応えた。
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