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初日(3)
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3.
まずは、白山さんの事を知ろうと思った。
私は、菜穂が帰った後、もう一度稽古場に戻った。
紫色が、窓の外から広い大学全体を包んでいる。
稽古場には、部長さんの隣に座っていた眼鏡をかけた温和そうな先輩が、一人佇んでいた。
「あの……」
声をかけると、柔らかい笑みがこちらに向けられる。
先輩は「あぁ」と呟くと、慌てて部室の電気を点けた。
「まだ、いたんだ。何か忘れ物?」
「いえ、あの……白山さんが、昔に書いた台本とか、白山さんがどんな人だったかとか、聞いておきたくて」
ちょっとびっくりした顔の眼鏡の先輩は、「ちょっと待ってて」とすぐに稽古場の奥へと消えた。
数分の後、何冊かの台本と、スケッチブックを持って出てきた。
「本気なんだね」
「はい」
眼鏡の先輩は苦笑いをした。
いや、苦笑いというよりは……失笑に近かった。
「まさか金本が……あぁ、部長なんだけど、新入部員に絶筆の台本をたくすなんて思わなかったよ」
「やっぱり、みんなビックリしてましたか?」
先輩は、一瞬きょとん、とした後に、吹き出した。
「してたしてた! そらもう、あの場所にいた全員がビックリっていうか……もうビックリどころじゃなかったね!」
しばらく大笑いした後、先輩は微笑んで「君、ホントに変わってるよ」なんて、言った。
とりあえず、褒め言葉として受け取っておこうと思う。
「あの、先輩は……──」
「伊藤だよ。伊藤啓介。一応副部長。よろしく」
私は伊藤先輩と握手した。
「そういえば……せっかくの新入部員が顔見せにやってきてくれたのに、金本の奴、いきなり白山の話から入っちゃったから……ちゃんとした自己紹介とかもなかったね」
面目ない。
伊藤先輩は苦笑いを浮かべた。
失笑にしろ、苦笑いにしろ、とにかく伊藤先輩は微笑む人なのだなぁ、と思った。
きっと、困った時ほど、ついつい笑ってしまう性格なのかもしれない。
「文野さん、これ、あいつが書いた台本。公演を録画したビデオテープもあったはずなんだけど……今ちょっと見当たらなくて、ひとまず、これで。明日にはビデオも発掘しとくよ」
私は、台本を受け取ってから、スケッチブックに手を伸ばした。
スケッチブックには、いろんなニュースや雑誌の記事、他の劇団のDM、写真、本のページを破いたもの──なんかがスクラップしてあった。
「これ……」
「白山ブック。て、みんなには呼ばれてた。あいつ、少しでもアンテナに引っかかった事はスクラップしてたみたい」
「すごい」
開けども開けども……そこにはいろんな切り抜きが貼ってあった。
ところどころ、走り書きなんかを添えて。
「あれも、なかなかに変わった奴だったなぁ」
伊藤先輩は、窓の外を眺めながら……懐かしそうに呟いた。
「いろんな事に興味を持つ奴だった。俺らには分からない、受信量が半端ないアンテナを持っていたんだな」
それはそれで、しんどかったんじゃないかなぁ……などと思ったけれど、口にはしなかった。
「あいつにしてみれば、日常自体が『実験』だったんじゃないかな、と思うんだ」
「実験?」
「そう。だから、自殺ももしかしたら『実験』の一つだったんじゃないかな、なんて」
「でも、死んじゃったらなんにもならないじゃないですか」
「うん。だから、多分だけど……本当に死ぬつもりはなかったのかも。それでさ、『死ぬってこういう事だったんだなぁ。なるほどなぁ』なんて、言いながら、病院のベッドで感心するつもりだったのかもしれないって」
伊藤先輩は、ちょっとだけ、顔を上げた。
まるで、涙を堪える為の仕草みたいに見えた。
「そうでも思わないと、僕らの喪失感は、拭えないよ」
私は、スケッチブックをぎゅっと抱きしめた。
──喪失感。
この稽古場に充満していたのは、それだったのだ。
誰もがイライラして、ぴりぴり緊張して……それは、迫る公演と共に、未だに理由の分からない「大切だった人」の「死」に対して、心の整理ができていないせいだったのかもしれない。
そう思うと……抱きしめた白山ブックは、ずしりと重く感じた。
まずは、白山さんの事を知ろうと思った。
私は、菜穂が帰った後、もう一度稽古場に戻った。
紫色が、窓の外から広い大学全体を包んでいる。
稽古場には、部長さんの隣に座っていた眼鏡をかけた温和そうな先輩が、一人佇んでいた。
「あの……」
声をかけると、柔らかい笑みがこちらに向けられる。
先輩は「あぁ」と呟くと、慌てて部室の電気を点けた。
「まだ、いたんだ。何か忘れ物?」
「いえ、あの……白山さんが、昔に書いた台本とか、白山さんがどんな人だったかとか、聞いておきたくて」
ちょっとびっくりした顔の眼鏡の先輩は、「ちょっと待ってて」とすぐに稽古場の奥へと消えた。
数分の後、何冊かの台本と、スケッチブックを持って出てきた。
「本気なんだね」
「はい」
眼鏡の先輩は苦笑いをした。
いや、苦笑いというよりは……失笑に近かった。
「まさか金本が……あぁ、部長なんだけど、新入部員に絶筆の台本をたくすなんて思わなかったよ」
「やっぱり、みんなビックリしてましたか?」
先輩は、一瞬きょとん、とした後に、吹き出した。
「してたしてた! そらもう、あの場所にいた全員がビックリっていうか……もうビックリどころじゃなかったね!」
しばらく大笑いした後、先輩は微笑んで「君、ホントに変わってるよ」なんて、言った。
とりあえず、褒め言葉として受け取っておこうと思う。
「あの、先輩は……──」
「伊藤だよ。伊藤啓介。一応副部長。よろしく」
私は伊藤先輩と握手した。
「そういえば……せっかくの新入部員が顔見せにやってきてくれたのに、金本の奴、いきなり白山の話から入っちゃったから……ちゃんとした自己紹介とかもなかったね」
面目ない。
伊藤先輩は苦笑いを浮かべた。
失笑にしろ、苦笑いにしろ、とにかく伊藤先輩は微笑む人なのだなぁ、と思った。
きっと、困った時ほど、ついつい笑ってしまう性格なのかもしれない。
「文野さん、これ、あいつが書いた台本。公演を録画したビデオテープもあったはずなんだけど……今ちょっと見当たらなくて、ひとまず、これで。明日にはビデオも発掘しとくよ」
私は、台本を受け取ってから、スケッチブックに手を伸ばした。
スケッチブックには、いろんなニュースや雑誌の記事、他の劇団のDM、写真、本のページを破いたもの──なんかがスクラップしてあった。
「これ……」
「白山ブック。て、みんなには呼ばれてた。あいつ、少しでもアンテナに引っかかった事はスクラップしてたみたい」
「すごい」
開けども開けども……そこにはいろんな切り抜きが貼ってあった。
ところどころ、走り書きなんかを添えて。
「あれも、なかなかに変わった奴だったなぁ」
伊藤先輩は、窓の外を眺めながら……懐かしそうに呟いた。
「いろんな事に興味を持つ奴だった。俺らには分からない、受信量が半端ないアンテナを持っていたんだな」
それはそれで、しんどかったんじゃないかなぁ……などと思ったけれど、口にはしなかった。
「あいつにしてみれば、日常自体が『実験』だったんじゃないかな、と思うんだ」
「実験?」
「そう。だから、自殺ももしかしたら『実験』の一つだったんじゃないかな、なんて」
「でも、死んじゃったらなんにもならないじゃないですか」
「うん。だから、多分だけど……本当に死ぬつもりはなかったのかも。それでさ、『死ぬってこういう事だったんだなぁ。なるほどなぁ』なんて、言いながら、病院のベッドで感心するつもりだったのかもしれないって」
伊藤先輩は、ちょっとだけ、顔を上げた。
まるで、涙を堪える為の仕草みたいに見えた。
「そうでも思わないと、僕らの喪失感は、拭えないよ」
私は、スケッチブックをぎゅっと抱きしめた。
──喪失感。
この稽古場に充満していたのは、それだったのだ。
誰もがイライラして、ぴりぴり緊張して……それは、迫る公演と共に、未だに理由の分からない「大切だった人」の「死」に対して、心の整理ができていないせいだったのかもしれない。
そう思うと……抱きしめた白山ブックは、ずしりと重く感じた。
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