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1章 家族になろう

プロローグ

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     32歳、独身、彼女なし、転勤で地元から東京に出て来て1年半、友達もいない。

 仕事は飲食業の調理場、仕事以外はずっと一人、話相手もいない。

 今日も夜の10時に仕事を終えてコンビニで夕御飯を買う、今日の献立はから揚げ弁当にサラダ、ソーセージの盛り合わせ。
 会社が借りてくれたアパートを通り過ぎ5分程歩けば自然豊かな大きな公園に着く。

 街灯の下のベンチに座り弁当を開けてしばらく待機すると、ほらやって来た。

 狸だ。

 まさか東京の公園に狸が出るなんて、初めて近寄って来たときは驚いた。
 何となくの思いつきで外で弁当を食べていた俺は驚きすぎて弁当をひっくり返して逃げたくらいだ。

 落ちた弁当を食べる狸を恨めしく見守る事から初めて、今ではこうして狸が来るのを待って弁当を分ける関係になった。

「ほら、今日はから揚げとソーセージな。」


 蓋に乗せた、から揚げ二個とソーセージ二本を地面に置けば狸は何の遠慮もなく食べ始める。

 俺のイメージの中の狸よりもワイルドでお世辞にも可愛いとは思えない筈なのになんだか癒されるんだよな。
 朝早くからカラスに餌をやってる気持ち悪い近所の爺さんとかもこんな気持ちだったのかも知れない。

 おっと、俺も食べないとな。
先に食べ終わった狸がベンチに跳び乗って来て俺を待つ様に横で待機する。
 
 俺は急いで弁当を掻き込んでカバンからタブレットを取り出すと画面に漫画を出した。
 どうもこの狸は漫画が好きらしい、俺がスマホで漫画を読んでいると覗き込んで来ていたのでタブレットを持ってくるようにした。

 一緒になって今週のジャンプを読んでいく。
 狸が頷くのを確認して次のページに、夢中になって画面に見入る姿が妙に愛らしく思えてくるから不思議なものだ。
 お前は字読めないだろ、なんて不粋な事は決して口にはしない。

 狸と過ごした日は暖かな気持ちで布団に入れる。
 癒しとはこういうものかと思う。

 仕事でストレスを抱え休みは一人で過ごす、唯一の癒しは狸、俺の東京生活はこんな感じだった。



ピンポン

 休みの日の夜、呼び鈴がなってビクリとする、携帯で時間を見れば10時を越えていた。
 当然だけど俺には部屋を訪ねて来るような知り合いはいない、NHKの受信料も払っているからそれでもない。
 出るべきか出ないでいいか迷っているともう一度鳴った、仕方なくベッドから身体を起こす。

 玄関で恐る恐る覗き穴を覗く。

 驚いた!
 驚いて二度見した!

 女の子だ!
 かわいい!
 中学生くらいか?
 かわいい女の子が俺の部屋を訪ねて来ている。

 頭が混乱した。それはもう頭が混乱した。

 罠?
 女の子が部屋に入って来て、後から怖いお兄さん達が、そんな展開がこの低級飲食社員を襲うのか⁉︎
 いや、もしかしたら怪しい男に追われていて匿ってくれ的な展開も。
 そもそも普通に今夜泊めてください的な展開、いや、これが一番ないな。

 でも、いや、泊める事になったて何もするつもりはないよ!
 健全なお泊りだ、でもそれだってトキメクだろ!

 ちょっともう一度見てみよう。
 うん、かわいい。
 間違いなくかわいい。
 開けよう。

 ドアを開けよう。


 夢じゃない、ドアを開けてもその子はいた。
 かわいい、生で見た方が凄いかわいい。

 身長は150前後かな、凄い華奢に見える。
 フリルのついた白いブラウスに赤いスカート、柔らかそうな髪の毛は短めで首の上の所でちょこんと縛ってある。

 俺はこの髪型が凄い好きだ!
 正直、可愛くない子がこれをやってても少しきゅんときてしまう。
 それをかわいい子がしてる、それはもう好きだ!
 それはもう好きだよ!

「あの、何の御用でしょうか?」

「先生、あたしをアシスタントにしてくださいなう!あたし漫画家になりたいんですなー!」

 真剣な表情でその子は言った。

 なるほど、話は分かった。
 
 夜中にかわいい女の子が漫画家になりたいと部屋を訪ねて来る。

 でもさ、俺は別に漫画家じゃない。
 俺は別に漫画家じゃないんだよ!



 開けたドアから入る夜の風は冷たかった。


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