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エピローグ
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朝は、あまり得意ではない。元々は夜更かしする癖があったからだが、今は仕事のせいだ。
昨日もほぼ徹夜。書類と格闘していたら、知らぬ間に明け方になっていた。この時間から無理に睡眠を取るよりは、何か腹に入れて体力を補充した方がマシだと判断し、事務所の下にある喫茶店に入った。
いつも通りのモーニングセットを注文し、女店長に揶揄われながら、ブラックコーヒーの苦さに眉を顰める。書類を眺めたり、角砂糖を積み上げたりしていると、毎度変わらぬ登校時間が来てしまう。行きたくないなー、なんて思いで机に突っ伏していると、女店長に店を追い出された。
「おはよう、所長!ちょっと待っててね!」
喫茶店から出ると、待ってましたとばかりに元気な声が降って来る。見上げなくても分かるが、アカネが事務所の窓を開けて手を振っているのだろう。
「朝っぱらから元気だね」
「もちろん!所長は元気じゃないの?」
「元気に見える?」
「もちろん!」
「……噛み合わないのは重々承知だけど、これ程一方的なのは珍しいね」
無理やり押し込んだコーヒーが、早速口元まで上がってくる。まだお呼びじゃないと胃の方へ押し戻したが、口の中には苦々しさが充満した。
「良いから、早くしてよ。遅刻する」
「はいは~い。10秒で準備する!」
ネジが吹っ飛んだテンションのアカネは、音量調整機能が壊れたスピーカーみたいな返事をする。10秒どころか5秒で階段を駆け下りてくると、俺の腕に抱き着いてきた。
ギチリと音を立てて首を曲げると、硝子のような瞳をこちらに向けた。
「おはよう、『アオ』。今日の宿題やった?」
「………」
アカネの呼び方が、『所長』から『アオ』に変わった。
アカネは事務所では俺を所長と呼び、学校ではアオと呼ぶ。アカネの中では夜の時間は俺が三代目オウドであり、昼間の時間は変わらずに黒鉄葵なのだ。
勿論この見解は俺の推測でしかなく、腕に絡み付く異形に俺がどう認識されているのかなんて、実際の所は分からない。現象的にこいつはアカネなのだと流さなければ、それだけで頭が死を迎えてしまうだろう。
いや、まあ……自業自得なのかな。
俺が滅多刺しにしたあの日以来、アカネはこれでもかという位壊れてしまった。言動に一貫性が無いというか、今まで以上にその場の反射だけで動いているように見える。
知性あるモノが見ればアカネは立派に人間なのだろうが、俺みたいな臆病者が見れば、影に塗り潰された人形以外の何物にも思えない。
――口にすることは決してないが、アカネを悪魔と呼んだ人は、彼女の根底を言い得ており、比類なき程にアカネを愛していたのだと思う。
「そういえば宿題忘れた。アカネ、やっといてよ」
「どうして私が、アオの宿題やらないといけないの!そもそも、宿題忘れちゃいけないんだよ」
「それは分かってるよ。でも、忘れるんだよ」
「変なの?」
「それが人間。分かるよね?」
「わ、分かるよ。そ、そうだよね」
「後、人間は登校中に腕は組まない」
「え~!でも、映画では組んでたよ」
「99%の奴は組んでなくて、組んでたのは主人公達だけだろ。アカネの学生生活って、主人公になるのが、目的じゃないでしょ?」
「う~………でも……う~ん……」
「いいから、離してよ」
「え~!」
恥ずかしいので腕を振りほどく。というか、これ以上くっついてると、腕に噛み付いてきそうで怖い。
後、朝から元気にしてくれて、どうするつもりなのか。ありがとう。
「あ!それとね!アオに、これあげる!」
「は?チョコレート?」
アカネは鞄から、ピンクの包みを取り出した。
「そう!本命チョコ!」
「昨日、これと同じものを大量に買い込んでたでしょ?本命じゃないよね?」
「私に恋をして欲しいんだって!『映画で言ってた』」
「へ~……」
今の言動は明らかにおかしかったが、深く考えたくはなかった。
「だから、アオにもあげる!」
あの日以来、俺は探偵事務所に連れ込まれ、所長をさせられている。アカネの認知は出鱈目なので整合を取るのは難しくないが、一つ間違うと鬼の様な形相で殺しにくるので困る。ついでに発情すると、食料的な意味で喰おうとしてくるので鬱陶しい。
ただ人間とは恐ろしいもので、こんな環境にも対応してしまう。自分の苗字を白崎から黒鉄に変えようとしたアカネを阻止できる位には、役割にも慣れてしまった。
それでも残念ながら、阻止できなかったモノがある。
「……」
立ち止まって事務所を振り返った。事務所には、アカネ自作のポップな看板が掛かっている。元々看板には白崎という文字が書かれていたが、今はそれを塗り潰して別の文字が躍っていた。
ああ、頭が痛い。
所長を愛し、初恋を順守して、焦がれるが故に食い殺そうとする悪魔。愛が深まれば食い殺されるだろうし、逆に愛が薄まれば喰い殺されるだろう。
黒髭危機一髪の様な日常は、日々剣を刺し続けなければ生きていけない。
いつまで続くか分からぬ非常の日常。それでも、終わりが来るまでは。俺は与えられた役割に媚びを売り、社会の一員として役割を口にするしかないのだろう。
『黒鉄探偵事務所へようこそ!』
と。
昨日もほぼ徹夜。書類と格闘していたら、知らぬ間に明け方になっていた。この時間から無理に睡眠を取るよりは、何か腹に入れて体力を補充した方がマシだと判断し、事務所の下にある喫茶店に入った。
いつも通りのモーニングセットを注文し、女店長に揶揄われながら、ブラックコーヒーの苦さに眉を顰める。書類を眺めたり、角砂糖を積み上げたりしていると、毎度変わらぬ登校時間が来てしまう。行きたくないなー、なんて思いで机に突っ伏していると、女店長に店を追い出された。
「おはよう、所長!ちょっと待っててね!」
喫茶店から出ると、待ってましたとばかりに元気な声が降って来る。見上げなくても分かるが、アカネが事務所の窓を開けて手を振っているのだろう。
「朝っぱらから元気だね」
「もちろん!所長は元気じゃないの?」
「元気に見える?」
「もちろん!」
「……噛み合わないのは重々承知だけど、これ程一方的なのは珍しいね」
無理やり押し込んだコーヒーが、早速口元まで上がってくる。まだお呼びじゃないと胃の方へ押し戻したが、口の中には苦々しさが充満した。
「良いから、早くしてよ。遅刻する」
「はいは~い。10秒で準備する!」
ネジが吹っ飛んだテンションのアカネは、音量調整機能が壊れたスピーカーみたいな返事をする。10秒どころか5秒で階段を駆け下りてくると、俺の腕に抱き着いてきた。
ギチリと音を立てて首を曲げると、硝子のような瞳をこちらに向けた。
「おはよう、『アオ』。今日の宿題やった?」
「………」
アカネの呼び方が、『所長』から『アオ』に変わった。
アカネは事務所では俺を所長と呼び、学校ではアオと呼ぶ。アカネの中では夜の時間は俺が三代目オウドであり、昼間の時間は変わらずに黒鉄葵なのだ。
勿論この見解は俺の推測でしかなく、腕に絡み付く異形に俺がどう認識されているのかなんて、実際の所は分からない。現象的にこいつはアカネなのだと流さなければ、それだけで頭が死を迎えてしまうだろう。
いや、まあ……自業自得なのかな。
俺が滅多刺しにしたあの日以来、アカネはこれでもかという位壊れてしまった。言動に一貫性が無いというか、今まで以上にその場の反射だけで動いているように見える。
知性あるモノが見ればアカネは立派に人間なのだろうが、俺みたいな臆病者が見れば、影に塗り潰された人形以外の何物にも思えない。
――口にすることは決してないが、アカネを悪魔と呼んだ人は、彼女の根底を言い得ており、比類なき程にアカネを愛していたのだと思う。
「そういえば宿題忘れた。アカネ、やっといてよ」
「どうして私が、アオの宿題やらないといけないの!そもそも、宿題忘れちゃいけないんだよ」
「それは分かってるよ。でも、忘れるんだよ」
「変なの?」
「それが人間。分かるよね?」
「わ、分かるよ。そ、そうだよね」
「後、人間は登校中に腕は組まない」
「え~!でも、映画では組んでたよ」
「99%の奴は組んでなくて、組んでたのは主人公達だけだろ。アカネの学生生活って、主人公になるのが、目的じゃないでしょ?」
「う~………でも……う~ん……」
「いいから、離してよ」
「え~!」
恥ずかしいので腕を振りほどく。というか、これ以上くっついてると、腕に噛み付いてきそうで怖い。
後、朝から元気にしてくれて、どうするつもりなのか。ありがとう。
「あ!それとね!アオに、これあげる!」
「は?チョコレート?」
アカネは鞄から、ピンクの包みを取り出した。
「そう!本命チョコ!」
「昨日、これと同じものを大量に買い込んでたでしょ?本命じゃないよね?」
「私に恋をして欲しいんだって!『映画で言ってた』」
「へ~……」
今の言動は明らかにおかしかったが、深く考えたくはなかった。
「だから、アオにもあげる!」
あの日以来、俺は探偵事務所に連れ込まれ、所長をさせられている。アカネの認知は出鱈目なので整合を取るのは難しくないが、一つ間違うと鬼の様な形相で殺しにくるので困る。ついでに発情すると、食料的な意味で喰おうとしてくるので鬱陶しい。
ただ人間とは恐ろしいもので、こんな環境にも対応してしまう。自分の苗字を白崎から黒鉄に変えようとしたアカネを阻止できる位には、役割にも慣れてしまった。
それでも残念ながら、阻止できなかったモノがある。
「……」
立ち止まって事務所を振り返った。事務所には、アカネ自作のポップな看板が掛かっている。元々看板には白崎という文字が書かれていたが、今はそれを塗り潰して別の文字が躍っていた。
ああ、頭が痛い。
所長を愛し、初恋を順守して、焦がれるが故に食い殺そうとする悪魔。愛が深まれば食い殺されるだろうし、逆に愛が薄まれば喰い殺されるだろう。
黒髭危機一髪の様な日常は、日々剣を刺し続けなければ生きていけない。
いつまで続くか分からぬ非常の日常。それでも、終わりが来るまでは。俺は与えられた役割に媚びを売り、社会の一員として役割を口にするしかないのだろう。
『黒鉄探偵事務所へようこそ!』
と。
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