惑星ラスタージアへ……

荒銀のじこ

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第一部 3章 それぞれの

第9話

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 突然の来客にぽかんと口を開けていたユリだったが、しばらくしてはっと我に返ると、椅子に座って同じように呆然としていたユースケの身体を揺さぶった。
「ちょっと、お礼言っておかなくて良かったの」
「いやまあ……実際にこのノートが役に立ってから礼を言うことにしようかな、ははっ」
「何その情けない言い分。もう、そんなんじゃ彼女さんとかも出来ないよ」
 その後もしばらくユリに叱られながら、ユースケはのんびりユミの渡してくれたノートに目を通してみた。結論、ユースケが今まで目にしたどのノートよりも見やすく、ぱっと見で黒板に板書されたであろう文章がどういう意味を示しているのかが分かり、抽象するとどういうところが大事なポイントとなっているのかが一目で理解できた。ユースケは心の中で、絶対にお礼を言おうと決意するも、それを口にしてユリにまたがやがやと言われるのも嫌だったので、黙ってそのノートにのめり込むように読み進め自分のノートを開いた。その様子を見たユリはほっとしたのと呆れたのとの両方の意味が込められたため息をついた。
 しばらくすると外から聞いたこともない、高い音でうねりを上げるような音が、学校のチャイムよりも大きく響いてきた。ユースケとユリの目が合い、互いに救急車というものがやって来たことを何となく察した。医者の説明にも、ユズハたちが見舞いに来たときにも揺るがなかったユリの瞳にわずかに不安の色が浮かび、波が立ったのをユースケは確かに見た。
「どんなことがあっても、お兄ちゃんがついてるからな。最後まで見てるからな」
 間もなくして、ユリを診てくれていた医者が看護師を連れてユリを迎えに来た。ユースケも一緒に着いていくと主張し、初めは医者も渋い顔をして首を縦に振らなかったが、ふと医者がユリの様子を見て、少し眉を上げたかと思うとユースケの同行を認めてくれた。ユースケの腕を掴んでいるユリの手に込められていた力が勇気づけられたように強くなった。
 ユリはやはり入院生活にていくらか体力を落としたそうで、少し歩いただけで足がふらつき始め、咳も辛そうにこもっていた。ユースケは祈るような思いでユリの身体を支えた。外に待っていた救急車は白い箱の形をしており、四つのタイヤを介して着地していたが、そのタイヤはユースケの自転車のそれとは分厚さも形も全然違っていた。ユースケとユリは医者たちに見守られるようにして、その救急車に乗り込んだ。
 救急車の中は広く、壁一面にごちゃごちゃしたものが展開されており、その空間の中央にはユリのためのベッドが用意されていた。ユリがそのベッドに再び横になり、ユースケがその傍らに座ると、それを確認した看護師が前方に声を掛けた。すると、ずんと重い音が下から響いてきて、わずかばかり、自転車を走らせているときに石か何かを踏んで弾んだときの浮遊感に似た感覚がした。ユースケは途端に尻がむずがゆくなった。外で確かにしていた商店街の賑やかな雰囲気も感じられなくなり、外の様子が気になったユースケだったが、ベッドの上で少しだけ顔を白くさせているユリに気がついてユリの手を握って懸命に見守った。
 外がどうなっているかも知らず、ユースケがユリのことを見守り続け、やがて顔色が戻って来たかと思うぐらいに、再びずんという重い音が下から響いて、そのときだけ救急車全体に振動が伝わってきた。
「ユリさんはこのままベッドに横になったまま運びますので、先にユースケさんが降りてください」
 同行していた看護師にそう言われ、ユースケはどこから出れば良いものかと首を回していると、ちょうどユリが足を向けている先の壁がドアのように開いた。看護師に改めて目で促されて、ユースケもおどおどしながら降りて行くとそこは確かにどこかの建物の屋上のようだった。自分は確かに病院を出た先の地上でこの救急車に乗ったはずだとユースケはキツネにつままれたような思いで辺りを見渡すが、やはりどう見ても地上ではなく、随分近いところに空が広がっていた。ユースケは改めて救急車というものが不思議に感じられ、じっくり目に焼き付けようとしたのだが、後から降りてきた看護師や医者に鬱陶しそうに押しやられてしまった。
 建物の中に入ると、先ほどまでユースケたちがいた病院のような雰囲気でありながら、明らかに規模が大きく、厳粛で格調高い雰囲気を感じさせた。ユースケはすっかりその雰囲気に呑まれ委縮しており、ユリの顔にも緊張が走っていた。
 医者に従って廊下を歩いて、ユースケは今までに受けたこともない衝撃を受けた。廊下には患者と思しき人が歩いていたのだが、その者たちの中には、ユリと同じように点滴と繋がって歩いている者はもちろん、首を曲げたまま口を半開きにし目は虚ろなまま看護師に連れられるようにして歩いている者、足や腕のない者、動く椅子に座ったまま押してもらって移動している者など、地元にいたときには決して見かけなかったような様々な患者を見かけた。それが制服であるかのように患者たちは一様に青白い服を纏っており、ユースケは申し訳なく思いながらも少しだけ気分が悪くなった。
 医者に連れられたのは、内装はいくらか綺麗なものの、それでも以前とあまり変わらない広さの病室だった。その病室に、ユリがベッドに横になった状態のまま、ベッドと一緒に入っていく。医者から母親には連絡してくれるということと、今後の予定について軽く説明を受け、しばらく自由時間となって、ユースケはベッドの傍らの椅子に座って、ふと窓の外を眺めてみた。そこでユースケは、もう一度驚いた。窓の外は、以前ユースケが自転車で旅したときに通り過ぎた、賑やかな街並みが広がっていたのだ。
「なあユリ、この街、俺この間来たとこなんだぜ」
 ユースケは街に来たときのことを思い出しながら、こと細やかにユリに話して聞かせた。帰って来たばかりの頃にも同じような話をしたような気もするが、ユリはどの話にも、本当に初めて聞いたかのように反応し、表情をころころと変えて感情を露わにした。話しているうちにユースケも興が乗ってきて、ユリも聞いているうちに堅かった表情を和らげていった。そうして時間はあっという間に過ぎていき、ユースケの話した街に夕陽が差し込むようになり、ユリのベッドの上にあるユースケの影が伸びた。それまでじっと話を聞いていたユリが、再び表情を堅くしてユースケを、目を細めて見つめてきた。ユースケも、何か言いたいことがあるのかと思い話を止めるが、ユリは一向に話そうとはせず、ただユースケのことを見つめているだけだった。
 それから手術の日になるまで、ユリは時折そのようにユースケのことを見つめることが多かった。ユースケの話にはいつも通りに反応し、喜怒哀楽を示すが、ふとユースケがトイレや、念願叶い(?)病院が出してくれる食事のために席を立って戻ってくるときには、必ず窓の外をじっと眺めており、それからユースケの方を振り返る。ユリから話しかけることも減っていき、ユースケ以外に誰も見舞いに訪れない病室は嫌でも静かになった。
 いよいよ手術当日の朝を迎え、ユリが再びユースケのことをじっと、色の変わらない瞳で見つめていた。ユースケも妹相手に恥ずかしいような気になってきてあたふたさせるが、ふいにユリが話しかけた。
「ねえお兄ちゃん。やっぱり、ちょっと怖いや」
 その静かで、かすかに震えた告白は雫となって、ユースケの心に波紋を起こした。ユースケはこの二日間の自分の愚かさを呪う気持ちと、どこかで安心したような気持ちとが混ざった、そしてお互いのためにユリの頭を撫でた。ユリも無防備にユースケに頭を撫でられていた。
「俺の妹だから絶対大丈夫だ。何にも怖いことなんてねえ」
 ユリはしばらくユースケに頭を撫でさせていたかと思うと、いつものようにその手をどけて、憎ったらしそうな笑みを浮かべて涙を一筋流した。その涙は頬を伝い、布団の上に円い染みを作った。ユースケはそのユリの笑顔を見て、もう大丈夫だと確信した。
 手術は、昼過ぎになって行われることとなっていた。ユリはその日だけ何も食べずに、点滴から栄養を貰うだけの時間を過ごした。ユースケも何だか悪い気がして、ユリが見ていないにもかかわらず病院に断って食事を受け取らなかった。その日に限って大した会話もなかったが、その時間はとても優しく、互いを想い合う気持ちで病室は満たされ、それだけで十分だった。
 やがて、先日の病院のときとは違って、厳つい顔をした医者と看護師がやって来た。ユリを再びベッドごと動かして、廊下を歩いていく。その間、ユースケはユリの手を握り続けた。そして、手術室の前に辿り着いて、ユースケが離れなければならないというタイミングで、ユリがユースケを手招きした。ユースケが顔を近づけると、ユリがぼそぼそっと囁いた。それを聞いて、ユースケははにかみ、もう一度乱暴にユリの頭を撫でてやった。ユリももう一度、眩しいほどの笑顔を見せてから、手術室へと連れて行かれた。
 ユースケは扉の前にあるベンチに腰掛けた。診察室が近いのか、他にも座っている人がいたが、ユースケは他の人など目に入らない勢いで、ひたすら手を合わせて心の中で祈っていた。医者の説明で手術は問題ないのだと分かっていたが、それでもユースケは、何かもっと大きなことのために祈るべきであるような気がして、ひたすらに祈り続けた。ユリの手術が終わるまでの数時間、昼過ぎから始まりすっかり暗くなって睡魔が襲ってくる時間になっても、ユースケはユリの手術室の前で、ぎゅっときつく閉じた瞼の裏にユリとの未来像を描きながら、ひたすら何かのために愚直に手を組んで扉が開かれるのを待ち続けていた。
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