名神累人のとある日常

桜部ヤスキ

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1年生編

俺達の青春舞台

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 8月某日。
 全国吹奏楽コンクール高校部門県予選当日。
 ついにやってきた。やってきてしまった。
 朝から緊張であまり飯が喉を通らない。バトミントンの県予選初出場の時もこれくらいガチガチになってたっけ。何事も初めてというのは緊張するものだな。
「じゃあそろそろステージ袖に移動しまーす。忘れ物ないようにー」
 学校がある地区より隣の町にある文化ホール、その控室。
 部長の指示に従い各自楽器やチューナー、楽譜などを持って移動を始める。地下のため光源は蛍光灯のみで、年季の入った通路や階段を眩しく照らす。窓がないってこんなに圧迫感があるのか。
 現在、本番開始15分前。
 前の団体がステージに出て、俺達は袖に待機。その間前の団体の演奏を真横で聞くことになり、おかげでより緊張感が高められる。しかも全国大会常連校の生演奏。くじで決まった順番とはいえ、何でよりによってプロ集団の次なんだ。こっち滅茶苦茶かすむだろ。
 加えて俺達の出番は今日のプログラムの最後。しかも2日ある高校部門のうち本日最終日のため、演奏後すぐさま表彰式が行われる。トリを飾るとはこのことか。
 というように、強豪校と結果発表に挟まれた初コンクールという奇跡的な条件の重なり合いのもと迎えた今この時である。いやぁもう何と言うか。

「ふざけんなよほんと…………」

 ステージ袖に来た瞬間から胃痛が半端ない。穴でもあいてるんじゃないのか。
 あと何分待てばいい。もう早く終わらせて、この激痛から解放されたい。
「うわ、すごいな。今やってる自由曲ってかなり難易度高い曲じゃなかったっけ」
「そう、なの…………」
「な、名神君大丈夫?かなり辛そうな顔してるけど」
「大、丈夫…………本番には、弱い、タイプだから……」
「大丈夫な要素が全くないけどそれ」
 同パートのメンバーからかなり心配されている。そんなにひどい顔してるのか。
「なっくん緊張してるの?そういう時はあれやったらいいよ、人の字書いて飲むやつ。私もよくやる」
「美浪先輩は、それで効果あったんですか」
「んー、あんまないかな。あれって要は他のことに集中して気を紛らわせるってことじゃないの」
「そう、なんですか……」
「まぁここまで来たらあとは全力でやるしかないよ。あれこれ考えたって意味ない。それに全国レベルの演奏間近で聞ける絶好のチャンスだよ。あほら、ちょうどラストの盛り上がりのとこだよ」
 俺は吹奏楽曲には全く詳しくないのだが、どうやら世界的に有名な歌劇で用いられる曲のようだ。このメロディは確かにどこかで聞いたことがあるような気がする。何かのCMだろうか。
 ちなみに俺達が演奏する自由曲も、有名なミュージカル映画の作中で流れる曲らしい。タイトルを聞いても全然ピンと来なかったが。
 それにしても何と言うか、音楽の表現の仕方もよく分からないのだが、これを圧倒的と言うのだろうか。なんか、意味もなく泣きそうになる。胃痛のせいではなく。
 曲が終わり盛大な拍手が聞こえてきた。いよいよ俺達の出番だ。
「よし、行くよ」
 先輩の言葉に頷きを返し、照明の落とされた薄暗いステージへ踏み出す。さっきまでの轟音が嘘のように静まり返っていて、靴が床板を打つ音だけが響く。
 トロンボーンを手に椅子に座り、譜面台に楽譜を置いて、深呼吸。
 落ち着け。変に力むな。先輩が言ってただろ。ここまで来たら、あとは全力でやるだけだ。
 上のスポットライトがつき、ステージが照らされる。
 ああだめだ。客席は見るな。大勢に見られてるって分かったら余計緊張する。指揮者だけを見ろ。譜面は覚えただろ。一点に視点を固定させればいい。他には一切目を向けるな。
 指揮者が手を振り、全員で音出し。
 チューナーに目をやると、若干ピッチが高い。そういえばステージ上は照明の熱でピッチ上がるから気を付けてって先輩に言われたな。少し管抜いとくか。
 アナウンスが入り、学校や曲の紹介がされる。いよいよだ。ここからが、勝負の12分間。
 指揮者が手を上げ、一斉に楽器を構える。
 大丈夫だ。さっきまでの胃痛はもう消えた。これまで積み重ねてきたものを、ここで全部出し切れ。
 息を目一杯吸い込み、指揮者が手を振り下ろすと同時に吐き出した。



「累人君お疲れー!すごかったよ演奏!」
 演奏終了後、カメラマンによる記念撮影という目的のよく分からないイベントで建物内の広場に出たところへ佐々蔵と伊志森が飛んできた。
「ありがと。やっぱり来てたのか2人共」
「当たり前だよ。親友の勇姿をその場で見届けないなんて選択肢は存在しないね」
「2週間くらい前からずっとこの話題で騒いでたからな。今朝なんか6時にこいつからの電話で叩き起こされてよ」
「伊志はすぐ二度寝するからねー。早めに起こしてあげたんだよ」
「本番14時以降からだったろ。いくら何でも早過ぎる」
「ぬるいねその考え方。当日起こり得るあらゆる想定外の事態に備え、時間に余裕を持って行動するのが基本でしょうが。それに6時なんて、学校ある日は普通に起きてる時間でしょ」
「…………お前が正論言ってるのって異様に腹立つな」
「ま、まぁ2人共来てくれて嬉しいよ。結果はあまり自信ないけど、精一杯やれたって感じはする」
「この後結果発表だよね。どうなるのかなー。上位3校は地方大会出場なんでしょ」
「まさかそこまでいかないよ。上位に上がる学校なんて毎年決まってるようなものらしいし。うちみたいな公立の平凡な学校がそうそう行ける舞台じゃないよ」
「そう卑下すんなって。お前らは精一杯やったんだろ。ならその気持ちを信じとけよ」
「そうそう。低い点数つけたら審査員全員ぶっ飛ばしてやる!くらいの気構えで」
「いや、さすがにそこまでは」
 撮影も終わり、間もなく表彰式が始まるということで楽器を片付け、ホール内に入る。



 一般客に加え出場校の生徒も集合しているため、客席はほぼ全て埋まっていた。仕方ないので2階席の最後列の後ろに立って観覧する。
「うう、何だか本番の時より緊張してきたよ。成績どうなるのかなー」
「ぶっちゃけ最終日のラストってすげー不利じゃない?審査員も一番だれてきてる時でしょ。まだ序盤の方がよかったよね。おまけに一つ前の比較対象があの強豪だし。ついてないわー」
「でも結果発表の直前ってことは、審査員的には一番記憶に残ってる演奏ってことでもあるよね」
「ワンチャン地方大あり得るんじゃない?いやでもレベル高い高校多いからなー」
「地方大は無理でもせめて金賞は獲りたいよねー。私中学の時ずっと銀賞だったからさ」
 __という部員達の会話を聞きながら、各校の代表者達が立つステージへ目を向ける。
 確かにこれはドキドキするな。スポーツの試合とは違ってその場ですぐ結果が分かるわけじゃないから。
 主催者の代表が登壇し、今大会における全出場校の成績発表が始まった。
 プログラム順に成績が読み上げられ、その度に客席のあちこちから湧き上がる歓声に若干圧倒されつつ拍手を送る。男子校の時はすごい雄叫びだったな。それにさっき盛大に盛り上がってたのは、舞台袖で演奏を聞いた高校だろうか。
「あそこ金賞かー。まぁ当然だよね。去年も全国大会まで行ったみたいだし」
「うちは全国行ったことあるんですか、先輩」
「地方大に1、2回行けたくらいだよ。それも過去の話だし。結局その年にどれだけ優秀な人材が入ってくるかにかかってんのよ。あと指導者と生徒の相性ね」
「運次第ってやつですか」
 個人戦ならともかく団体競技ともなると確かにそれは否めない。部員同士の団結も大事だからな。俺としては部活の中で自分と全くそりが合わない人はいないと思ってる。正直苦手な人は数人いるけど。
 それでも俺は精一杯努力した。桐塚に作業を任せきりにしていることに若干の心苦しさはあるが、部活に専念する以外他に俺ができることもないのは確かだ。あいつが自分でやったことの後始末だから自業自得とも言えるが。
 信じて待つ、それしか俺には__

「__東が丘高校、ゴールド金賞」

 …………えっ。
「きゃあああああ!やったよぉぉぉぉ!」
「うおおおおっしゃあああああぁぁ!やったぞなっくん!うおおおおお!」
 発表がされた途端周囲から悲鳴の嵐が巻き起こり、真横からは本当に女子かと疑いたくなる程の雄叫びと共に圧迫感の強い抱擁が飛んできた。
「ちょ、美浪先輩、首締まってます……ぐえっ」
「頑張ったねーなっくん!初めてで入って大変だったでしょ。それで金賞獲れたんだよ金賞!もー君すごいよほんと!よく頑張った!」
「い、いや、先輩が教えてくださったおかげで……ちょ、一回緩めてもらえま__」
「私は感動したよ!あー涙出てきた。とにかくみんなお疲れぇぇぇ!」
 その後数分間ひたすら先輩の爆上げハイテンション暴風に見舞われ、俺の内部では気力枯渇警報が発令された。
 …………俺の感動はどこにいったんだ?



 文化ホール出入口付近。
 今すぐベッドに倒れ伏したい衝動に駆られているところへ追い打ちをかけたのは、言わずもがなの人物。
「おめでとぉぉぉぉぉぉ!すごいよ!もう僕は感動した!」
「ちょっ佐々蔵っ、離れろって!二度目はさすがに首折れる」
 移動のバスとトラックの借用の関係上、楽器を詰め込み次第即時学校に撤収。のはずが建物を出たところで背後から奇襲を受けた。どいつもこいつもそんなに俺を窒息させたいのか。
「すごいよ累人君!本当に素晴らしい演奏だったからね!金賞間違いなしと僕は確信してたよ!これは盛大に祝杯を上げないとねー!」
「はいはい。お前のおごりならいくらでも付き合ってやっから、一旦離してやれ。累人死ぬぞ」
 先程の先輩並みにはしゃぐ首絞めマンを伊志森に引きはがしてもらい、ゼーゼーと荒く息をする。
 頼むから落ち着いてくんないか。こんな所で卒倒したくないし、周りの白けた目を少しは気にしろよ。
「ぜひ演奏者としての君の感想を聞きたいよ。あっもちろん僕の聴者側からの評価もあるよ。えっとね、まず課題曲の出だしの音の揃い具合について__」
「ちょっと待て。ここで語るつもりか?俺今から楽器トラックに積まなきゃなんだけど」
「じゃあその後で」
「その後は学校に戻るんだけど」
「じゃあ僕もついてく」
「なぜにそこまで?いや音楽室まで楽器上げるから結構時間かかるぞ」
「手伝うよーそれくらい」
「おいアホ蔵、いい加減にしろ。部外者が関わったら迷惑だろうが。悪いな累人。こいつは俺が責任持って家にぶち込んでおくから」
「ぶち込むって……じゃあお願いするよ。今日はちょっと難しいけど、明日から休みだからどっかで会おうか」
「いいぜ。じゃ夜REINすっから」
「うん、今日はありがとう。またね」
 なお演奏の評価について語ろうとする熱血評論家が無理矢理引きずられて去っていく。佐々蔵、その熱意は嬉しいけど、ちょっとでいいから自重してくれるとありがたいかな。落ち着いた状況になったらいくらでも聞くからさ。明日は何時間講演になるのか正直怖いけどね。
 楽器ケースを持ち直しトラックの方へ駆け出す前に、ふと文化ホールを振り返った。
 1階の正面部分はガラス張りになっており、撮影の時に集まった広場が見える。他校の生徒やその保護者、大会関係者などが大勢行き交う。

 …………やっぱり、いないか。

 ホール内を移動する時も、表彰式の時も何となく周囲を見渡してみた。だが、目的の姿を見つけることは結局できなかった。
 先週学校で会った時に日時は伝えておいたんだけどな。興味ないとばっさり断られるかと思ってたのに、行けたら行くという予想外の返答だったからちょっと嬉しかった。親密度一つ上がったか?
「そろそろ作戦について話さないとな…………」
 真夏の傾いた日差しが容赦なく照りつける。皮膚が焼けるように暑い。
 頬に滴る汗を拭い、疲労した体に鞭を打って走り出した。

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