名神累人のとある日常

桜部ヤスキ

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1年生編

とある男子の恋愛事情

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 ジジジジジジジジジ…………

 どこかで鳴く蝉の声。
 橙色の空。アスファルト道路に伸びる4つの長い影。
「なぁー、聞けよ名神ぃ―」
「離れろ。肩重いし暑い」
「何だ名神。三更みさらに片思いしてたんか。マジウケる」
「違うわ!気持ち悪いこと言うな坂峰さかみね!」
「そうだ!こっちは真面目な話してんだ!次笑ったら許さんからな李藤りとう!」
「俺喋ってないけど」
「現在進行形で喋っとるだろうがぁー。俺はな、今人生最大の危機に直面してんの。もう後がないの」
「それ前にも聞いたよ」
「例のウザいテンション来たな。もうさっさとこいつ置いて帰ろうぜ。関わんのマジダルい」
「右に同じ」
「待てお前ら!ペピコおごってやるから聞け!」
「ちぇっ。チョココーヒーな」
「右に同じ」
「速攻の手のひら返しだな……」
 黒い通学鞄とラケットを背負った制服姿の男子生徒。住宅街を歩いていき、角にあるコンビニに入る。
 そして道路の反対側にある公園に入り、木陰のベンチに並んで座る。買ったアイスを2人ずつ分けて食べる。
「冷てぇー。マジ生き返る」
「それな」
 チューブをくわえ呟く坂峰と李藤。
「それで三更、真面目な話って何だよ。来年の高校受験のこととか?」
「お前こそクソ真面目やな名神。頭のねじ外れたバカのことやから超絶くだらんことに決まってる」
「だな」
「お前らは相変わらず辛辣だよな。で、実際どうなの」
「実はな…………昨日佳那未かなみと喧嘩した」
 暗い顔で項垂れる三更。
「また?先週も言ってたよなそれ」
「付き合ってそろそろ3か月になるからどっか遊びに行こうって誘った。そしたらいつの間にか言い合いになってさ。何がいけんかったんかなぁー」
「ちなみにどこに誘ったの」
安佐ノ山あさのやま動物園」
「そら怒って正解や」
「違いない」
「なんでや!1週間かけて考えた末のデートプランだったのに!」
「こんなクソ暑い時期にあんな山奥に行きたがるのはお前だけで。熱中症で心中する気か」
「無駄に敷地広いしな」
「確かに夏に行く所ではないね。水族館とか映画館の方が涼しくていいんじゃない?」
「くっ、動物が好きだって言うから選んだ場所なのに。俺はとんだ過ちを冒していたのか……」
「お前は彼女作った時点で間違ってるわ」
「彼氏向いてない」
「ああ?向いてる向いてないとかあんのかよ」
 睨みつける三更に、坂峰が涼しい顔で返す。
「少なくとも常識的な面では名神の方が勝ってる」
「え、俺?」
「だったら名神、俺に恋愛のいろはを教えてくれ!」
「いや待て。俺が言えることなんて何もないって」
「彼女いたことないん?」
「ないよ」
「そもそも初恋すらまだとか?」
「それはあったけど…………ってなんで俺の話にシフトしてんだよ」
「なぁ名神、一番最近の恋バナ聞かせろよ。それか三更に恋愛定期講座開くかどっちか選べ」
「坂峰、お前悪魔か」
「俺も聞きたい。ぜひ参考にさせてもらおうか」
「なんで上から目線。…………はぁ。分かったよ。言っとくけど大した話じゃないからな」
 手元をじっと見つめる。容器の中のアイスが溶けて半液体になっている。
「去年の秋だったかな。夏ぐらいから好きだった女子に思い切って告白してさ。それで、振られた。他に好きな人がいるからって。それからは、好きな人がそもそもできなくて。誰かを好きだとか一緒にいたいとか、なかなかそう思えないというか。……それだけ。もういいでしょ」
「なんか、思った通りつまらんな」
「予想通りな」
「最初から思ってたなら聞くな!」
「要するに告って振られたんだな。で、そのエピソードから俺は何を学べばいい?」
「……どいつもこいつも。俺の羞恥心を少しは労われよ」
 残りのアイスを一気に飲み干す。全部溶けていた。
 坂峰がベンチから立ち上がる。
「よし、帰るか。三更、ごみよろしく」
「おい。俺はどうやって佳那未と仲直りすればいいんだ」
「名神の案通り水族館にでも行っていい感じに口説けばいんじゃね」
「ペンギンの水槽の前でな」
「ははっ、李藤それナイス」
「分かった。次のデートこそ絶対成功させてやる。またプランを考え直さんとな。よしやるぞぉー!」
「うるさい」
「つかこいつと3か月もってる相手の方がマジでどうかしてる」
「それな」
 公園を出る。
 道路は街灯の明かりがつき、空は青みがかっている。
「そだ。今週の練習試合どことやったっけ」
「西ノ宮中。まぁまぁ強いよなーあっこは」
「みんなはさ、高校でもバドって続ける?」
「そのつもりで。お前は違うんか、名神」
「んー、色々考えてはいる。まぁその時やりたいって思うことをやろうかなと」
「ふーん。他校同士で試合できたらおもろいなー思ったけどな」
「やだよ。お前相手ってほんとやりづらいんだからな、三更」
 再び道を歩いていく。

 ジジジジジジジジジ…………

 いつまでも聞こえる蝉の声。






 12月中旬。
 凍てつく北風が吹き下ろす。薄青の空には灰色の雲がかかり、隙間から差し込む日光はひどく頼りない。

「なぁー、聞けよ名神ぃー」
「はぁ。久々に聞いても萎えるな」

 昼休憩中に訪れた自販機。無糖紅茶のボタンを押してボトルを取り出した途端、右肩にずしっと重みが乗ってきた。この感覚も何度もやられた覚えがある。
 振り向くと案の定、三更が腕を乗せて立っていた。
 この構ってオーラ全開の男子生徒は、中学時代の同じバドミントン部員。俺と違って高校でも継続しており、クラスは5組。
 冷たい外気から逃れるため一旦校舎に入る。廊下の壁に寄りかかり、仕方なく話を聞く。
「今人類史上最大の危機に瀕してんの。ほんまに後がないの」
「無駄にスケールでかいな。俺は別に地球を救うヒーローじゃないけど。で、何」
「実はな…………柚理華ゆりかと喧嘩した」
 そう言って深く項垂れる三更。
 こいつは痴話喧嘩の類しか俺に話しにこないのか。
「今度は何。またデート先でもめたの?」
「来週クリスマスだからさ、どっか遊びに行こうって誘った。付き合って半年にもなるし。そしたらなんでか喧嘩になって。何がだめやったんかなー」
「ちなみに場所は?」
「映画館」
「いいじゃん。何見るの」
 すると、スマホの画面を見せてきた。映画の作品紹介のページには、見覚えのあるキービジュアルが載っている。
「あー、これか。彼女が行きたいって言ったんだ?」
「この作品の原作好きだって前に話してたから、俺から行かないかって言った。そしたら一人で行くって」
「なるほど。あれかな、好きな作品だからこそ一人で楽しみたいのかも。詳しくない人と見に行っても冷めるからっていうのでさ」
「柚理華がそうだっていうのか」
「それは本人に訊いてみないと。あくまでそういう人もいるって話だよ」
「はーん。まだまだ奥が深いなー恋愛ってのは」
 と、感心したように頷く。そもそも三更は彼女となぜ毎度毎度喧嘩にまで発展するのだろうか。提案の内容よりも言い方に問題があるのでは。
「だがどうも癪だなー。彼氏の俺を差し置いて同じ部員の名神が知ってることがあるってのはよぉー」
「何の話。同じ部員?誰が?」
「柚理華、お前と同じパートだっつってたよ」
「え?あ、もしかして詩条しじょうさんのこと?ってことは付き合ってる彼氏ってお前だったのか」
「なんで知らねーの。こっちは俺の知らんところでお前が変なちょっかい出すんじゃねーかって、ずっと疑ってたんだよ」
「しないよそんなこと」
 お前が彼氏ならなおさらな。
 手に持っていたペットボトルのキャップを開けて飲む。温かい液体が喉を通っていく。
「そんで名神、今彼女いんのか」
「いる前提でさっきの話してたんなら軽蔑するよ」
「いや、いないだろうと思ってた」
「じゃあ訊くなよ」
「昨日坂峰と李藤とRINEしてよ。そんでお前が高校で無事青春デビューできたかどうか俺が訊いてくることになった」
「やかましいって言っといて。全く、2人共変わんないね。嵯賀北さがきた高とは練習試合とかしてるの?」
「この前あったで。あいつら高校でもペアでやってた。まー俺の圧勝だったけどな」
「三更のアタックって動き読みづらいもんな。中学ん時結構苦戦させられたよ」
「でも犬原先輩にはめっちゃ拾われた。ほんま何なんあの人」
「あー、すごかったね。人の規格超えてたよね完全に」
 久し振りの中学時代の話。懐かしい出来事が次々浮かんでくる。またあのメンバーで集まりたいな。
「累人くーん。一体どれだけ買う飲み物に悩んでるのー」
 するとそばの階段を下りて、佐々蔵がやってきた。
「あ、さらっち。おひさー」
「よう、佐々蔵」
「あれ、知り合いなの?」
「体育祭で同じ競技に出た時にね。君達は?」
「三更とは中学のバド部で一緒だったんだ」
「そーなんだ。じゃあ思い出に花咲かせてた感じ?」
「ああ。名神に彼女ができない理由を探ってた」
「お前そんなこと考えながら喋ってたのか!?」
 せっかく懐かしさに浸ってたのに、一瞬で台無しにしやがったこいつ。
「あぁー、それは僕も考えたことあるわ」
「なんで。どうでもいいことに頭を使うな」
「僕が思うに、これは無自覚パターンなんじゃないかと。周りから見たら完全に好きでしょって感じなのに、本人が恋愛感情を自覚できてないから告白に発展しない。そして相手の熱烈な愛情に引きずり込まれ、気付かないうちに束縛されていく」
「要するにMか」
「どんな要し方だ!」
「受け手ってことだと思うよー。積極的じゃなくてね」
「そか。佐々蔵、今のRINEで文章にして送ってくれ。坂峰達に報告する」
「おっけー」
「絶っっっっっ対やめろ!」
 携帯を操作する2人とそれを阻止しようとする1人による攻防戦が始まった。いくら攻撃してもひらひらとかわされ、通りすがりの教師に白い目で睨まれるまで茶番は続いた。ひとまず生徒指導教員でなくてセーフだった。



 5限目終了後。
「起きろ、名神」
 机に伏せていた顔を上げると、そばに柳が立っていた。
「次情報だ」
「あぁ……移動か」
 席を立ち、後方のロッカーからファイルと教科書を取り出す。数人程残っている教室を後にし、廊下を進む。
「何かあったのか」
 歩きながらぽつりと柳が尋ねる。
「何が?」
「機嫌悪いだろ、今」
 確かに、誰かさん2人のせいで未だに苛立ちが消えないけれど。
 関係のない柳に当たっても仕方ないとは思いつつ、少しでも発散したくて話し始める。
「人の恋愛事情ってさ、そんなに気になるものなんかな。彼女いるんだったらその人のことだけ考えていればいいじゃん。好きな人がいないってそんなおかしいこと?俺はそんな変な人間なわけ?」
「…………さぁ、それは……」
「いいよ。ただの独り言だから。てか、今ほっとした顔しなかった?」
「あ?なんでだ」
「こっちが訊きたいよ」
「そもそもしてない」
「してた」
「してない」
「してた」
「根拠は」
「この目で見た」
「錯覚だ」
「いや事実だ」
「幻覚だ」
「現実だ」
 と、しばらく平行線の言い合いを続ける。すると段々おかしく感じてきて、耐え切れず吹き出した。
「っはは。頑固だなぁ」
「お前こそ」
 不機嫌そうだった柳も、ふと表情を和らげる。
 胸の中に溜まっていた不快なもやが、いつの間にかなくなっていた。




 後日。
 放課後。音楽室。
「ちょっと聞いてよなっくん」
 着くなり唐突にそう切り出された。何やらただならぬ様子で。助けを求めて周りを見てみたが、早めに来たせいで他に人がいなかった。
「な、何。どしたの詩条」
「昨日ね、彼氏に私がハマってる漫画読みたいって言われたの。その作品の映画行こうって話もあったからその予習にって。それで本貸したわけ。そしたらもうサイアクで」
「えぇ……そうなの?」
「この場面がよく分かんないとかこのセリフが意味不明とかバンバン言ってきて。確かに分かりにくいところもあるけど、それはあえてぼかしてたり遠回しにしてたりでそれがいいっていうか。そもそも読み終わった第一の感想がそれって何。普通どこがよかったとか言うんじゃないの。何ダメ出しばっかしてんの」
「うーん…………まぁ、作品の印象って人それぞれなところあるから」
「だとしても言い方が腹立つの!いっつもなんか上から目線で。あれ何とかなんないのほんと」
「うん…………そうだね」
 まくし立てる気迫に押され、弱々しく返す。

 三更。やっぱりお前、彼氏向いてないよ。


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