彼は誰時の窓下

桜部ヤスキ

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第3章

1. Surely:また明日

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 12月初頭。
「君ってさ、もはやラッキーマンなんじゃないかな。あらゆるハプニングを受けても大事故だけは避ける」
「階段落ちは大事故じゃねぇのか」
「人生ポジティブに捉えたもん勝ちだよ」
「もはや脳天気だろそれ。他人事だからって怪我を軽視すんのは失礼だ」
「そんなんじゃないよー。事をしっかり受け止めた上で、前向きに考える。明日退院してやるぞって感じで」
「それを軽視っつーんだよ」
 放課後の時間になって、佐々蔵と伊志森が病室へ訪ねてきた。ベッド横のスツールに腰掛け、とめどなく雑談を続ける。
「だって骨折とかもしてないんでしょ、累人君。頭打って5日は昏睡状態だったけどね。いやー、いつ目覚めるか気が気でしょうがなかったよ」
「やっぱどう考えても重大事故だろ。実際ラッキーとか言ってられる状況じゃなかったんだから」
「確かにねー。教室も雰囲気暗かったんだよ。あれは明らかに空気が澱んでた。やーくんも感じてたよね?まぁ君の方が何倍も暗黒に満ちた顔してたけど」
「…………ああ」
 窓際にもたれて立つ柳は、少し憂鬱げな様子を漂わせている。
「すごかったよ。教室の一角が世界終末期と化してた。きっとクラス全体があの雰囲気に引きずられてたんだよ。僕も柄にもないこと考えてたなー。死って何だろう、って」
 影響力半端ないな。そこまで強烈なオーラだったのか。
「でもほんとにびっくりしたよ。突然ただならぬ様子で飛び出していったなぎ君の後を追ったら、階段下に君が倒れてるんだもん。心臓飛び出るかと思った」
「あん時はただただ驚いたな。少し前に教室を出てったお前があんなことになってて」
「……俺も、まさか自分がそんな大事になってるなんて、起きてすぐは信じられなかったよ。みんなや母さんが心配な顔でやってきて、本当にとんでもないことになってたんだなって」
 5日振りに意識が戻ったのが、ちょうど3日前。
 目が覚めて少しして母が到着し、その後佐々蔵達がやってきた。伊志森を除いた全員が、部屋に入ってすぐベッドダイブをかましてきた。さらに重症化しそうな程の勢いだった。
 特に、真っ先に瞬間接着剤のようにぴったりくっついた柳を引きはがすのには苦労した。俺がヘルプを訴えて看護婦さんに手伝ってもらった程だった。
 おまけにこの3日間毎日病室にやってくる。嬉しくはあるけど、少し複雑な気分でもある。だって、毎度俺に向ける目が母と同じなんだ。たった1人の家族の身を案じ、慈しむあの眼差しと。
「事故の瞬間のことは、ほんとに覚えてないの?」
「おい蔵、あんませっつくもんでもないだろその件は」
「これはあれだよ、事情聴取的な」
「お前……いい加減不謹慎って言葉を覚えろ。悪いな、累人」
「あ、別に気にしてないよ。……でも、そうだね。いくら思い出そうとしても、何も出てこないんだ。学校にいたっていうのは何となく覚えてるけど、放課後…………階段…………はぁ、やっぱりだめだ」
 完全な欠落状態。真っ白のキャンパスをいくら見つめても何も浮かんでこない。頭を打った影響だろうか。記憶全部が飛ばなかっただけよかったかもしれない。
「無理に思い出そうとしなくていいぞ。体に負担かかるようなことは今はしない方がいいだろ」
「そう呑気なこと言ってられないんだよ伊志。事故の瞬間誰も目撃者がいなかったとは言え、もし今回も事故じゃなく何者かの仕業だとしべっ」
「刑事ごっこはそこまでにしろ。んじゃ累人、俺らはこれで帰るわ」
 佐々蔵の後頭部にチョップをかまし、立ち上がる伊志森。
「うん、今日はありがとう、来てくれて」
「おう。ちゃんと大人しくしてろよ」
「病院で怪我するようなことしないって」
「でも本当に気を付けてよー。僕がよく読む小説なんかだとね、階段を駆け下りる女子生徒が途中で足を滑らせて、その拍子に持っていた傘が落ちて開いて、落下する女子生徒の喉に傘の先端が__」
「タンマ。蔵、その続き言ったらガチで殴るぞ。明らかにここで言っていいセリフじゃねぇだろ」
「じゃあ、中略、っていうこともあり得るから気を付けてねー。これでいいでしょ」
「お前こそ後で後頭部気を付けろよ。そういや、一夜はどうする。まだ残るか」
「…………俺は……」
 と、こちらへ目線を向ける。
 1人になるがいいのか、とでも言いたげに。
「俺は大丈夫だよ。そろそろ母さんが仕事終わって来る頃だし。それに子供じゃないんだから、1人くらい平気だよ」
 だから心配するな。そう断言したところで、多分効果はないんだろうけど。
「……そうか」
 すると、シーツの上に置いた手に柳の手が重ねられる。
 少し、冷たい。
「…………また明日」
 そっと握り、呟く。
 帰り際、ここへ来る度に。
「うん……また明日」
 そっと呟き返す。
 毎度、同じ言葉を。
 まるで暗示にかかったように。



 3人が病室を出て、途端に静かになる。
 さっきはああ言ったけど、今日は仕事遅くなるかもしれないって言ってたな、母さん。
 心配かけないようにって思ってるのに、またやってしまった。階段で変に急いだら痛い目に遭うって、文化祭の時に身をもって知ったはずだろ。どこまで学習能力がないんだ俺は。鶏だってもう少しまともな脳みそしてるだろ。今は一刻も早く体調を万全にして、みんなを安心させないと。
 そのためには、絶対に余計なことはしないこと。犬も歩けば棒に当たるって言うし、普通に歩いてるだけで危険にぶつかるかもしれない。出歩かずじっと寝ていればトラブルも起きない、はず。
 …………。
 …………。
「…………トイレでも行くか」
 もそもそとベッドから下りる。
 正直ずっと同じ部屋にいると息が詰まりそうになる。家だとそうは思わないが、普段慣れない場所だと無意識に緊張しているのかもしれない。まぁすぐ戻ってくればいい話だ。
 ドアを開ける。
 すると、入口の前に子供が立っていた。
 小学1、2年生くらいの男の子がこちらを見上げる。
「お兄さんが、ながみるいと?」
「えっ、ああうん、そうだよ」
 いきなり質問され、反射的に答えてしまう。
 何だ、この子。
 俺は全く覚えがないのに、俺のこと知ってるのか。
 普通に私服ってことは、入院してるわけじゃない。なのにわざわざ俺を訪ねてきた?何で?
「はい、これ」
 と、手に持った何かを差し出してくる。
 わけが分からないまま受け取ると、それはスマホだった。
 白いデザイン。多分そこまで古い型ではない。
「え、何でこれを……俺のじゃないけど」
「わたしてくれってたのまれた」
「頼まれた?誰に」
「せの高い白い頭のお兄さんに」
「……そう、なの……」
「うん。それじゃあね」
 手を振ってパタパタと駆けていく。頭の整理が追い付かず呼び止める暇もなかった。
 とりあえず廊下に出てみたが、もう子供の姿はなかった。
 え…………何これ。どうしたらいいの。どうすればいいの。
 この明らかな不審物を一体どう処理すれば。1階の受付に持ってくか?誰かの落し物ですって。
 いや、携帯の形をした危険物だったらまずいだろ。爆弾とか。さすがに非現実的かな。もういっそごみ箱に…………いや、それはそれで万一誰かの持ち物だったら問題だよな。
 もしかして、これを拾った人間が俺の携帯だと勘違いして届けさせたとか。
 それはないな。だとしたらわざわざ子供に頼む意味が分からない。それに俺の知り合いで高身長の白髪の男なんて…………。
 …………あれ?
 その時。
 バイブ音と共にスマホが振動し始めた。
「うわっ!嘘、えっ?」
 画面を見ると、全く知らない番号が表示されていた。
 少なくともフリーダイヤルや固定電話ではない。恐らく携帯の個人番号。
 …………どうする。いやどうするって、こんな怪しさ全開のものに出られるわけ……。
 じっと睨み付けながら廊下をうろついていると、いつの間にか少し広い場所に来ていた。
 扉が2つ並んだエレベーターホール。
 他には誰もいない空間に、ブーっと低い機械音が鳴り続ける。

 その時、何を考えていたのか自分でも分からなかった。
 ただ、なかなか切れる気配のないコール音に苛立ちと恐怖が湧いていたのは確かだった。
 恐る恐る指を持っていき、画面をタップした。
 『電話に出る』と表示された部分を。

「あっ…………」
 何でそこ押したんだ、という後悔がどっと押し寄せてきた。
 まずい、どうしよう。今すぐ切るか。いやでももう……。
『もしもし』
 スピーカーから声がする。本当に繋がってしまった。
 怖々と携帯を耳元へ持っていく。
「も、もしもし」
 誰だ。一体誰が__


『やぁ、名神君。調子はどう?』


 …………。
 …………。
『あれ、聞こえてないのかな。もしもーし』
 …………。
 …………。
『もしかして操作方法が分からない?まず、一番下のボタンが__』
「知ってるよ、そこ押したら通話切れるんだよな」
 調子外れに明朗な声に、噛み付くような返答をする。これ程携帯を全力で投げ飛ばしたくなった瞬間は今までない。
『元気そうだね。意識不明の重体で運び込まれたと聞いた時は驚いたけど、回復したようで何よりだ』
「たった今著しく気分を害したけどな。……桐塚、あんたほんと何がしたいんだ」
『警報装置が完備された空間に踏み入る度胸はないよ。だからこうして遠距離から会話できる文明の利器を使っている』
「何言ってんだ。お前だけ病院出禁になってるってことか」
『そこは一言で言えば要塞だ。君を中心に厳重な警備体制が敷かれている。それだけの規模を展開するとなると、相当負担がかかると思うけど。全く、彼の心配性もますます拍車がかかってきたね。現状把握という本来簡単な作業でさえ、こんなに手間を取らせてくれるのだから』
「おい、まどろっこしい連絡の仕方した上に意味不明な話するな。あんな子供まで巻き込んで」
『僕自身は近付けないから配達役を頼んだ。ちゃんと届けてくれたみたいだね』
「このために携帯も用意したのか」
『都合上2台必要だった時があったからね。それはその時買ったものだ。大丈夫、データは全て初期化してある』
「あっそ。ていうか、普通に俺の携帯にかけてくればいいだろ。チャットアプリに電話機能あるんだから」
『かけても繋がらなかった。電源が切れていたんじゃないかな』
 そうなのか。今手元にないからどっちにしろ出られなかっただろうけど。
『ところで、亡霊退治お疲れ様。特に被害を出すことなく片付けられたようだね』
「あぁ…………そうみたいだな」
 そういえば、そんなこともあったか。
 もう遥か昔の出来事のような気がする。あれから実際まだ2週間も経ってないんだよな。
『おや、何か不満なことでも?』
「別に、不満ってわけじゃ……」
『僕としてはやはり、結果に関して多少不都合な部分もあった。だが君達に選択を任せた以上、とやかく言うつもりはない。いつ爆発し周囲に害を及ぼすか分からない脅威を早急に取り除くことが、最も優先されるべき事項だった。君達はそう考えたんだろう?』
「…………そうだな」
 自分達のやったことに後悔しているわけではない。それでも…………。
 突飛で意図の分からない連絡方法に対する怒りは、いつの間にか収まっていた。
 とっさに、心中に浮かんだ言葉が出た。
「死者って、何なんだ」
『うん?』
「あんたは、除霊するのは今じゃないと言ったよな。あれって、何か別の手があったってことなのか」
『僕が言ったのはあくまでタイミングのことだ。対処するとしても方法は恐らく君達と同じだよ』
「……そうか。俺は何も分からないから、やり方に口出しはできなかった。でも、対処って…………幽霊は、消すしかないのか」
 わずかに間が空いた後、いつもの平坦な声が聞こえてきた。
『人は死後どうなるのか』
「えっ?」
『魂とは何か。思念とは何か。死者の魂は天上へ昇るという考え方に関して、正しいという根拠は何一つない。山や海に留まるという思想も昔はあったみたいだ。分からないことというのは無限の想像の余地を持っている』
 少し離れた所にある窓から斜陽が差し込んでくる。
 辺りは何の騒音もなく、ひたすら静寂に満ちている。
『僕も色々と想像してみたよ。僕や君が見て聞いているもの。呪いを発動させるための媒体となる力。それらは人が生まれながらにして持っているもので、人間というシステムを稼動させるための歯車。肉体が生命活動を停止すれば、入れ物を失ったそれらは外へ出て宙を漂う。言うなれば“死者の成れの果て”だ。入れ物の名残を宿したエネルギーの塊。自然法則を捻じ曲げて作用する力。僕達は意図的にその力を操作できる選ばれし者。あるいは手違い』

 __不自然で不可解。何のために存在するのか分からない
 __私達は、間違ってる

 夜の公園で、緋沙奈がそう言っていた。
 間違っているとして、だったら何が正しいんだ。
『どちらにせよ、力を持った人間が同じ場所に3も集まるなんて。僕は今まで経験したことがない。何かに導かれているのかな』
「……その3人には、柳と、俺も入ってるのか」
『もちろん。他に誰がいる?』
 …………こいつは……。
「桐塚。緋沙奈のこと、あんたはどう思ってる」
『…………』
 さっきよりも沈黙が長い。
 やがて、少しトーンの下がった声が流れてきた。
『僕がどう思っているかが、君と何か関係があるのか』
「関係はないが、異論ならある。あんたの、緋沙奈をいない者みたいに振る舞ってる態度が__」
『僕とはもう関係ないのだから当然だ。今更戻れはしないし、戻るつもりもない』
 遮るように放たれた言葉。
 むきになって訴えているようで。
 自分自身に言い聞かせているようで。
『…………はぁ。我ながら浅はかな精神だ。こうも余計なことを……』
「余計なことって、あんたは__」
『名神君、今日の雑談はこれまでにしようか。最悪の事態は避けられたようだけど、君はまだ休養が必要だろうからね。僕のことはくれぐれも一夜君には内密に。その携帯は好きに使っていいよ。それじゃあまた』
「は?おいちょっと待っ__」
 ツー ツー……
 …………切りやがった。
 通話を終了し、深く息を吐く。
 何なんだ、あれ。急に態度変えて、まくし立てて会話を終わらせて。そもそも何で面倒な手段をとってまで俺に連絡してきたんだ。
 特に伝えたいことがあったわけでもなさそうだった。ほんとに雑談したかっただけか。暇人も度を越してただの奇人だ。あいつを普通の人間だと思ったことはないが。
「……関係ない、か」
 他人の家族のことに不用意に踏み込んではいけないって分かってたはずなのに、つい口に出してしまった。
 あれは、喧嘩による一時的な不仲ではない気がする。片親が違うという事実が2人の間に壁を作っているのだろうか。
 だめだ。やめよう。憶測で考えていいことじゃない。
「で、これどうしよ」
 好きに使えって、スマホ2台もどう使えばいいんだよ。ていうか元々あいつの持ち物だったんなら尚更いらないんだけど。
 もう一度溜息を吐いて、歩いてきた廊下を振り返る。看護婦が数人慌ただしく行き来している。
 外から救急車のサイレンが聞こえる。午前中も何回か聞いたな。日に何度も急患が入って、医師の仕事っていうのはほんとに大変なんだろう。
 こんな所で突っ立ってないで早く戻ろう。
 携帯の電源を切り、ロックかかってないのかよ、真っ直ぐ伸びる廊下へ踏み出す。
 すると、目の前のエレベーターの扉が開いた。
 出てきたのは、俺と同い年くらいの男子。
 ってあれ、東が丘の制服だ。じゃあ同級生か?知らない顔だけど。
 いや、顔立ち以前に、あの表情。まるで、何かに怯えているような……。
 意図せずじっと見つめていると、その男子と目が合った。

「うわぁぁっ!ごめんなさい!」

 突然、叫んだ。
 底なし沼のように澱み、不安定に揺れる瞳をこちらに向けて。
「な何。どうかした?」
「あ、ああ、ご、ごめんなさい……ぼ、僕は、僕は……あぁ」
「お、落ち着けよ。何だ、俺何か変なことしたか」
「ああ、ち、ちが、僕……僕が……」
 少し近付くと、その倍以上の距離を後ろに下がる。
 猛烈に拒絶されてるな。
「え、えっと…………お前、俺に何か用があるの?そうじゃないなら、俺は病室に戻るけど」
「あ、ま、待って。き、君に……い、言わなきゃ……いけない、ことが」
「言わなきゃいけないこと?」
 初対面のはずなのに?それとも、俺が忘れてしまっているのかな。
 その男子は盛大に深呼吸をして、視線を落としたまま、言った。


「君を…………あ、あの時……階段から突き落としたのは…………僕かもしれない」


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