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「できることなら、服だって身につけたくないほどなのに」
よほど強調したいのか、谷坂はもう一度念を押すように繰り返した。
噴き出さずにいられない。
「お前、裸族かよ」
「衣服がわずらわしいって話だ。僕は生まれも育ちも、アジアのちっぽけな島国のはずで、そういう習慣のある部族とは何ら関係もないはず」
「はず、はずって何だよ。そこ自信持ってくれよ」
「自分のルーツを調べて明らかにしたことはない。不確かなことを断定したくないんだ」
谷坂の横顔は淡々としている。
「誰も他人のルーツにそこまで正確さを求めてねぇよ。第一、世の中不確かなことばっかりだぞ」
「安藤、知らないのか?」
大真面目な声には、嘲笑も憐れみも滲んでいない。
「この国の天気予報の精度は九割だ。メジャーリーガーだって、そんなバケモノみたいにヒットを打てない」
谷坂は分厚い雲が立ち込めた空を見上げた。雨粒が、つるんとした頬を滑っていった。
「だから僕は、天気予報が好きなんだ」
安藤は肩をすくめる。
「その高精度な天気予報が導き出した結果なんだから、ストレスとか言うなよな」
雨は土砂降りではないにしろ、永遠に降り止まないようなしつこさを携えている。雨粒が傘の表面で弾ける音は、学校を出た頃よりも大きくなっていた。
「ストレスを感じる感じないは僕側の問題だ。天気予報は関係ない」
レインスーツを着て隣を歩く谷坂はあいもかわらず愛想がなく、足元では、犬が舌を垂らしてリズミカルに歩いていた。尻尾をくるんと巻いた茶色い犬は、濡れることをまったく意に介さないように見える。
入学してから半年。安藤は、谷坂とこんなに喋ったことがなかった。
「ねぇなぁ、鍵」
目を凝らしながら住宅街の道路を歩いているが、それらしきものは見つからない。
「実は、そのポケットの奥にありました、とかないのかよ」
「ない」
視線で刺し貫いてくる谷坂は、まだそんなことを言うのか、とでも言いたげだ。
「最初から持って出なかった、なんてオチだったら、笑うけどな」
また怒られるかと思いきや、谷坂は道路の先にまっすぐ続く、暗い空を見据えた。
「むしろ、それを願うよ。もっと日が暮れたら気温が下がる。家に入れなくても僕は我慢できるけど、この子がかわいそうだ」
自分のことを言われているとわかるのか、犬がご機嫌に顔を上げる。それを見て少し目尻を下げたあとで、谷坂は立ち止まった。傘をさしかけている安藤も止まる。
「安藤、もう帰ってくれ。家の鍵をなくしたのは、僕の不注意だ。無理して付き合う必要はない」
「嫌だね」
安藤はきっぱりはねのける。
それまで表情らしいものがなかった谷坂の顔が、訝しげにゆがんだ。
「別にお前を不憫に思ったわけでも、イイヒトを演じたいわけでもない。俺は、犬が好きなんだ。これは確かだぞ」
谷坂はきょとんとしたあとで、豪快に噴き出した。
「なんだよ」
言い方は乱暴でも、その実、安藤は喜んでいた。谷坂を笑わせたと思うと、ガッツポーズをしたいくらいの気分だった。
「確かだぞって、なに胸を張って念を押しているんだよ」
「お前が、不確かなことは嫌いみたいなこと言うからだろ」
「それにしたって、変だ」
「お前と俺は同類のようだし、そのよしみで協力してやるって言っているんだよ」
「同類?」
目の端に滲んだ涙を忌々しそうに指でぬぐいながら、谷坂が眉間にシワを寄せる。
「安藤はスポーツマンで友達も多い。僕は真逆だ。同類どころか、例えて言うなら、それぞれがまったくの対岸に立っている」
「はぁ? 何を急に意味不明なこと言い出しちゃっているんだよ。お前はさ、ストレスだって言いながら、ちゃんと服着てカッパ着て、犬の散歩に付き合うわけだろ」
「ちゃんとって。断っておくけど、裸で公衆の面前に出た経験は一度もないからな」
「俺は、今日初めて喋った友人の探し物に、雨の中わざわざ付き合う。連れていた犬がめちゃくちゃ可愛いもんだからな。どう考えても同類だろ、これ」
それを聞いて目を丸くした谷坂は、すぐに泣き出しそうにも、笑い出しそうにも取れる顔をした。
「好きにしたらいい」
よほど強調したいのか、谷坂はもう一度念を押すように繰り返した。
噴き出さずにいられない。
「お前、裸族かよ」
「衣服がわずらわしいって話だ。僕は生まれも育ちも、アジアのちっぽけな島国のはずで、そういう習慣のある部族とは何ら関係もないはず」
「はず、はずって何だよ。そこ自信持ってくれよ」
「自分のルーツを調べて明らかにしたことはない。不確かなことを断定したくないんだ」
谷坂の横顔は淡々としている。
「誰も他人のルーツにそこまで正確さを求めてねぇよ。第一、世の中不確かなことばっかりだぞ」
「安藤、知らないのか?」
大真面目な声には、嘲笑も憐れみも滲んでいない。
「この国の天気予報の精度は九割だ。メジャーリーガーだって、そんなバケモノみたいにヒットを打てない」
谷坂は分厚い雲が立ち込めた空を見上げた。雨粒が、つるんとした頬を滑っていった。
「だから僕は、天気予報が好きなんだ」
安藤は肩をすくめる。
「その高精度な天気予報が導き出した結果なんだから、ストレスとか言うなよな」
雨は土砂降りではないにしろ、永遠に降り止まないようなしつこさを携えている。雨粒が傘の表面で弾ける音は、学校を出た頃よりも大きくなっていた。
「ストレスを感じる感じないは僕側の問題だ。天気予報は関係ない」
レインスーツを着て隣を歩く谷坂はあいもかわらず愛想がなく、足元では、犬が舌を垂らしてリズミカルに歩いていた。尻尾をくるんと巻いた茶色い犬は、濡れることをまったく意に介さないように見える。
入学してから半年。安藤は、谷坂とこんなに喋ったことがなかった。
「ねぇなぁ、鍵」
目を凝らしながら住宅街の道路を歩いているが、それらしきものは見つからない。
「実は、そのポケットの奥にありました、とかないのかよ」
「ない」
視線で刺し貫いてくる谷坂は、まだそんなことを言うのか、とでも言いたげだ。
「最初から持って出なかった、なんてオチだったら、笑うけどな」
また怒られるかと思いきや、谷坂は道路の先にまっすぐ続く、暗い空を見据えた。
「むしろ、それを願うよ。もっと日が暮れたら気温が下がる。家に入れなくても僕は我慢できるけど、この子がかわいそうだ」
自分のことを言われているとわかるのか、犬がご機嫌に顔を上げる。それを見て少し目尻を下げたあとで、谷坂は立ち止まった。傘をさしかけている安藤も止まる。
「安藤、もう帰ってくれ。家の鍵をなくしたのは、僕の不注意だ。無理して付き合う必要はない」
「嫌だね」
安藤はきっぱりはねのける。
それまで表情らしいものがなかった谷坂の顔が、訝しげにゆがんだ。
「別にお前を不憫に思ったわけでも、イイヒトを演じたいわけでもない。俺は、犬が好きなんだ。これは確かだぞ」
谷坂はきょとんとしたあとで、豪快に噴き出した。
「なんだよ」
言い方は乱暴でも、その実、安藤は喜んでいた。谷坂を笑わせたと思うと、ガッツポーズをしたいくらいの気分だった。
「確かだぞって、なに胸を張って念を押しているんだよ」
「お前が、不確かなことは嫌いみたいなこと言うからだろ」
「それにしたって、変だ」
「お前と俺は同類のようだし、そのよしみで協力してやるって言っているんだよ」
「同類?」
目の端に滲んだ涙を忌々しそうに指でぬぐいながら、谷坂が眉間にシワを寄せる。
「安藤はスポーツマンで友達も多い。僕は真逆だ。同類どころか、例えて言うなら、それぞれがまったくの対岸に立っている」
「はぁ? 何を急に意味不明なこと言い出しちゃっているんだよ。お前はさ、ストレスだって言いながら、ちゃんと服着てカッパ着て、犬の散歩に付き合うわけだろ」
「ちゃんとって。断っておくけど、裸で公衆の面前に出た経験は一度もないからな」
「俺は、今日初めて喋った友人の探し物に、雨の中わざわざ付き合う。連れていた犬がめちゃくちゃ可愛いもんだからな。どう考えても同類だろ、これ」
それを聞いて目を丸くした谷坂は、すぐに泣き出しそうにも、笑い出しそうにも取れる顔をした。
「好きにしたらいい」
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