犬とメジャーリーグ

朋藤チルヲ

文字の大きさ
2 / 3

2

しおりを挟む
「できることなら、服だって身につけたくないほどなのに」

 よほど強調したいのか、谷坂たにさかはもう一度念を押すように繰り返した。
 噴き出さずにいられない。

「お前、裸族かよ」
「衣服がわずらわしいって話だ。僕は生まれも育ちも、アジアのちっぽけな島国のはずで、そういう習慣のある部族とは何ら関係もないはず」
「はず、はずって何だよ。そこ自信持ってくれよ」
「自分のルーツを調べて明らかにしたことはない。不確かなことを断定したくないんだ」

 谷坂の横顔は淡々としている。

「誰も他人のルーツにそこまで正確さを求めてねぇよ。第一、世の中不確かなことばっかりだぞ」
「安藤、知らないのか?」

 大真面目な声には、嘲笑も憐れみも滲んでいない。

「この国の天気予報の精度は九割だ。メジャーリーガーだって、そんなバケモノみたいにヒットを打てない」

 谷坂は分厚い雲が立ち込めた空を見上げた。雨粒が、つるんとした頬を滑っていった。

「だから僕は、天気予報が好きなんだ」

 安藤は肩をすくめる。
「その高精度な天気予報が導き出した結果なんだから、ストレスとか言うなよな」

 雨は土砂降りではないにしろ、永遠に降り止まないようなしつこさを携えている。雨粒が傘の表面で弾ける音は、学校を出た頃よりも大きくなっていた。

「ストレスを感じる感じないは僕側の問題だ。天気予報は関係ない」

 レインスーツを着て隣を歩く谷坂はあいもかわらず愛想がなく、足元では、犬が舌を垂らしてリズミカルに歩いていた。尻尾をくるんと巻いた茶色い犬は、濡れることをまったく意に介さないように見える。
 入学してから半年。安藤は、谷坂とこんなに喋ったことがなかった。

「ねぇなぁ、鍵」

 目を凝らしながら住宅街の道路を歩いているが、それらしきものは見つからない。

「実は、そのポケットの奥にありました、とかないのかよ」
「ない」

 視線で刺し貫いてくる谷坂は、まだそんなことを言うのか、とでも言いたげだ。

「最初から持って出なかった、なんてオチだったら、笑うけどな」

 また怒られるかと思いきや、谷坂は道路の先にまっすぐ続く、暗い空を見据えた。

「むしろ、それを願うよ。もっと日が暮れたら気温が下がる。家に入れなくても僕は我慢できるけど、この子がかわいそうだ」

 自分のことを言われているとわかるのか、犬がご機嫌に顔を上げる。それを見て少し目尻を下げたあとで、谷坂は立ち止まった。傘をさしかけている安藤も止まる。

「安藤、もう帰ってくれ。家の鍵をなくしたのは、僕の不注意だ。無理して付き合う必要はない」
「嫌だね」

 安藤はきっぱりはねのける。
 それまで表情らしいものがなかった谷坂の顔が、訝しげにゆがんだ。

「別にお前を不憫に思ったわけでも、イイヒトを演じたいわけでもない。俺は、犬が好きなんだ。これは確かだぞ」

 谷坂はきょとんとしたあとで、豪快に噴き出した。

「なんだよ」

 言い方は乱暴でも、その実、安藤は喜んでいた。谷坂を笑わせたと思うと、ガッツポーズをしたいくらいの気分だった。

「確かだぞって、なに胸を張って念を押しているんだよ」
「お前が、不確かなことは嫌いみたいなこと言うからだろ」
「それにしたって、変だ」
「お前と俺は同類のようだし、そのよしみで協力してやるって言っているんだよ」
「同類?」

 目の端に滲んだ涙を忌々しそうに指でぬぐいながら、谷坂が眉間にシワを寄せる。

「安藤はスポーツマンで友達も多い。僕は真逆だ。同類どころか、例えて言うなら、それぞれがまったくの対岸に立っている」
「はぁ? 何を急に意味不明なこと言い出しちゃっているんだよ。お前はさ、ストレスだって言いながら、ちゃんと服着てカッパ着て、犬の散歩に付き合うわけだろ」
「ちゃんとって。断っておくけど、裸で公衆の面前に出た経験は一度もないからな」
「俺は、今日初めて喋った友人の探し物に、雨の中わざわざ付き合う。連れていた犬がめちゃくちゃ可愛いもんだからな。どう考えても同類だろ、これ」

 それを聞いて目を丸くした谷坂は、すぐに泣き出しそうにも、笑い出しそうにも取れる顔をした。

「好きにしたらいい」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?

セーラー服美人女子高生 ライバル同士の一騎討ち

ヒロワークス
ライト文芸
女子高の2年生まで校内一の美女でスポーツも万能だった立花美帆。しかし、3年生になってすぐ、同じ学年に、美帆と並ぶほどの美女でスポーツも万能な逢沢真凛が転校してきた。 クラスは、隣りだったが、春のスポーツ大会と夏の水泳大会でライバル関係が芽生える。 それに加えて、美帆と真凛は、隣りの男子校の俊介に恋をし、どちらが俊介と付き合えるかを競う恋敵でもあった。 そして、秋の体育祭では、美帆と真凛が走り高跳びや100メートル走、騎馬戦で対決! その結果、放課後の体育館で一騎討ちをすることに。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

ちょっと大人な物語はこちらです

神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な短編物語集です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

性別交換ノート

廣瀬純七
ファンタジー
性別を交換できるノートを手に入れた高校生の山本渚の物語

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

借金した女(SМ小説です)

浅野浩二
現代文学
ヤミ金融に借金した女のSМ小説です。

処理中です...