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killing
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室内はやたらと殺風景だった。物がない。
リサイクルショップで買ってきた中古品のような、木製の、何の装飾もない古いテーブルと椅子が一つずつ。モスグリーンのリラクシングチェアも所々色がくすんでいて、誰かのお下がりみたいに見えた。
チェアの足元には、大きな籐のバスケット。それと、昼間に彼が背負っていた黒い楽器ケース。ケースはなぜかまったく同じ物が二つ並んでいた。
ギターの姿はないけれど、ギターよりはるかに長い銃は、テーブルと窓の間の床に無造作に置いてあった。むき出しのままなのは、今さら隠す気がないからだろう。近くで見ると、より重厚感がある。
それだけだ。他には何もない。がらんどう。ごちゃごちゃと物に溢れた我が家と違い、すっきりとしすぎていて生活のにおいがまるで感じられない部屋だ。
彼は襟のないだぼっとした黒いシャツを着ていて、同じてろてろとした素材の黒いズボンを穿いていた。単純に黒という色が好きなのか。それとも、自分が犯罪者であることに、何か思うことがあるのか。
部屋に引き入れたものの、彼は私に暴力を振るうことも、銃を拾って向けてくることもない。ただそこに立っている。見下ろしてくる静かな瞳が、凪いだ海を思わせた。
「ごめんなさい」
私は自分の足に目を落としてから、恐る恐る謝った。
「せめて靴下を履いてればよかったんだけど」
そうして片足を上げてみせる。22センチの黒い足型が、ペタリと床に残った。
さすがに怒られるか、そうでなくても、嫌な顔の一つもされることを覚悟していたのに、彼はじっと私を見て、「おいで」と手招きした。
背中を向けて歩き出した彼について行くと、そこは浴室だった。
茫然とするわたしを一人残して、どこかに行ったかと思うと、どこにでもある白いバスタオルと、黒のスウェットの上下を手に戻ってきて、私に差し出した。
「そんなことよりも、そんなに濡れていたら風邪を引くよ。拭くよりも、シャワーで全身温まったほうが早い」
低いけれどよく通る、耳を柔らかく包むような声。当たり前だけど、昼間に聞いたものと同じ。
私は素直に頷いて、それらを受け取った。
顔を上げた時に、すぐそばに彼の大きな手があったので、どきりとする。ちょっとだけゴツゴツとした、それでも女性的なほうと言える指が、私の前髪をそっとすくい、その向こうで彼が悲しげな表情を浮かべた。
髪にこびりついていたシチューは雨で洗い流されても、額の火傷はすぐに治るものでもない。でも、前髪が濡れて貼り付いていたせいで、気づかれないだろうと思っていた。
たぶん、私が彼の奏でる曲に気づいていたように、彼もまた、我が家から出る物音や声に気がついていたんだろう。ここは古いアパートで、壁だって薄い。
それでも、まさか今日初めて顔を合わせたばかりの、名前も知らない他人が、しかも、人を傷つける武器を持った彼が、私の怪我に心を痛めるとは夢にも思わなかった。
「……いいの。慣れてるから」
戸惑いながらそう言うと、彼は黙って腕を下ろした。
彼が貸してくれたスウェットは大人の男性用で、子供でしかもちびの私には大きすぎた。袖は指先まですっぽり隠すし、裾は折らないと踏んで転びそうなほど長い。
私は自分の腕で顔を抱きしめるようにして、そうっと息を吸い込んでみた。パパと違うにおいがすることを確かめたかった。スウェットは新品ではないようだけど、お酒のにおいもタバコのにおいもしない。不思議と懐かしいにおいがした。
濡れた服を抱えて浴室から出ると、彼はリラクシングチェアに横たわっていた。後頭部をこちらに向けて、カーテンのほうへ長い足を投げ出している。
あの長い銃はどこかに片づけられていた。楽器ケースもなくなっている。私が汚した床は掃除したようで、きれいになっていた。部屋は静かで、雨が窓ガラスを叩く音だけが、パラパラと断続的なBGMみたいに聞こえた。
「あなた……もしかして殺し屋?」
私はストレートに尋ねてみた。
普通に生きていたら絶対に目にすることもない武器を持っていて、しかも使い方を知っている。そんなの、兵士か殺し屋くらいのものだ。
「殺し屋って、漫画の中だけにいるんじゃないんだね」
彼は何も言わない。こちらを見ようともしない。
「……殺し屋の相場っていくらくらい? やっぱり、すごい高いのかな」
私は怯まずに質問を続ける。何か反応してほしかった。無視され続けていると、この静かな部屋の中で、私の存在がどんどん萎んでいってしまう気がする。
それでも、彼は振り向かない。
自分は殺し屋なんてものじゃないと、そう言いたいのだろうか。
だけど、私が目にしたものは、決して夢や幻なんかじゃない。
私は唾を飲み込んだつもりが、喉がカラカラに渇いていて、空気の塊が窮屈そうに食道を下りていっただけだった。
怖いのだ。例えそれが自分に害をなす相手であっても、傷つけてほしいと第三者に頼むことは、やっぱり怖い。
でも、言わないと。
彼との出会いは、きっと神様がくれたチャンスだ。この機会を逃したら、私は二度と今の暮らしから抜け出せないだろう。
「ねぇ、私が……仕事を頼みたいって言ったら、受けてくれる? でも、今は自由になるお金を少ししか持ってないの。働ける歳になったら、アルバイトして絶対払う。だから」
だから、パパを撃って。
リサイクルショップで買ってきた中古品のような、木製の、何の装飾もない古いテーブルと椅子が一つずつ。モスグリーンのリラクシングチェアも所々色がくすんでいて、誰かのお下がりみたいに見えた。
チェアの足元には、大きな籐のバスケット。それと、昼間に彼が背負っていた黒い楽器ケース。ケースはなぜかまったく同じ物が二つ並んでいた。
ギターの姿はないけれど、ギターよりはるかに長い銃は、テーブルと窓の間の床に無造作に置いてあった。むき出しのままなのは、今さら隠す気がないからだろう。近くで見ると、より重厚感がある。
それだけだ。他には何もない。がらんどう。ごちゃごちゃと物に溢れた我が家と違い、すっきりとしすぎていて生活のにおいがまるで感じられない部屋だ。
彼は襟のないだぼっとした黒いシャツを着ていて、同じてろてろとした素材の黒いズボンを穿いていた。単純に黒という色が好きなのか。それとも、自分が犯罪者であることに、何か思うことがあるのか。
部屋に引き入れたものの、彼は私に暴力を振るうことも、銃を拾って向けてくることもない。ただそこに立っている。見下ろしてくる静かな瞳が、凪いだ海を思わせた。
「ごめんなさい」
私は自分の足に目を落としてから、恐る恐る謝った。
「せめて靴下を履いてればよかったんだけど」
そうして片足を上げてみせる。22センチの黒い足型が、ペタリと床に残った。
さすがに怒られるか、そうでなくても、嫌な顔の一つもされることを覚悟していたのに、彼はじっと私を見て、「おいで」と手招きした。
背中を向けて歩き出した彼について行くと、そこは浴室だった。
茫然とするわたしを一人残して、どこかに行ったかと思うと、どこにでもある白いバスタオルと、黒のスウェットの上下を手に戻ってきて、私に差し出した。
「そんなことよりも、そんなに濡れていたら風邪を引くよ。拭くよりも、シャワーで全身温まったほうが早い」
低いけれどよく通る、耳を柔らかく包むような声。当たり前だけど、昼間に聞いたものと同じ。
私は素直に頷いて、それらを受け取った。
顔を上げた時に、すぐそばに彼の大きな手があったので、どきりとする。ちょっとだけゴツゴツとした、それでも女性的なほうと言える指が、私の前髪をそっとすくい、その向こうで彼が悲しげな表情を浮かべた。
髪にこびりついていたシチューは雨で洗い流されても、額の火傷はすぐに治るものでもない。でも、前髪が濡れて貼り付いていたせいで、気づかれないだろうと思っていた。
たぶん、私が彼の奏でる曲に気づいていたように、彼もまた、我が家から出る物音や声に気がついていたんだろう。ここは古いアパートで、壁だって薄い。
それでも、まさか今日初めて顔を合わせたばかりの、名前も知らない他人が、しかも、人を傷つける武器を持った彼が、私の怪我に心を痛めるとは夢にも思わなかった。
「……いいの。慣れてるから」
戸惑いながらそう言うと、彼は黙って腕を下ろした。
彼が貸してくれたスウェットは大人の男性用で、子供でしかもちびの私には大きすぎた。袖は指先まですっぽり隠すし、裾は折らないと踏んで転びそうなほど長い。
私は自分の腕で顔を抱きしめるようにして、そうっと息を吸い込んでみた。パパと違うにおいがすることを確かめたかった。スウェットは新品ではないようだけど、お酒のにおいもタバコのにおいもしない。不思議と懐かしいにおいがした。
濡れた服を抱えて浴室から出ると、彼はリラクシングチェアに横たわっていた。後頭部をこちらに向けて、カーテンのほうへ長い足を投げ出している。
あの長い銃はどこかに片づけられていた。楽器ケースもなくなっている。私が汚した床は掃除したようで、きれいになっていた。部屋は静かで、雨が窓ガラスを叩く音だけが、パラパラと断続的なBGMみたいに聞こえた。
「あなた……もしかして殺し屋?」
私はストレートに尋ねてみた。
普通に生きていたら絶対に目にすることもない武器を持っていて、しかも使い方を知っている。そんなの、兵士か殺し屋くらいのものだ。
「殺し屋って、漫画の中だけにいるんじゃないんだね」
彼は何も言わない。こちらを見ようともしない。
「……殺し屋の相場っていくらくらい? やっぱり、すごい高いのかな」
私は怯まずに質問を続ける。何か反応してほしかった。無視され続けていると、この静かな部屋の中で、私の存在がどんどん萎んでいってしまう気がする。
それでも、彼は振り向かない。
自分は殺し屋なんてものじゃないと、そう言いたいのだろうか。
だけど、私が目にしたものは、決して夢や幻なんかじゃない。
私は唾を飲み込んだつもりが、喉がカラカラに渇いていて、空気の塊が窮屈そうに食道を下りていっただけだった。
怖いのだ。例えそれが自分に害をなす相手であっても、傷つけてほしいと第三者に頼むことは、やっぱり怖い。
でも、言わないと。
彼との出会いは、きっと神様がくれたチャンスだ。この機会を逃したら、私は二度と今の暮らしから抜け出せないだろう。
「ねぇ、私が……仕事を頼みたいって言ったら、受けてくれる? でも、今は自由になるお金を少ししか持ってないの。働ける歳になったら、アルバイトして絶対払う。だから」
だから、パパを撃って。
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