Rain man

朋藤チルヲ

文字の大きさ
7 / 49

black coffee

しおりを挟む
「……残念だけど」

 彼はゆっくりとこちらを振り返り、誰もが知る、うんと昔の画家が描いた謎多き美女みたいな微笑で言った。

「……後払いも、子供からの依頼も受けつけていないよ」

 自分は人殺しだと、彼が認めた瞬間だった。

「……じゃあ」

 目の前にいるのは、お金を貰って人の命を奪う人。まともな神経をしていたら、恐ろしくて会話なんてとても続けられないだろう。
 私はたぶん、とっくにまともじゃないのだ。まともでいられるわけがない。あんな地獄のような日々を繰り返していられるのだから。

「私に……殺し方を教えて」

 彼の表情は大きく変わらない。

「だって……あなたは引き受けてくれないんでしょ?」

 卑屈になっているわけじゃない。彼が引き受けてくれないなら自分でどうにかするしかない、そう思っただけだ。

「結局はあなたの手を煩わせることになるけど、やり方を教えるだけだし。格安で請け負ってくれないかな」

 私は食費として預かったお金を使い切らずに、お釣りを貯めていた。パパはお金を置きっぱなしで、レシートを見せろとは言わない。そうは言っても、太っ腹というのとも、私を信用しているのとも違う。パパはただ深く考えないのだ。気に入らないと思ったら殴る。食べる物が必要だからお金を置いておく。パパはひどく単純な人間なんだって、この頃しみじみわかってきた。

 お釣りは微々たる額だけど、塵も積もればだ。そうやって貯めたお金が少しある。それで足りるだけの技術を教えてもらえればいい。

 彼が、またじっと私を見つめた。ブラックコーヒーに似た深い色。心の奥まで丸裸にされてしまいそうだ。やがて、ふるふると首を振った。

「それも、やってない」
「じゃあ」

 あと、この機会を活かすどんな方法があるだろう? 頭を悩ます私に、彼は淡々と言った。

「それに、僕はもうここを出て行くんだ。悪いけど、何の力にもなれない」

 息を吸い込んだら、ひゅう、と喉が空っぽの音を立てた。

「……出て行くの?」
「出て行く。もう用事は済んだからね」

 彼はきっぱりと言った。
 用事が済んだ。それは、彼のするべき仕事が済んだということ。殺し屋の仕事は一つしかない。

 私の知らない誰かを、あの銃で、この人は撃った。命を奪った。それが仕事なのだ。この人は殺し屋なのだから。

 言葉にすると、それってやっぱりすごく怖いことだ。そう間違いなく認識できるのに。それを名札のシールにしてこの人に貼りつけようとすると、どうしてもうまくくっ付かないのだった。

「……すぐ、行かなきゃだめ?」

 口から出てきた言葉は、恋人を引き留めようとしているみたいで、なんだかおかしい。

「そうだね」

 彼は体勢を変えて、チェアの上で私と向かい合うように座り直すと、窓のほうを指さした。

「弾丸が入り込んできた窓の方角から、ここの位置がわかってしまう。早く立ち去らなければ捕まってしまう」

 仕事の依頼を受けたら標的の近くに引っ越してきて、終われば速やかに去っていく。そうやってこの人は、あちらこちらを転々としているんだろう。だから、生活するための物も必要最低限でいいのだ。
 それは、とても殺し屋稼業に合ったライフスタイルだと思った。だけど、私には受け入れがたかった。

「……一週間、待ってくれない?」

 胸に抱えた衣類をぎゅっと抱きしめる。水分が着ているスウェットにも染みてきて冷たく感じた。

「だめなら、三日でもいい」
「僕は力になれない」
「わかってる。それはもういい。諦める。でも」

 この人は犯罪者だ。今はおとなしくしているけど、じきに本性を現して、私に襲いかかってくるかもしれない。

「気づいてるんでしょ? 私……親から暴力を受けてる。でも、ここ二週間くらいは、あなたのギターの音のおかげで、ちょっと楽しい気分になれた。大袈裟に言うと、生きる力を貰えたの。いきなり聞けなくなっちゃうのは辛い。三日間だけ時間をくれたら、その間に踏ん切りつけるから」

 私はいつしか、彼のギターの音色が聞こえてくるのを、楽しみに待つようになっていた。温かくて優しい音。心をふわりと包み込むような音。それを奏でていたのは、対価と引き換えに人の命を葬る殺し屋だったけれど。

「……せ、責任取ってよ。こんなボロいアパート、壁だって薄いのにギターを鳴らして。あなたがギターなんて弾かなけりゃ、私だって変な楽しみを覚えなかったのに」

 無茶苦茶なことを言っているって、わかっている。

 彼はまっすぐに私を見据えたあと、すっと瞳をふせた。まつ毛が影を作る。思案しているようにも、憤っているようにも見える。

「……お願い、もう少しだけでいいからここにいて。もし誰かがあなたを捕まえにきたら、私がうまく誤魔化すから。そのために見張ってる。一晩中でも、一日中でも」 

 彼はとうとう目を閉じた。耳まで閉じることはできないってわかっているのに、完全にシャットアウトされてしまったような気分になって、泣きたくなる。

「……掃除。洗濯とか、ごはんも作る。便利でしょ? 男の人は、そういうのって面倒だろうし」

 彼は口を開こうとしない。もう永遠に言葉を発しないような頑なさがある。
 心臓が内側からドンドンと激しく胸の壁を叩く。その振動が頭にまで響くようだ。

 男の人は。そう言った時に別の条件も浮かんだけど、口にするのはためらわれた。でも、いざとなったら考えるしかない。経験のない私にうまく出来るかわからないけど、それしか方法がないならしかたない。

 彼にいてほしかった。ここからいなくなってほしくなかった。どうしてこんなに執着するのかわからない。

 彼は、私の人生を変える手助けをしてくれない。ギターの音色は私を慰めても、根本的な問題の解決はしない。そんなこと、わかっているのに。

 私はぎゅっと目をつむった。

 静かな目。柔らかな声。いつかどこかで嗅いだような、懐かしいにおい。私を心配してくれた。私のために悲しんでくれた彼ならきっと。

「お願い。私を助けて……!」

「……約束だよ」

 ため息と紙一重の、空気をたくさん含んだ声がした。

 目を開けると、チェアの上の彼はまだ目を閉じたままで、両手の指を祈るように膝の上で組んでいた。

「三日経ったら、僕は出て行く。そのあとは、僕のことは一切忘れて欲しい」

 その瞬間、心の中に広がっていた真っ黒でベタベタのシミが、ほんの少しだけ範囲を狭くしたような気がした。

「それから、掃除やごはんはとてもありがたいけど、一晩中見張るのだけは勘弁して。夜はちゃんと眠らなきゃだめだよ。美容のためにもね」

 彼は目を開けると、片眉をくいと上げて微笑んだ。

 お願いを受け入れてもらえたのに、嬉しいはずなのに、鼻の奥が熱くなって涙が零れそうになった。唇を引き締めて、それを堪える。

「……わかった」
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い

青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。 神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。 もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。 生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。 過去世と同じ轍を踏みたくない……

セレナの居場所 ~下賜された側妃~

緑谷めい
恋愛
 後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。

あなたが決めたことよ

アーエル
恋愛
その日は私の誕生日パーティーの三日前のことでした。 前触れもなく「婚約の話は無かったことにしよう」と言われたのです。 ‪✰他社でも公開

王妃様は死にました~今さら後悔しても遅いです~

由良
恋愛
クリスティーナは四歳の頃、王子だったラファエルと婚約を結んだ。 両親が事故に遭い亡くなったあとも、国王が大病を患い隠居したときも、ラファエルはクリスティーナだけが自分の妻になるのだと言って、彼女を守ってきた。 そんなラファエルをクリスティーナは愛し、生涯を共にすると誓った。 王妃となったあとも、ただラファエルのためだけに生きていた。 ――彼が愛する女性を連れてくるまでは。

お飾り王妃の死後~王の後悔~

ましゅぺちーの
恋愛
ウィルベルト王国の王レオンと王妃フランチェスカは白い結婚である。 王が愛するのは愛妾であるフレイアただ一人。 ウィルベルト王国では周知の事実だった。 しかしある日王妃フランチェスカが自ら命を絶ってしまう。 最後に王宛てに残された手紙を読み王は後悔に苛まれる。 小説家になろう様にも投稿しています。

つまらない妃と呼ばれた日

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。 舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。 さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。 リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。 ――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。

「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある

柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった 王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。 リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。 「わかりました。あなたには、がっかりです」 微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
【3月中――完結!】 積み上がった伏線の回収目前!! 夫にも子どもにも、私は選ばれなかった。 長年の裏切りを抱え、離縁状を置いて家を出た――。 待っていたのは、凍てつく絶望。 けれど同時に、それは残酷な運命の扉が開く瞬間でもあった。 「夫は愛人と生きればいい。  今さら縋られても、裏切ったあなたを許す力など残っていない」 それでも私は誓う―― 「子どもたちの心だけは、必ず取り戻す」 歪で、完全な幸福――それとも、破滅。 “石”に翻弄された者たちの、狂おしい物語。

処理中です...