Rain man

朋藤チルヲ

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fool

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 昨日も通ったスーパーまでの道を、いつもと変わらずのんびり歩く。

 道中には、おもちゃ屋さんや、コンセプトがまるでわからないセレクト・ショップ、名前を聞いたことのない画家の個展を時々開く、こぢんまりとした画廊なんかも並んでいる。

 私はもうすっかり見慣れてしまったけれど、この街に来たばかりの朝日にとっては、まだ新鮮みたいだ。黒いロングコートを着込んで、白いマフラーを首に巻きつけた朝日の横顔は、興味深そうにほころんでいる。部屋にいた時のような悲しみの影は消えていて、私はほっとした。

 朝日はたぶん、何か大きなものを抱えているのだと思う。殺し屋だということ以外にも、表面からではわかりにくい、大きな何かを。
 知ったからって、子供の私にどうにか出来るわけがないし、朝日はどうにかしてほしいとも思っていないだろう。だから、私は何も見えていないふりをする。

「凛子、煙突が見える」

 遠くを指さして、朝日が言った。その目は好奇心が輝いていて、朝日が一瞬、うんと年下の男の子のように思えた。

「工業地帯があるんだよ。わりと有名なの。大企業だから一生安泰だって、この辺の人は、あそこに就職することをステイタスにしてるんだ」
「そうなんだ」

 私の説明が悪いのか、朝日はぴんと来ていない様子だ。

 触角みたいに街から伸びた三本の煙突が、霞んで見えるこの道を、誰かと並んで歩くのは、記憶している中では初めてだ。
 ママが出ていく前は、一緒に買い物に行っていたのかもしれないけど、もしかしたら、その頃はまだ夫婦仲も良くて、パパとも三人で歩いた日があったのかもしれないけど、私は覚えていない。

 朝日が去ったあと、私はまたこうして誰かと、この道を歩くことがあるんだろうか。





*****

 何もなさそうだなと予想していたけれど、実際、朝日の部屋の冷蔵庫には、びっくりするくらい何もなかった。

 作り置きのピクルスとか、ちょっと甘いものが欲しい時のプリンとか、我が家では常にストックされている缶ビールとか、そういったものがないのはまだしも、卵に野菜、砂糖以外の調味料までないのには、驚きを通り越して、若干、感動してしまった。

 朝日は、コーヒーとトーストだけで生き延びているのだろうか。そんなふうに呆れかけて、すぐに、さすがにそれはないなと思う。
 朝日の仕事だって体力は必要なはず。体力をつけるためには、何て言ったって食べる物が重要だ。それに、私には偉そうに、しっかり食べなさいだなんて言ったのだから。
 だから、尋ねてみた。

「ねぇ、朝日。ごはんはいつも、どうしてるの? 朝はトーストだけみたいだけど」
「コンビニのお弁当が多いかな。たまにお店に入ることもあるけど、部屋にレインがいることを思うと」

 やっぱりか、と私はため息をついた。

 そりゃ、コンビニ弁当や外食のほうが、トーストオンリーよりはいい。でも、よっぽど意識しないと栄養バランスが偏る。偏らないようにと品数を増やせば、すぐにお札が消えていってしまうのがコンビニ弁当だ。

 まぁ、お金のことに関しては、朝日は高給取りだから気にしないにしても、プロフェッショナルなら、もっと栄養のことにまで気を遣わないとだめだ。
 これは私の腕の見せどころだ、と思った。

 朝日がお金の心配はしなくていいと言うので、私は遠慮なく食材を見つくろった。
 レタスにトマト、ほうれん草、ニンジン、ジャガイモ、ハム、チーズ、豚肉、鶏肉、パスタ、食パンにパックごはん。フルーツはけっこうお値段が張るから、さすがに私も遠慮して、果汁百パーセントのオレンジジュースで妥協した。レトルトのカレーやミートソース、サラダ油、塩胡椒やみりんなどの調味料も一通り揃えた。朝日が持っていたスーパーの黄色いカゴは、あっという間にいっぱいになった。

 ずいぶんたくさん買うんだね、と朝日が目を白黒させていたから、誰かさんの家に何もないからだ、と言っておいた。

 でも、本当はそれだけじゃなかった。
 食べる物や飲む物を買えば買うほど、朝日の生活が、あのアパートでちゃんと根付くように思えた。少なくとも、食材がなくならない限りは、朝日とレインは私のそばからいなくならない気がした。

「凛子」

 帰り道、朝日が足を止めて、申し訳なさそうに切り出した。アパートまであと五分というところだった。

「ちょっと用事を思い出した。悪いけど、一人で先に戻っていてくれないかな」

 そうして、紙袋を抱えたほうとは反対の手で、コートのポケットを探る。部屋の鍵を取り出そうとしているんだろう。

「わかった。いいよ。じゃあ、お昼ごはんの用意をして待ってるね。とりあえず荷物を貸して」

 買った物を受け取ろうと両手を広げると、朝日はなぜか困ったように首を傾けた。それから、口がふさがらないほどに食材を詰め込んだ紙袋を、私に手渡した。

「ごめん」
「いいってば。用事ならしかたないじゃん。それにさ、私いつも、一週間分の食材を一人で持ってるんだよ。このくらいの重さ、慣れっこなんだ」

 袋は確かにずっしりと重いけど、私は本当になんてことなかった。

「ごめんね」
「謝りすぎだよ、朝日。子供に対してそんなに謝る大人、聞いたことないよ」

 笑う私の頭に、朝日は指の長い手のひらをふわりと乗せた。

「僕は、君の望みを何一つ叶えられないね」

 そして、ひどく悲しそうに笑った。
 笑っているのに泣き出しそうで、私はサーカス団のピエロを思い出した。彼も顔は楽しげに歪んでいるのに、目の下に、水色のサインペンで描いたような涙の粒がある。

 そんな切ない顔をされると、私はどうしていいかわからなくなってしまう。

「荷物を……持ってくれないから? 一緒に帰れないから?」

 私は尋ねた。

「……うん」
「嘘だね」

 朝日は何も言わない。それは当たっていると同じだ。愚かな朝日。

「……三日間しか、一緒にいてくれないから?」

 まだ何も言わない。唇の端さえ動かさない。

「……パパを撃ってくれないから? 殺す方法を教えられないから? それとも」

 私は朝日をじっと見つめた。朝日がいつもそうするように。心の奥底を覗くように。

「私を、撃てないから?」

 朝日の静かな笑顔の頬が、少しだけ痙攣した。
 だけど、頷くことはせずに、まるで何かに蓋をするように、そっと目を閉じる。まつ毛が細かく震えた。

「……お昼ごはん、楽しみだな」

 そう言って目を開けた朝日は、いつもの優しげな笑顔だった。

「朝日はバカだね」

 朝日は答えず、紙袋の中に鍵を忍ばせると、身体の向きを変える。来た道を戻っていった。

 朝日はとてもバカだ。
 自分のメリットだけを考えて私を消してしまえば、きっとお互いに楽なのに。
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