Rain man

朋藤チルヲ

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loneliness

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 病院の霊安室に入ったのは、生まれて初めてだった。
 ひどく寒いところだと思った。そして、小学校の理科準備室の中にいる時みたいに、薬品のにおいが鼻の奥を苦くした。

 パパは見るからに固そうなベッドに寝かされていた。ううん、もうはパパじゃなかった。

 かろうじて確認できるのは、目と鼻の周りだけ。頭のあとの部分は白い包帯でぐるぐる巻きにされていて、身体にはぺらぺらの白い布団を掛けられている。
 盛り上がった布団の大きさから窺える身長が、私の知っている大きさじゃなかった。

 女性の看護師さんが、まるで悪い事をしたかのような声色で、「ごめんね」と恐る恐る声をかけてきた。

「持ち帰る? それとも……こちらで処分しましょうか?」

 そう言って見せられた作業着は、透明なビニール袋に入れられていて、もはや元の形がわからないくらいボロボロで、真っ赤に染まっていた。

 その部屋には、パパの上司だという、パパとお揃いの作業着を着たおじさんもいた。私がぼんやりとパパの作業着を見つめていると、大家さんに何やら話しかけたあとで、私に説明してきた。

 パパは仕事中に、誤って機械に巻き込まれてしまったらしい。
 一人で作業していたのか、だらだらと集中力を欠いた状態で作業していたのか。細かいことはわからないけれど、発見された時にはもう手の施しようがなかったのだという。

 千切れてしまったんだ、と思った。パパの手も、足も、何もかも。カタバミの葉のように。

 看護師さんは、そんなことを私に尋ねるのは酷だとわかっていて、それでも訊かないわけにはいかないんだろう。病院側が、身内の承諾もなしに勝手なことはできない。看護師さんの胸の中を思うと、申し訳ない気持ちになった。

 私は「捨ててください」と弱い声でお願いした。看護師さんはほっとすることはなく、それまで以上に泣きそうな顔をした。

 パパの上司は、何度も何度も私に頭を下げた。てっぺんがすっかり薄くなったその頭が上がったり下がったりするのを、不思議な気持ちで見ていた。

 私は少しも怒っていない。ただ空っぽだった。

 何も言わず、泣くことすらしない私を、少し気味が悪いと感じたのかもしれない。パパの上司は、パパの事故は労災として扱われることと、見舞い金の話を手短にすると、そそくさと帰って行った。

 パパのもう動かない姿を見ても、やっぱり喜ばしくも悲しくもない。ゴミ捨て場の、持ち主がわからない人形でも眺めているみたいだ。つい数時間前まで私を怒鳴りつけていたのにと思うと、奇妙な感じがした。

 私が傷つけた手の指はどうなったんだろう。
 ちょっとだけ見てみたい気分だったけど、ただの布と言ってもいい薄い布団をめくる気は、最後まで起きなかった。

 立ち尽くす私の横に大家さんが並んだ。移動中と同じようにまたきゅっと手を握ってくれて、これからについて話してくれた。

 娘の私以外に身内がいないパパのお通夜やお葬式は、パパが働いていた会社が代わりに取り仕切ってくれるらしい。
 家を出て行ったママの行方については、パパは誰に語ることもなく、大家さんもずっと捜していたらしいけれど、とうとう掴むことができなかったのだという。

 火葬場の手配や費用、お香典の管理についてもすべて、会社で面倒を見てくれる。だけど、お墓をどうするかとか、区切りの法要をどうするかなどについては、私が決めるしかない。

 そういったことがすべて済むまでは、大家さんの家で暮らすこと。その間に今の部屋を引き払い、新しい生活の場として、施設を探すこと。施設の責任者と、次に通う学校をどうするかとか、諸々の事柄を相談すること。

 淡々とした大家さんの口調を聞いているうちに、なぜだか急に、ものすごく帰りたくなってきた。

 朝日のところに帰りたい。穏やかな笑顔の殺し屋と、滑らかな被毛の黒猫が待つ、温かいあの部屋に帰りたい。緩やかな、少しだけ寂しいギターのメロディーが流れる、明るく清潔なあの部屋に帰りたい。

 やっとわかった。
 私がこれほどまでに自分が空っぽだと感じたのは。どこまでも無で、空虚になったその理由わけは。
 これで本当の意味での孤独になってしまったということを、頭より先に心が悟ってしまったからだ。

 そのショックが、その他の気持ちを超えたんだ。 

 帰りたかった。
 朝日に会いたかった。
 私の家はあそこじゃないけど。期限付きの、かりそめの家族に違いないけど。
 正真正銘の独りになってしまった、私の気持ちが帰りたがる場所は、あそこしかなかった。

 呼吸がせわしなくなる。それに合わせて肩が激しく上下した。まぶたの奥からボロボロと涙が零れ出す。
 嗚咽を上げながら、顔を覆うこともなく、私はそこでしばらく泣いた。
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