運命のひとーSADAME NO HITOー

朋藤チルヲ

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「え、寝込んでるの?」
「風邪を引いたのだと……朝から何も食べてくださらないのです」
「確かに昨日の夜、雨は降ってたけど。外に突っ立ってたわけでもあるまいし」

 話し声が耳に届いてきて、ベッドの上でうっすらと目覚めた。
 姉と奈津さんだ。どうやらドアの前で話しているらしい。

 奈津さんがかよってきた物音を聞いて、のっそりとベッドから這い出したのは、今朝早く。
 ダイニングで朝食を準備していた奈津さんに、風邪を引いて熱があるから、朝ご飯はいらないと伝えた。部屋に戻ると、すぐにまた眠った。

 ドアの前が静かになり、わたしは再びまどろむ。
 身体が眠りたがっていた。溶けるように眠っていたい。何も考えないで済むから。

 ノックする音が響いたのは、意識を完全に手放す寸前のこと。

「優愛? 起きてる?」

 はっと目を見開く。

「もう九時になるよ。食欲ないかもだけど、風邪は食べないと治りが遅いから。何でもいいから食べないと。入るよ。入っていい?」

 だめだって言ったって、どうせ入ってくるくせに。そう思って、面倒で返事しなかった。
 案の定、横向きの体勢で耳まですっぽりと毛布を被ったわたしの目に、ためらいもなく開かれるドアと、ガラスの器を右手に掲げた姉の姿が映った。

「りんごは万能薬」

 姉は自信たっぷりに言い切って、ずかずかとベッド脇まで歩み寄った。

「わたしが剥いたから不格好だけど。味は変わらないから」

 目と鼻の先に差し出された器に、透けて見える中のりんごは、確かに形がいびつだ。
 この時間に家にいるということは、今日は姉も仕事が休みらしい。

 一日中うだうだしていようと思ったのに、甘かった。姉は奈津さんみたいに遠慮しないし、気を利かせてもくれない。式の準備で出かけるかもしれないけど、それまではたぶん頻繁にお節介を焼きにくる。

「……いらない。何も食べたくない」
「だめ。一口でもいいから食べなさい。いつまでも治らないで、身体がどんどん弱っちゃってもいいの?」

 しらじらしい、と腹が立った。
 寝込むほど落ち込むことになったのは、元はと言えば姉のせいではないか。

 福永さんを好きになってはいけない、その理由を問いただしたのは、確かにわたし。でも、そのあと福永さんに、すべてを話すようにけしかけたのは姉だ。
 わたしを助けたために、福永さんは妹さんを亡くした。それだけでは不十分かもしれないと、もう一押しのつもりだったのだろう。

 そのせいでわたしがぼろぼろに傷ついても、かまわないと思ったのだろうか。

「いい」

 姉の声を遮りたくて、毛布を頭まで引っ張った。

「わたしなんか、どうなったっていい」

 本音だった。
 このまま水も食べ物も取らず、体力がなくなって、内臓から弱って、本当に病気になってしまってもいい。むしろそのほうがいい。

「優愛は良くても、周りはそうじゃないんだよ。家族も奈津さんも、遣史ももちろんだし、お店の人だって心配するよ」
「いい」
「二十二にもなって子供みたいに。ほら、頭出して」
「もう、うるさい」

 姉が毛布を引っ張り出したから、わたしはますます意固地になる。

「いいんだってば。放っておいてよ。わたしなんか、あのまま溺れちゃえばよかったんだ」

 姉の声も手も煩わしくてしかたなくて、言ってはいけない言葉だってわかっていながらも、つい口をついて出てしまっていた。
 すぐさま毛布を剥ぎ取られる。

「バカ! 何てこと言うの? 優愛が助かった時、そこにいた全員が泣いて喜んだんだよ。そんなふうに言うことが周りのみんなをどれだけ傷つけるか、わからない歳じゃないでしょ」

 姉は真っ赤な顔で怒鳴った。

「……全員じゃない」

 身体を起こす。上目遣いで姉を睨むけど、上手にできているかは微妙だ。本当に熱があるみたいに、目の周りが上気しているのがわかった。

「え?」
「福永さんは違う。たまたま通りがかっただけの無関係の人だ」
「それは……でも」
「福永さんも少しはほっとしたかもしれない……でも、家に戻って後悔したはずだよ。死んだのがわたしだったらよかったって、思ったはずだよ!」

 どうして生きているのが、笑っているのが、自分の妹ではないのか。そんなふうに絶望して、どうしようもなくわたしを憎んだはず。それは今も続いている。
 それを、鈍臭いから嫌われているのかもなんて、自分の暢気さに呆れて涙が出てくる。

「バカ優愛!」
 姉が手を振り上げた。
「福永がそんなこと思うわけないでしょ!」

 呼び名が変わったことに、すぐには気づけなかった。自分の気持ちを吐き出すことだけに精一杯だった。悲しみに囚われすぎていたのだ。

「全部聞いたんだよ! 妹さんの写真も見せてもらった。わたしが家族を奪ったって……わたしを憎んでるって言った」
「ええ?」

 眉根を寄せる姉を見て、仕事終わりに福永さんと会ったことは言っていなかったんだな、と気づく。

「昨日……話があるって言われて」
「福永くんに?」

 わたしは頷く。

「援助のことも聞いた。だから、お姉ちゃんと同じ大学に進学して、うちの会社に入ったんだね。しかも、わたしを償いに差し出すなんて……パパもママも福永さんを見下しすぎだよ。軽蔑されてもしかたない」

 姉は手を下ろした。持ちっぱなしだったりんごの器を枕元に置いて、ベッドの上に腰かけた。

「ちょっと待って。それ本当に……福永さんが?」
「とぼけないでよ、今さら。お姉ちゃんが全部話してって頼んだんでしょ。それも全部聞いたんだから」
「それはまぁ……」

 否定しない。やっぱり本当のことなのだ。
 姉は言葉を切り、少し考え込むようなしぐさをした。やがて、自分を納得させるように、うん、と顎を上下に振る。

「福永さんがそう言ったんなら、それが本当のことなんだ」

 今度はわたしが眉根を寄せる。どこか含んだ物言いだ。

「優愛が聞いた話には、わたしが知らないことも混じってるみたいだけど」
「え……?」
「でも、これでわかったよね。福永さんに近づいたって、良いことは何もない。きっぱり諦めよう。それを、福永さんも望んでるってことだよ」

 諦めよう。姉の声が粒子の細かい砂になって、心のずっと奥に滲んでいく気がした。
 納得済みだったことだ。福永さんを想い続けていたって辛いだけ。福永さんだって迷惑だ。望んでいるっていうのは、きっとそういうことなのだ。

「ただ、一つだけは信じて。優愛が助からなければよかったなんて、誰一人思ってない。だから、そんな悲しいこと、二度と口にしないで」
「誰一人……」
「福永さんは赤の他人に違いないけど、自分の力で優愛を助けたいって思って、助けられたんだ。その瞬間は、ちゃんと喜んだに決まってるよ」

 わたしだって、そう信じたい。だけど、昨日の福永さんの態度を思い返すと、とてもそうは思えない。

「ね。だから、この話はここでおしまい。パパたちが出張から帰ってきても、余計なことは言わないで。悲しませるだけだから」

 姉は器に手を伸ばす。りんごの一つにフォークを突き刺すと、わたしの口元に差し出した。

「りんごは万能薬」

 泣きそうに笑う。
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