運命のひとーSADAME NO HITOー

朋藤チルヲ

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「優愛」

 呼ばれて振り返ると、メンズ物のTシャツが連なったラックとラックに挟まれるようにして、通路に琴音が立っていた。ぱっと広げた手を振っている。

「あれ、どうしたの?」

 琴音の私服がBEYOKの商品でないことは、見る人が見ればわかる。休日出勤ではないようだ。

「うん。心配だったから、ちょっと寄ってみた」

 そう笑って歩み寄る。
 周りを気にしながらなのは、自分が他の従業員に見つかると煩わしいと言うより、勤務中にお喋りしてわたしが咎められたら困ると、気にかけてくれているのだ。逆の立場だったら、わたしも同じようにする。

 幸いにも相馬さんは休みで、まだ午前中でアルバイトは出勤してきていない。パートさんはレジにいる。売価変更や商品移動を指示しようと、本部社員も降りてきていなかった。

「わたしが落ち込んでると思った?」
「まぁね。ショックで、仕事どころじゃないかもなって」

 琴音の優しさは、嬉しいけど、少しくすぐったい。

 福永さんと、そして姉との顛末は昨日、ベッドの中から、トークアプリのメッセージで琴音に伝えた。琴音は遅番だったので、通話でやり取りできたのは夜遅くなってからだ。

「ショックだけど……いつまでも寝込んでいられないもん」
「あんまり無理しないでよ、なんて。わたしが言えた義理じゃないんだけどさ。原因の一端は、わたしにもあるわけだし」

 琴音は申し訳なさそうに頬を指で掻いた。

「わたしが、社長と福永さんは何かある、なんて言ったから」
「ううん、違うよ。話がしたいって言ってきたのは、福永さんのほうだし、それもお姉ちゃんの指図で」
「でも」
「わたし自身も、きちんと知りたかった」

 すべてを知った上で、自分の気持ちに決着をつけたかった。

「でも……何も変わらなかった」
「……福永さんとのこと?」
「諦めたほうがいいって、自分でも思うんだよ。だけど……どうしたら諦められるのか、ぜんぜんわからない」

 琴音はどんなわたしだって受け止めてくれる。馬鹿馬鹿しい話だって、笑わずに聞いてくれる。そんな信頼感が心の鍵をほどく。

「子供の頃から……見続けてる夢」
「え? ああ、水の底に沈んでくような、あの悪夢のこと?」
「うん。ずっとそういう抽象的な夢だったのに……この頃は変わってきてる」
「どんなふうに?」
「リアルになってきてるっていうか……目覚める直前には誰かの腕が現われて、わたしを引っ張り上げてくれるんだ……今朝も」

 眠っている間に見る夢は、あの悪夢に限らず、忘れてしまうことも多い。だけど、鮮明に覚えている。長い腕。日に焼けた肌。迷いのない力強さまでも。

「わたし、あの腕は福永さんだと思う」
「記憶が戻ってきてるってこと?」
「わからない。でも、知ってる」

 十五年も経つ。体格も変わっている。
 だけど、紺色のスタッフジャンパーを着たその腕が、わたしの腕を引く時がきたとしたら、その感覚は間違いなく重なり合う。

「今は恨んでてても、必死にわたしを助けようとしたこと、助かった瞬間に喜んでくれたことは、ちゃんと本当なんだって……夢が教えてくれてる気がして」

 憎しみをぶつけられた直後は、悲しすぎて、姉に諭されても、とても信じられなかった。でも、落ち着いた時に思ったことは、わたしはやっぱり、自分の知る福永さんを信じたい、ということ。

 今でも、目を閉じれば聞こえてくる。
 そうか。それはよかった。素っ気なさの奥に優しさを抱いた、穏やかな声が。
 他人の危機を見過ごせない、強く優しい人を、冷酷に変えたものがあるなら、それはわたしなのだ。涙がせり上がりそうになる。

 琴音がぽつりとつぶやいた。

「……うちの部長なんかより、神様のほうが、よほど意地悪だよなぁ」

 呆れることも否定もしてこないのは、自分ではどうしようもできない気持ちを、琴音も経験してきたってことなのだろう。

「……昨日さ、優愛から話を聞いた時」

 琴音は身体をそむけると、ラックからTシャツを一枚抜き取る。かと思えば戻した。それを繰り返す。

「やっぱりおかしいんじゃないかって、改めて思ったんだよね」
「琴音?」
「福永さんは、優愛のそばにいてもメリットがない。下見に行った時にも言ったけど」
「うん」
「憎い相手とは同じ職場で働きたくないって思うのが、やっぱり普通じゃないかな。もしわたしが社長を利用してやろうって魂胆だったら、ツテとかコネとか使って別の就職先を世話してよって、ゴリ押しするよ」

 琴音はしっかりと服をラックに戻すと、覚悟を決めたような顔を向けた。

「今いる場所はたぶん、福永さんが選んだんだ。そこにはやっぱり約束って言うか、理由があってさ。でも、きっとそれは優愛を苦しめるものじゃない」
「琴音……?」

 それから、眉間にシワを寄せて指を立てた。

「わたしは、優愛が辛そうにしてるのが見てられないだけ。福永さんと付き合うことに賛成ってわけじゃないんだからね」

 早口で付け加えて、自分の腕時計に目を落とす。

「うわ、長居しちゃった。じゃあね!」

 わたしに言葉を挟む隙を与えないようにか、琴音は言い終わると手を振りながら行ってしまった。
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