運命のひとーSADAME NO HITOー

朋藤チルヲ

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「おお、嬉しいな。優愛が出迎えてくれるとは」
「お土産が待ちきれないのよ、きっと。そう言えば、優愛がまだ小さい時、半分以上寝ながら玄関に座り込んでいたこともあったわねぇ。懐かしい」

 顔に疲労の色を浮かべながらも、パパとママはそう言って笑う。
 珍しがられてもしかたがない。短大に入った頃くらいから、何かと忙しくなって、出張帰りの二人を玄関で出迎えることはなくなっていた。

「そうだ。奈津さんから連絡もらったぞ。風邪引いたんだって? もう大丈夫なのか?」

 スーツケースを持ち上げるママを手伝う横から、パパが心配そうに尋ねてきた。

「……大丈夫」

 覇気のない返事になったのは、複雑な気持ちのまま答えたから。ママがからからと笑う。

「とても大丈夫に思えない声ねぇ。そんな時は、あれね。りんご」
「りんご?」

 その単語が姉とのやり取りを思い出させて、胸が鈍く痛んだ。

「覚えてないか。年少の頃だものね。優愛が病気で寝込むと毎回、お姉ちゃんがりんごを食べさせたがって」
「そうだったっけ……」

 記憶を辿れば、かすかにではあるけど、幼い日々の想い出の中に、りんごを乗せた皿を持つ姉の輪郭が浮かんだ。

「中学の友達にでも聞いたのね。風邪を引いた時はりんごを食べるといいとか。ぶきっちょなくせに、自分で剥くってきかなくて。おかげで、りんごも指もぼろぼろ」
「ああ、そうだったなぁ」

 パパも懐かしそうに微笑む。

「優愛はそのりんごを食べると、不思議と翌朝には熱が下がったからな。自分が妹の病気を払っているみたいで、嬉しかったんだろう」

「ちょっとやめてよ。恥ずかしい」

 気がつけば、開け放たれた玄関のドアの前に、いつのまにか顔を歪ませた姉が立っていた。

「あら、お帰りなさい」
「恥ずかしくなんかないぞ。希美がお姉さんとして、妹の優愛をどれだけ大切に思っているかという話をだな」
「それが恥ずかしいんだって。本人に絶対聞こえないところでやってよ、そういうの」

 姉は後ろ手にドアを閉めると、さっさとパンプスを脱いで上がり、照れ隠しのためかそそくさと廊下を進んでいく。
 その背中にも届くように、わたしは声を張った。

「わたし……みんなに訊きたいことが、ある」

 姉が立ち止まった。パパとママは揃ってきょとんとする。

「だから、待ってたの。みんな帰ってきたばかりで、疲れてるところ悪いと思うけど……どうしてもわたし、はっきりさせたくて」
「それ、今じゃなきゃだめ?」

 足を止めたその場所から戻ることなく、首だけをひねって姉が言った。刺々しい声だ。

「わたしはともかく、パパとママは遠方から帰ってきたばかりよ。疲れのレベルがいつもと違うの」
「わかってるよ……でも、みんながこうやって揃うことってあんまりないし」

 わたしが何を話したいのか、姉は勘づいている。だから、止めようとしている。
 一度決めた覚悟を引っ込めたくない。そうしたら、もう二度と勇気を奮い出せない気がする。そうは思っても、姉の気迫に圧されてしまって、ぼそぼそと頼りない声になった。

「あとで予定を合わせればいいでしょ。何を訊きたいのか知らないけど、疲れてるのに込み入ったはなししたって、どうせまとまるものもまとまらない」
「でも」

 あとで、なんて、いつのことになるかわからない。そのうちに、うやむやにされてしまうに決まっている。

「優愛は、何を訊きたいんだ?」

 パパが割って入った。

「内容によっては、希美が言うように、頭をリフレッシュさせる時間が必要かもしれんが。何についてなのかくらい、聞いておいてもいいだろう」

 わたしはほっとして口を開く。

「パパ……あのね」
「やめなよ、優愛!」

 姉は大きな声を出して、身体の正面をこちらに向けた。

「……お姉ちゃん」

 バッグの持ち手を握った手も、反対の手も、ぎゅっと強くこぶしを握って震えている。だけど、その顔は、言うことを聞かないわたしへの怒りにたぎっているというより、今にも泣き出しそうだ。

「ごめん、お姉ちゃん……」

 そんな顔を見るのは初めて。驚くよりも、胸がいっぱいになる。

「それと……ありがとう。お姉ちゃんは昔から、いつだってわたしを守ろうとしてくれた。わたしが傷ついてもいいなんて、思うわけなかったのにね」

 姉がはっと息を飲んだのがわかった。

「わたし……パパとママが帰ってきたら、責めちゃうだろうなって思ってた」

 二人が福永さんにやったことを知りながら、普段通りに接するなんて器用なこと、わたしにはとてもできない。本人たちの前だけど、正直に白状した。

「でも……よくわからなくなったの」

 琴音や田嶋さんと話したからだ。

 姉が、わたしのためにと明かした恩人の正体。その福永さんは、わたしが家族を奪ったとすごんだ。
 だけど、今いる場所を選んだのは福永さん自らだと、琴音はきっぱりとした表情で言った。福永さんも嘘をつく、そんな当たり前のことを教えてくれたのは田嶋さんだ。

 誰もがみんな、真実を語っているように思えた。
 それなのに、それらが一つ一つの点だとしたら、他のどの点とも結びつかない。
 誰かが嘘をついているせいなのかもしれない。でも、それも判然としなかった。

「お姉ちゃん、言ったよね。福永さんがわたしに話したこと、その中に、自分も知らないことが混じってるって」

 嘘をついているのは、福永さんなのかもしれない。
 そして、その嘘も、なぜ嘘をついたのかも、たぶん姉は知っている。知っていて隠した。ついさっき、そう思いついた。

「わたし……ちゃんと知りたいよ。だって、このままじゃ、誰のことも信じられなくなりそう。嫌だよ。みんなお姉ちゃんと同じ、わたしを守ろうとしてくれてるだけなんでしょ……?」

 福永さんにこっそり電話をかけたことも、福永さんから聞いた話は、パパとママに言わないでと言ったことも。わたしが今以上に傷つくことから守りたかったからだ。自分が悪者になってでも。

 りんごだ。姉は今でも不器用ながら懸命に、自分の指を傷つけながらも、りんごの皮を剥いている。
 そして、きっとそれは姉だけではないのだと思う。

 ずっとそうやって守られてきた。なんとなく感じ取りながらも、きちんと向き合ってこなかった。
 でも、もう終わりにしよう。

 守られるだけではだめだ。わたしはもう、そんな子供ではない。

 姉はあいかわらず痛みを堪えるような表情で、唇を引き結んでいる。

「希美、もういいんだ」

 パパが慰めるように言った。

「元はと言えば、パパが余計なことを言い出したのが悪かったんだ」

 わたしの言葉から、十五年前のことだと察しがついたのだろう。ママも口を開いた。

「そうね。遅かれ早かれ、こういう時がくることは予測していたけど。お見合い話なんて勝手に進めなければ、もう少し先延ばしにできたかもね」

 パパは肩をすくめてみせてから、わたしのほうを向く。

「優愛は、おおよそのことを知ったようだね」
「うん……」
「ママも言ったけど、いつかは知られる時がくるとわかっていたんだ。隠し通せるものではないからね」
「それは……福永さんが、わたしを助けてくれた人が……すぐ近くにいたから?」

 パパは頷く。

「順を追って話そう。すべて。希美、辛かったな。パパからも礼を言うよ。ずっと優愛を守ってきてくれて、ありがとう」

 姉の目がみるみるうちに真っ赤になった。
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