54 / 60
【13】
2
しおりを挟む
それから、福永さんは食事が運ばれてきて食べ終わるまで、十五年前の件に関わる一切を口にしなかった。
チーズがたっぷり乗ったペンネを一口食べて「これはうまいな」と言ったあとは、二言三言、やっぱり料理についての感想を言っただけ。
だから、わたしも余計なことは言わなかったし、そうなると相槌ばかりになった。
福永さんとの初めてのちゃんとした食事は、ひどく静かな時間だった。
自宅まで迎えにきてもらっていたから、帰りも福永さんの車に乗り込む。
レストランで落ち合いましょうと提案したのに、福永さんは迎えにいくと言って譲らなかった。以前にパパを送迎したことがあるから、住所は頭に入っているという。目的地に着くまでに、運転しながら心構えしようと思っていたのに、結局は断れなかった。
助手席に座るわたしを、焦りが支配していた。
もしかしたら、福永さんはこのまま重要なことを何も語らず、明日の朝、忽然と姿を消すつもりでいるのかもしれない。
それでは、せっかく勇気を振りしぼった意味がない。
意を決して運転席のほうを振り向いた時、福永さんが先に「人形のようだった」とつぶやいた。
「え……?」
「腕も足も、すべて。冷え切って、ぐったりとして」
背もたれに身体を預けて、フロントガラスへまっすぐに視線を向けたままで吐き出される声は、まるで独り言のようなトーン。
「それ……」
川の中からわたしを助け出した、その瞬間のことに違いない。
どうして今、その話を? 疑問に思ったのも束の間、すぐに悲鳴を上げそうになった。
「顔は白く、まぶたはぴくりとも動かない。目の前で生を手放しかけている少女は、ちょうど妹と同じ年頃で、家で俺の帰りを待ちながら、独りぼっちで意識を失おうとしている妹の顔に重なった」
とっさに口元を手で覆って、飛び出しそうになる慟哭を押さえ込む。顔をダッシュボードに向けて、背中を丸めるようにした。全身が震え出していた。
自分を責めているなんて、やっぱり嘘なのだ。福永さんはわたしを恨んでいる。わたしを助けた代わりに妹は死んだと、今夜改めてわたしを責めるつもりだ。そのために、わたしを迎えにいくと言ったのだ。
「止まっていた呼吸が、再び繰り返され始めるのを見た時。喉の奥から嗚咽がせり上がってきて、堪えるのに必死だった。戻ってきた。生きている。この子は生きている。これからも生きていく。大声で叫びそうになった」
話の向かう先が違ってきたように感じられた。それでもまだ半信半疑で、怯えながらそろそろと身体を起こし、揺れる視線を福永さんに向けた。
「俺が助けた。この手で。傷つけたいだなんて、本気で思えるわけがないだろう」
遠くを見る福永さんの目は、今まで見たことがない弱々しさで、今にも泣き出しそうに見えた。
「ただ、笑はもういない。俺に油断があったせいだ。他の誰のせいでもない。責任ある仕事をしている母親の代わりに、笑の健康管理をするのが俺の役割だったのに」
「ちが……」
違います、わたしのせいです、そう言おうとして、声にならなかった。
福永さんはゆっくりと大きな背中を丸めて前かがみになり、ハンドルに額をつけた。
「いまだに眠ろうとすると、声が聞こえる。苦しい、助けて、どうして帰ってこないの……笑は、今も俺を恨んでいるんだろう。それはそうだ。俺が見殺しにしたも同然なんだから」
「そんな……」
「俺は一生、その罪を背負っていかないとならない。そうだ。君の言う通りだ。俺は人並みに幸せになろうなんて思っちゃいない」
ああ、と悲しみと諦めの狭間のような声を、胸の中に落とした。
福永さんが普段、自分にも他人にも、あんなにも厳しい理由がわかった気がした。
きっと、妹さんに対しての後悔が棘のようになり、心の奥深い場所に、ずっと突き刺さったままでいるからだ。
わたしを助けたために、福永さんは妹さんの窮地に間に合わなかったと知った時。自分はなんて罪深いんだと、生きていることさえ許せなくなった。家族がわたしのせいではないと慰めてくれることが辛かった。
だから、福永さんに責められて、とても悲しかったけど、心のどこかではほっとしていた。
福永さんの周りも、誰も福永さんを責めなかったに違いない。責められなかった。誰よりも福永さんが悲しんで後悔していることなど、誰もが知っていたはずだから。不幸が重なったのだとみんなが福永さんを慰めて、励ましただろう。
それが福永さんは辛かったのだ。責めてほしかった。それで救われるとか救われないとか、そんなことではなく。元々、救われようだなんて思っていない。
だから、わたしの想いも、受け入れる気はない。
福永さんはたぶん、今夜それを伝えたかったのだ。ここから旅立つ前に。
チーズがたっぷり乗ったペンネを一口食べて「これはうまいな」と言ったあとは、二言三言、やっぱり料理についての感想を言っただけ。
だから、わたしも余計なことは言わなかったし、そうなると相槌ばかりになった。
福永さんとの初めてのちゃんとした食事は、ひどく静かな時間だった。
自宅まで迎えにきてもらっていたから、帰りも福永さんの車に乗り込む。
レストランで落ち合いましょうと提案したのに、福永さんは迎えにいくと言って譲らなかった。以前にパパを送迎したことがあるから、住所は頭に入っているという。目的地に着くまでに、運転しながら心構えしようと思っていたのに、結局は断れなかった。
助手席に座るわたしを、焦りが支配していた。
もしかしたら、福永さんはこのまま重要なことを何も語らず、明日の朝、忽然と姿を消すつもりでいるのかもしれない。
それでは、せっかく勇気を振りしぼった意味がない。
意を決して運転席のほうを振り向いた時、福永さんが先に「人形のようだった」とつぶやいた。
「え……?」
「腕も足も、すべて。冷え切って、ぐったりとして」
背もたれに身体を預けて、フロントガラスへまっすぐに視線を向けたままで吐き出される声は、まるで独り言のようなトーン。
「それ……」
川の中からわたしを助け出した、その瞬間のことに違いない。
どうして今、その話を? 疑問に思ったのも束の間、すぐに悲鳴を上げそうになった。
「顔は白く、まぶたはぴくりとも動かない。目の前で生を手放しかけている少女は、ちょうど妹と同じ年頃で、家で俺の帰りを待ちながら、独りぼっちで意識を失おうとしている妹の顔に重なった」
とっさに口元を手で覆って、飛び出しそうになる慟哭を押さえ込む。顔をダッシュボードに向けて、背中を丸めるようにした。全身が震え出していた。
自分を責めているなんて、やっぱり嘘なのだ。福永さんはわたしを恨んでいる。わたしを助けた代わりに妹は死んだと、今夜改めてわたしを責めるつもりだ。そのために、わたしを迎えにいくと言ったのだ。
「止まっていた呼吸が、再び繰り返され始めるのを見た時。喉の奥から嗚咽がせり上がってきて、堪えるのに必死だった。戻ってきた。生きている。この子は生きている。これからも生きていく。大声で叫びそうになった」
話の向かう先が違ってきたように感じられた。それでもまだ半信半疑で、怯えながらそろそろと身体を起こし、揺れる視線を福永さんに向けた。
「俺が助けた。この手で。傷つけたいだなんて、本気で思えるわけがないだろう」
遠くを見る福永さんの目は、今まで見たことがない弱々しさで、今にも泣き出しそうに見えた。
「ただ、笑はもういない。俺に油断があったせいだ。他の誰のせいでもない。責任ある仕事をしている母親の代わりに、笑の健康管理をするのが俺の役割だったのに」
「ちが……」
違います、わたしのせいです、そう言おうとして、声にならなかった。
福永さんはゆっくりと大きな背中を丸めて前かがみになり、ハンドルに額をつけた。
「いまだに眠ろうとすると、声が聞こえる。苦しい、助けて、どうして帰ってこないの……笑は、今も俺を恨んでいるんだろう。それはそうだ。俺が見殺しにしたも同然なんだから」
「そんな……」
「俺は一生、その罪を背負っていかないとならない。そうだ。君の言う通りだ。俺は人並みに幸せになろうなんて思っちゃいない」
ああ、と悲しみと諦めの狭間のような声を、胸の中に落とした。
福永さんが普段、自分にも他人にも、あんなにも厳しい理由がわかった気がした。
きっと、妹さんに対しての後悔が棘のようになり、心の奥深い場所に、ずっと突き刺さったままでいるからだ。
わたしを助けたために、福永さんは妹さんの窮地に間に合わなかったと知った時。自分はなんて罪深いんだと、生きていることさえ許せなくなった。家族がわたしのせいではないと慰めてくれることが辛かった。
だから、福永さんに責められて、とても悲しかったけど、心のどこかではほっとしていた。
福永さんの周りも、誰も福永さんを責めなかったに違いない。責められなかった。誰よりも福永さんが悲しんで後悔していることなど、誰もが知っていたはずだから。不幸が重なったのだとみんなが福永さんを慰めて、励ましただろう。
それが福永さんは辛かったのだ。責めてほしかった。それで救われるとか救われないとか、そんなことではなく。元々、救われようだなんて思っていない。
だから、わたしの想いも、受け入れる気はない。
福永さんはたぶん、今夜それを伝えたかったのだ。ここから旅立つ前に。
0
あなたにおすすめの小説
ブラック企業で倒れた私を、ネトゲ仲間の社長が強制保護して溺愛しています
紅 与一
恋愛
過労で倒れた私を救ったのは、
ネトゲ仲間――そしてIT企業の若き社長。
「もう君は、僕の管理下だよ」
退院と同時に退職手続きは完了。
住む場所も、生活も、すべて彼に囲われた。
外出制限、健康管理、過保護な独占欲。
甘くて危険な“保護生活”の中で、
私は少しずつ彼に心を奪われていく――。
元社畜OL×執着気味の溺愛社長
囲い込み同棲ラブストーリー。
雪の日に
藤谷 郁
恋愛
私には許嫁がいる。
親同士の約束で、生まれる前から決まっていた結婚相手。
大学卒業を控えた冬。
私は彼に会うため、雪の金沢へと旅立つ――
※作品の初出は2014年(平成26年)。鉄道・駅などの描写は当時のものです。
貧乏大家族の私が御曹司と偽装結婚⁈
玖羽 望月
恋愛
朝木 与織子(あさぎ よりこ) 22歳
大学を卒業し、やっと憧れの都会での生活が始まった!と思いきや、突然降って湧いたお見合い話。
でも、これはただのお見合いではないらしい。
初出はエブリスタ様にて。
また番外編を追加する予定です。
シリーズ作品「恋をするのに理由はいらない」公開中です。
表紙は、「かんたん表紙メーカー」様https://sscard.monokakitools.net/covermaker.htmlで作成しました。
ちょっと大人な物語はこちらです
神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な短編物語集です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
神楽坂gimmick
涼寺みすゞ
恋愛
明治26年、欧州視察を終え帰国した司法官僚 近衛惟前の耳に飛び込んできたのは、学友でもあり親戚にあたる久我侯爵家の跡取り 久我光雅負傷の連絡。
侯爵家のスキャンダルを収めるべく、奔走する羽目になり……
若者が広げた夢の大風呂敷と、初恋の行方は?
『愛が切なくて』- すれ違うほど哀しくて
設楽理沙
恋愛
砂央里と斎藤、こじれてしまった糸(すれ違い)がほどけていく様子を描いています。
◆都合上、[言う、云う]混合しています。うっかりミスではありません。
ご了承ください。
斉藤准一 税理士事務所勤務35才
斎藤紀子 娘 7才
毒妻: 斉藤淳子 専業主婦 33才 金遣いが荒い
高橋砂央里 会社員 27才
山本隆行 オートバックス社員 25才
西野秀行 薬剤師 22才
岡田とま子 主婦 54才
深田睦子 見合い相手 22才
―――――――――――――――――――――――
❧イラストはAI生成画像自作
2025.3.3 再☑済み😇
【完結】お嬢様だけがそれを知らない
春風由実
恋愛
公爵令嬢であり、王太子殿下の婚約者でもあるお嬢様には秘密があった。
しかしそれはあっという間に公然の秘密となっていて?
それを知らないお嬢様は、日々あれこれと悩んでいる模様。
「この子たちと離れるくらいなら。いっそこの子たちを連れて国外に逃げ──」
王太子殿下、サプライズとか言っている場合ではなくなりました!
今すぐ、対応してください!今すぐです!
※ゆるゆると不定期更新予定です。
※2022.2.22のスペシャルな猫の日にどうしても投稿したかっただけ。
※カクヨムにも投稿しています。
世界中の猫が幸せでありますように。
にゃん。にゃんにゃん。にゃん。にゃんにゃん。にゃ~。
橘若頭と怖がり姫
真木
恋愛
八歳の希乃は、母を救うために極道・橘家の門を叩き、「大人になったら自分のすべてを差し出す」と約束する。
その言葉を受け取った橘家の若頭・司は、希乃を保護し、慈しみ、外界から遠ざけて育ててきた。
高校生になった希乃は、虚弱体質で寝込んでばかり。思いつめて、今まで養ってもらったお金を返そうと夜の街に向かうが、そこに司が現れて……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる