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「全部、俺の身勝手だ。すまない」
福永さんはそう言って謝ってきた。わたしは弱く首を振る。
「そして、もし君に、俺が君を助けたことを含め、すべてバレたら姿を消す。そういう約束だった。十五年前の事故の裏にある真実を知ったら、君は必ず自分を責めるだろうと思った。俺は、それを見たくなかった」
そういうことだったのか、とすべてがすとんと腑に落ちた気がした。
作り物の話を真実だと聞かされてきたことも、上司がわたしにだけ冷たかったことも、すべてわたしを守るためで。すべて、わたしから離れるための布石でもあった。悲しさに胸が震える。
「見合いの話はたぶん、社長なりの苦肉の先ってところだろうな。どうにかして俺を引き留めようとしたんだ」
「お見合い……」
「心配しなくても、今進んでいるプロジェクトはしっかり努めていくのに」
確かに、そう考えると、パパが唐突にそんなことを言い出してきたことの辻褄が合う。
でも、どうしてあのタイミングだったのか。あの時はまだ、福永さんが恩人だなんて、わたしは露ほども思っていなかったのに。
だけど、そんな疑問は、今はどうでもいい。
「……じゃあ、新店がオープンしたら、福永さんは……どこかへ行ってしまうつもり、ですか? 会社を辞めて……」
訊いておきながら、答えを聞きたくないと思った。スカートを見つめて、その裾を両方のこぶしで握りしめる。
「わたし……福永さんが厳しいだけの人じゃないって、知ってます。口調は厳しくても、世話を焼かずにいられなかったり、さりげなく気遣ってくれたり……部下の好きな飲み物とか、一人一人ちゃんと見て知っててくれてることも」
こんなこと、このタイミングで、福永さんは望んでいないだろうと思う。受け入れてもらえないことも、ちゃんとわかっている。だけど、言いたかった。
「福永さんが上司でよかったって思ってます。だから、どんなに冷たくされても……嫌いになんかなりません。なれません」
とんでもないことを口にしていると思うと、どんなに努力しても、我慢しても、声が震えてしまう。
「嫌いに、なれない」
ぽそりと、福永さんが復唱した。
「妹さんの……笑ちゃんのこと……福永さんがわたしのせいじゃないと言っても、わたしは、自分が無関係だなんてどうしても思えません」
十五年前の、あの事故に関係したすべての人間が、それぞれに少しずつ罪を背負っている。
パパの言ったことは、きっと正しい。
だけど、わたしでは、福永さんを呪縛から解き放てない。
「福永さんが、妹さんのことで一生償っていくというなら……わたしも、ずっと償います。償わせてください」
例え福永さんが遠く離れた場所にいても。
それが、恋を知ったばかりのわたしが今できる、精一杯の告白。
自分の罪を、わたしは忘れない。忘れてはいけないし、忘れられるものでもない。福永さんが抱えるものが、そんなことで少しでも消えればなんて、図々しいことも考えていない。
ただ、一人で抱えて生きていくのは辛すぎる。だから、せめて二人で。
傷も苦しみも決して忘れることなく、お互いの胸に刻み込んでいけたら。
そしたら、それらは、妹さんがこの世にちゃんと生きていた証として、この世界に刻み込まれることにはならないだろうか。
「俺は」
普段、自身を「自分」と呼ぶ福永さんが「俺」と呼ぶ時、それは飾りのない本心なのかもしれない。そう気づくと一言も聞き逃したくなくて、声に集中した。
「卑怯な男だ」
「そんな……」
また首を振る。
「すべてを知った今、君は俺といる時、どうしたって妹の影を感じるだろう。俺は、君が苦しむのを見たくなくて、逃げようとした」
わたしは黙って首を振り続ける。
卑怯だなんて思わない。いつかこんな日がくることを悟りながら、曖昧に限られた時間の中で、出来る限りわたしを見守ろうとしてくれた。
「……もしも、憎しみのままに傷つけることができたら、もっと楽だったのかもなと、考えたこともあった」
「え……」
それは、どういう意味?
「子供だと思っていたのに。ずっと」
それはなんだか折れそうな声で、ふと不安に駆られて、福永さんを見た。福永さんは自分の二つの手のひらを胸の前に広げて、そこに視線を落としていた。
川の中から抱え上げたわたしを、そこに見ているのかもしれない。青白い顔をして、ぐったりとその腕に身体を預ける、ずぶ濡れのわたしを。自分の妹とちょうど同じ年頃の、小さな身体の女の子を。
なぜだか無性に悔しくなって、気がついたら声を出していた。
「わたし……もう子供じゃありません」
溺れていた子供ではなく、命を救われたかつての子供ではなく。妹でもなく。一人の女性として見てほしい。そんなこと、思ってはだめなのに。
福永さんは顔を上げた。
大きな手のひらの一つがこちらへ向かって伸ばされて、わたしの頬に撫でるように触れる。まっすぐにこちらを見据える静かな瞳と表情が、ゆっくりと近づいて、やがて額が額にぶつかった。
「……そんなことは、とっくに知っている」
福永さんが喋ると、熱い息が顔にぶつかった。額も熱い。
あまりの近さに目を開けていられず、きつく閉じたまぶたに、自分も負けずに熱を持っていることに気がつく。心臓の音がうるさい。
「一緒にいても、きっと辛いことばかりだ。それでも、いいのか?」
「え……?」
頭の中が真っ白になる。胸の奥だけで問いかけを繰り返す。
「俺は、君が思うほど出来た男じゃない。卑怯だし、弱い男だ。君の苦しみや辛さを受け止め切れないことも、多々あるだろう。それでも、俺を嫌いになれないと言うのか」
福永さんは、わたしに選択させようとしている。それは、福永さんのほうは、わたしと一緒にいることをいとわない、ということ。
そのことに気づいた時、全身がひときわ大きく揺れた。涙が堰を切って溢れ出す。
「……い、いいんですか?」
だって、わたしが生きている代わりに、妹さんは亡くなったのに。福永さんの家族は、バラバラになってしまったのに。
「俺が訊いている」
福永さんは軽く噴き出したあとで、壊れそうに震えるわたしの手を強く握った。
「俺が訊いているんだ」
そんなの、決まっている。
福永さんはそう言って謝ってきた。わたしは弱く首を振る。
「そして、もし君に、俺が君を助けたことを含め、すべてバレたら姿を消す。そういう約束だった。十五年前の事故の裏にある真実を知ったら、君は必ず自分を責めるだろうと思った。俺は、それを見たくなかった」
そういうことだったのか、とすべてがすとんと腑に落ちた気がした。
作り物の話を真実だと聞かされてきたことも、上司がわたしにだけ冷たかったことも、すべてわたしを守るためで。すべて、わたしから離れるための布石でもあった。悲しさに胸が震える。
「見合いの話はたぶん、社長なりの苦肉の先ってところだろうな。どうにかして俺を引き留めようとしたんだ」
「お見合い……」
「心配しなくても、今進んでいるプロジェクトはしっかり努めていくのに」
確かに、そう考えると、パパが唐突にそんなことを言い出してきたことの辻褄が合う。
でも、どうしてあのタイミングだったのか。あの時はまだ、福永さんが恩人だなんて、わたしは露ほども思っていなかったのに。
だけど、そんな疑問は、今はどうでもいい。
「……じゃあ、新店がオープンしたら、福永さんは……どこかへ行ってしまうつもり、ですか? 会社を辞めて……」
訊いておきながら、答えを聞きたくないと思った。スカートを見つめて、その裾を両方のこぶしで握りしめる。
「わたし……福永さんが厳しいだけの人じゃないって、知ってます。口調は厳しくても、世話を焼かずにいられなかったり、さりげなく気遣ってくれたり……部下の好きな飲み物とか、一人一人ちゃんと見て知っててくれてることも」
こんなこと、このタイミングで、福永さんは望んでいないだろうと思う。受け入れてもらえないことも、ちゃんとわかっている。だけど、言いたかった。
「福永さんが上司でよかったって思ってます。だから、どんなに冷たくされても……嫌いになんかなりません。なれません」
とんでもないことを口にしていると思うと、どんなに努力しても、我慢しても、声が震えてしまう。
「嫌いに、なれない」
ぽそりと、福永さんが復唱した。
「妹さんの……笑ちゃんのこと……福永さんがわたしのせいじゃないと言っても、わたしは、自分が無関係だなんてどうしても思えません」
十五年前の、あの事故に関係したすべての人間が、それぞれに少しずつ罪を背負っている。
パパの言ったことは、きっと正しい。
だけど、わたしでは、福永さんを呪縛から解き放てない。
「福永さんが、妹さんのことで一生償っていくというなら……わたしも、ずっと償います。償わせてください」
例え福永さんが遠く離れた場所にいても。
それが、恋を知ったばかりのわたしが今できる、精一杯の告白。
自分の罪を、わたしは忘れない。忘れてはいけないし、忘れられるものでもない。福永さんが抱えるものが、そんなことで少しでも消えればなんて、図々しいことも考えていない。
ただ、一人で抱えて生きていくのは辛すぎる。だから、せめて二人で。
傷も苦しみも決して忘れることなく、お互いの胸に刻み込んでいけたら。
そしたら、それらは、妹さんがこの世にちゃんと生きていた証として、この世界に刻み込まれることにはならないだろうか。
「俺は」
普段、自身を「自分」と呼ぶ福永さんが「俺」と呼ぶ時、それは飾りのない本心なのかもしれない。そう気づくと一言も聞き逃したくなくて、声に集中した。
「卑怯な男だ」
「そんな……」
また首を振る。
「すべてを知った今、君は俺といる時、どうしたって妹の影を感じるだろう。俺は、君が苦しむのを見たくなくて、逃げようとした」
わたしは黙って首を振り続ける。
卑怯だなんて思わない。いつかこんな日がくることを悟りながら、曖昧に限られた時間の中で、出来る限りわたしを見守ろうとしてくれた。
「……もしも、憎しみのままに傷つけることができたら、もっと楽だったのかもなと、考えたこともあった」
「え……」
それは、どういう意味?
「子供だと思っていたのに。ずっと」
それはなんだか折れそうな声で、ふと不安に駆られて、福永さんを見た。福永さんは自分の二つの手のひらを胸の前に広げて、そこに視線を落としていた。
川の中から抱え上げたわたしを、そこに見ているのかもしれない。青白い顔をして、ぐったりとその腕に身体を預ける、ずぶ濡れのわたしを。自分の妹とちょうど同じ年頃の、小さな身体の女の子を。
なぜだか無性に悔しくなって、気がついたら声を出していた。
「わたし……もう子供じゃありません」
溺れていた子供ではなく、命を救われたかつての子供ではなく。妹でもなく。一人の女性として見てほしい。そんなこと、思ってはだめなのに。
福永さんは顔を上げた。
大きな手のひらの一つがこちらへ向かって伸ばされて、わたしの頬に撫でるように触れる。まっすぐにこちらを見据える静かな瞳と表情が、ゆっくりと近づいて、やがて額が額にぶつかった。
「……そんなことは、とっくに知っている」
福永さんが喋ると、熱い息が顔にぶつかった。額も熱い。
あまりの近さに目を開けていられず、きつく閉じたまぶたに、自分も負けずに熱を持っていることに気がつく。心臓の音がうるさい。
「一緒にいても、きっと辛いことばかりだ。それでも、いいのか?」
「え……?」
頭の中が真っ白になる。胸の奥だけで問いかけを繰り返す。
「俺は、君が思うほど出来た男じゃない。卑怯だし、弱い男だ。君の苦しみや辛さを受け止め切れないことも、多々あるだろう。それでも、俺を嫌いになれないと言うのか」
福永さんは、わたしに選択させようとしている。それは、福永さんのほうは、わたしと一緒にいることをいとわない、ということ。
そのことに気づいた時、全身がひときわ大きく揺れた。涙が堰を切って溢れ出す。
「……い、いいんですか?」
だって、わたしが生きている代わりに、妹さんは亡くなったのに。福永さんの家族は、バラバラになってしまったのに。
「俺が訊いている」
福永さんは軽く噴き出したあとで、壊れそうに震えるわたしの手を強く握った。
「俺が訊いているんだ」
そんなの、決まっている。
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