運命のひとーSADAME NO HITOー

朋藤チルヲ

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「福永様がこの家にお見えになられたのは、旦那様のお迎えのためです」
「パパのお迎え?」

 その用件もまた意外だった。

 それなりの役職に就いている社員が、自分が勤める会社の社長を自宅まで迎えに来ることは、それほど珍しいことではないのかもしれない。

 ただ、パパはよほどのことがなければ、仕事には自分で自家用車を運転していく。
 もし何らかの理由で車が使えない状態であるとか、自分で運転できないのであれば、ママに代行を頼むはずだ。ママが無理な場合でも、姉がいる。

「福永様も同行なさる出張だったんですよ。それだったら、奥様や希美さんに送っていただかなくとも、福永様に直接お迎えに上がっていただければ、手っ取り早いですからね」
「ああ……なるほど」

 奈津さんは布巾を水道水でゆすぐ。ぎゅっと固く絞ったそれを、手で叩き広げてから折りたたんだ。

「でも、そしたら、来たのは朝ってことだよね。でも、わたしは直接は会ってない……学校に行ったあと? いや、違うか。間接的には会ってるんだもんね」

 奈津さんは、「直接的には」会っていないと言った。
 つまり、福永さんがこの家にやってきたその時間、わたしも間違いなく家の中にいたってことだ。でも、覚えていない。

 わたしは首を振った。

「だめ。わかんない」
「ミソラです」
「え?」
「あの日は、ここに美空ミソラ空太クウタを連れてきていました。だから、よく覚えているんです」

 美空と空太は、奈津さんの家の飼い猫だ。
 元々保護猫だった二匹を、子宝に恵まれなかった奈津さんと旦那さんが招き入れた。

「通常は連れてきませんからね。あの日は美空の体調が悪くて。主人も仕事を休めず、かといって誰もいない家に置いておけなくて。奥様に無理を言って、一緒に連れてこさせてもらったんです」
「あ、うん、思い出した! そうそう、ここにキャリーを置いていたんだった」

 大人の猫一匹がすっぽりと入る、丸みを帯びた大きなバッグ。起きた時には二匹分、ダイニングに二つ並べて置いてあった。

「奥様には感謝です。玄関でよかったのに、わたしがダイニングにいることが多いのだからと、ここに置くことを許してくださって」
「うちはみんな、動物好きだもん。家族全員が働いてると、迎え入れるのはなかなか難しいけど」

 だから、かわいい猫を眺めながらご飯が食べられるなんて、むしろご褒美みたいなものだ。

「梅雨の終わり頃でしたよね。急に暑くなって、そのせいでたぶん、胃腸にきてしまったんだと。前の晩に、美空が吐いてしまって。こちらに来る前に、病院で注射を打ってもらったから大丈夫ですよって言っても、優愛さんは美空から目を離さなくて。結局、学校に行く時間ギリギリまで見ていてくれました。それも思い出しました?」
「うん……思い出した」

 興味津々な様子でキャリーから出て、部屋の中をうろうろする空太と違って、美空は丸まってじっと動かなかった。心配で心配でしかたなかった。

 奈津さんが言った通り、学校から帰ってきた頃には、美空はすっかり元気になっていた。わたしの手からおやつを食べてくれて、とても嬉しかったことも思い出した。

「あの時……なの?」

 奈津さんは頷いた。

「ほ、本当に? インターホン鳴った?」

 まるで気がつかなかった。

「インターホンは鳴らしていないんですよ。旦那様が何かの用で外に出た際に、ちょうどお見えになられたようで。柱に身を隠すようにしていたせいもあったのでしょうけど、とにかく優愛さんが美空に夢中だったので」

 奈津さんは少し笑った。

「優愛さんが美空から目が離せないでいたように、福永様も、ダイニングの外から優愛さんを瞬きもせずに見ていましたよ」
「嘘……信じられない」
「すぐに旦那様が来られて出ていかれたので、短い間のことでしたけど」

 瞬きもしないでわたしを見ていた。
 成長したわたしを、福永さんはすぐに自分が助けた少女だと気がついた。そういうことなんだろう。久しぶりの再会で、それだけ動揺したってことだろうか。

「とても、嬉しそうでしたね」
「え?」
「感激していたと言ったほうがいいのか。今にも泣きそうにも見えました」
「わたしと再会したことを……福永さんは喜んでたってこと?」

 わたしのことも家族のことも恨んでいない。
 福永さんはそう言っていた。

 それを聞いて、ほっとしたのは事実。
 でも、心のどこかで、信じ切れていないわたしがいた。もし逆の立場だったら、わたしの家族が亡くなったとして、その原因に福永さんが関係していたとしたら。同じように思えるか、自信がなかった。

 だけど、それは正真正銘の、嘘偽りない言葉だったってことだろうか。わたしは信じてもいいのだろうか。

 穏やかに笑みを浮かべて、奈津さんが答える。

「わたしには、そう見えましたね」
「奈津さんは……その時にはもう、福永さんのことを知ってたの?」

 わたしの問いかけに、奈津さんはカレンダーを見る。目的があって見たわけではなく、どう答えるべきかを、その隙に考えていたのだろうと思う。

「そうですね。事故のことは教えていただいていました。細かいことまでは伺っていませんが」
「わたしを……助けてくれた人だって?」
「とても勇敢な少年がいらしたことは伺っていますよ。その方と柱の影の方が同一人物だということは、あとになって気がついたことですけど」

 わたしは迷ったけど、思い切って言ってみた。

「わたし……その人と、命の恩人とお付き合いできることになって……」

 そのことはまだ家族にも、琴音にも話していない。話すタイミングがなかったせいもあるけど、正直に言うことを怖がっているわたしもいた。

「そうですか。よかったですね」

 奈津さんはにっこり微笑んだ。

「よかった……? うん、よかった、んだよね。あのまま初恋も知らずにいたら、一生結婚もできなかったわけだし」
「そんなことは、わたしは心配していませんでしたよ。優愛さんは必ず、誰かを好きになるだろうってわかっていましたし」
「そうなの?」
「実際、福永様のことは、けっこう前から気になされていたでしょう?」

 そう言われれば確かにその通りで、他の人から見ると丸わかりなんだなと恥ずかしくなった。熱くなった頬をごしごしと手で擦る。

「人との出会いに、無意味なものってないと思うんですよね」

 そんなわたしをクスクスと笑って眺めながら、奈津さんは言った。

「一瞬だけ触れ合う人、長く関わり合う人。どんな人も必ず何かしらの影響をもたらして、特に自分の糧になると思える出会いであるなら、悲しい出来事でさえちゃんと意味があるんだと、わたしは思うんです」

 一言一言、わたしの耳の奥に浸透するようにゆっくりと。

「だから、どんなことがあっても、離したらだめですよ」
「奈津さん……?」
「その人はきっと、優愛さんにとっての運命の人です」
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