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抹茶チョコレート
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長年愛用している布製のソファーは、くすんだヨモギ色。その背もたれに、彼は、とがった顎を預けるようにして、やたらと長く華奢な手足をきゅっとまるめて眠っている。殻の中のヒナみたいだ。
その体勢がいちばん落ち着くのだと、やってきたその日に彼は言った。
せめて横になって伸び伸びと大きくなって寝たほうが、よく眠れると思うのに。苛酷な労働で身体がへとへとに疲れてしまっているからこその技だと、わたしはいつも、少しだけ気の毒に感じてしまう。
小花柄のカーテンは、まだ引いたまま。それでも、薄っぺらな生地から難なく射し込んできてしまう陽射しが、彼の黒い前髪の上に踊っている。
昨夜も午前様だったんだな、と、わたしはその鼻先に、熱いくらいのルイボスティーのカップを突きつけてみた。
鼻の穴をひくひくさせて、ふせたまつ毛とまつ毛の間に細かなシワを寄せる。だけど、その大きな瞳がひらかれることはない。熟睡だ。
わたしはその場にしゃがみこみ、三日ぶりに見る無垢な寝顔を間近で眺めながら、朝食をとる。
朝食って言っても、小さな俵型の抹茶チョコレートをたった二粒だ。一度定位置についてしまうと、そこからほとんど動かない仕事なので、そのくらいのカロリー摂取で、昼食の時間までじゅうぶん事足りる。
満たされすぎると、ロクなことはない。
カロリーも、仕事も、きっと恋愛も。
チョコレートのせいで、よけいに苦みを感じるカップの中のお茶が、三分の一くらいに減った頃。ようやく彼が目を覚ました。
何の細工もしていないのに、くっきりとしたきれいな二重のまぶた。目尻が、筆で書き殴ったみたいにツンと上に向かって跳ねている。まるい瞳孔が、陽に透けたアイスコーヒー色をしている。彼はまた目を閉じる。
「……んー、抹茶チョコの匂いがする」
そりゃそうだ。食べたもの。と、わたしは目尻を下げた。
「身体って、食べたものでできてるってよく言うよね」
そう話す彼は、わたしの目と鼻の先で、あいかわらず顎を背もたれに乗っけたままだ。おそらく、まだ頭の半分以上は覚醒していないのだろう。
わたしは立ち上がり、使用済みのカップを洗うため、流し台に移動する。
「なら、オレの身体は、八十パーセント以上がコーラでできてる」
「それ、飲んだもの、だよね」
背中で聞いた言葉にそう指摘すると、水道水がシンクを叩く音にまぎれて、へへへ、と恥ずかしそうに息を漏らす声がした。
「あとはね、チョコレート。抹茶の」
なぜか得意そうに主張してみせる、外見に似合わない太い声。
自分とはまったく異質の身体と仕組みを持つ彼。そんな当たり前のことを改めて突きつけられ、無防備だったわたしの心臓は、まるでぎゅっとしぼられたみたいな痛みに支配された。眩暈を覚える。
「……二割って、相当だよ」
悟られないよう、なにげなく鼻で笑ってみせると、彼も同じようにして笑う。
「相当だよね」
始まりはアプリだった。いわゆる、出会い系だ。それから頻繁にメールを送り合うようになった。
やり取りをするようになったのは、お互いに寂しかったからにほかならない。彼は現場に入り浸りの若い建築監督で、わたしは自宅に籠りきりのしがないフリーライター。
二人とも、駆けていく日々をただ無言で見送るように生きていた。
家に招き入れたのだって、気まぐれだ。深い思慮があったわけじゃない。どうこうしようなんてことも、ちっとも頭をよぎらなかった。
二十も年の差があっては、誤って不埒な関係に踏み込むこともないと、無意識ながら自分に自負と、少しだけ引け目があったのかもしれない。
それから、彼はたびたびやってくる。
「お腹空いてない? 何か食べる?」
お気に入りの花柄のカップを布巾で拭く手を止めないままに、背中で問いかける。口にしてしまったあとで、何か買ってあったかな、と冷蔵庫の中の品揃えに思いを巡らせた。
買い置き派ではないわたしは、必要なものができるそのたびに、近くのスーパーに出向いている。朝早いこの時間の冷蔵庫は、たぶんたいしたものが入っていない。
わたしのささやかな不安をすばやく察知した彼は、「ううん」と前のめりに返事をした。
「行く途中でコンビニ寄って買うからいい。オレ、こう見えて高給取りだし。他にムダ使いできるとこないからさ」
彼はそう言って、また「へへへ」と笑った。
若いのに、意外と彼は気遣い屋だ。そうさせてしまっているのだろうか。また少しだけ、胸がきゅっとする。
彼は、二十四時間のうちの、実に十六時間を仕事に費やしている。食事やお風呂やその他の諸々の生活の時間を抜いたら、睡眠時間は平均して四~五時間ほどしかない。「眠い」が彼の口癖。建築の世界とはそんなに忙しいものなのか、その方面に明るくないわたしにはわからない。
一方、わたしも一日のうちの半分くらいは執筆にいそしんでいる。でも、わたしの場合、仕事が趣味のところがあるので、彼の本当のところの辛さはきっとわからない。
「あーでも、ちょっと待って」
カップを片づけ、後ろを向いたとき、彼がそう言って背もたれからぐんと身を乗り出した。勢いのまま倒れ込んでしまわないかとハラハラして、わたしは少し濡れた手を振りながら、慌ててそばに駆け寄った。
「チョコ、食べたい。一個、ちょーだい」
そうして、ひざまずいたわたしの目の前で、カパーッと大きな口を開けてみせたので、思わず噴き出してしまった。
「ヒナみたい」
涙が滲むほど笑ってみせたのは、照れ臭かったからだ。胸が、ぺちゃんこになってしまいそうなほどに押しつぶされて、甘い痛みにあえいだことを、悟らせないためだ。
「だよね」
顔をくしゃくしゃにして笑い出した彼の目尻にも、透明な雫が留まっていた。
テーブルの上に置きっぱなしにしていた袋から、抹茶チョコレートを一粒つまみ出して、その口の中にポンと放り込んであげた。
わたしたちは、誕生日が近い。たった二日しか違わない。星座占いをまるきり信じるわけではないけども、そのせいなのか、性格の食い違いがない。愛着を感じるものも、よく似ていた。
ギターでの弾き語りに挫折した曲。なんべんも繰り返しレンタルしてしまう洋画。晴れた空の色と雲との、パキッとしたコントラスト。
同じものを見て、同じように感じる。その波長が驚くくらい重なることには、二人してうなってしまった。
わたしは彼の倍の人生を生きていて、だから、当然だけど、彼はわたしの半分。なのに、これまで培われてきたものが、ほとんど一緒だってことだと思う。なんて不思議なことだろう。でも、もちろん違うところはある。
「抹茶チョコ、大好き」
ちょっぴり渋みのあるそれを口の中で溶かしながら、彼は満足げにそう笑った。
「ねぇ、大好き?」
こちらに同意を求めて小首をかしげるしぐさは、子供っぽいのに、どうしようもなく鼓動を急かさせる。
「好きよ」
言外に別の意味を込めて、わたしはそう微笑む。
だけど、道にはぐれた野良猫は、旅の途中で負った傷が癒えたら、いつかまた旅立ってしまうもの。一ヶ所にじっとしてはいない。美しい猫なら、なおさら。うんと若ければ、それは必然とすら言える。
わかっているから、わたしはいつでも覚悟を決めている。腹をくくっている。人生を上手に生きていくためには、満たされすぎてはいけないのだ。
「あー、もう仕事に行かないといけないなー。遅刻したら上司に怒られる」
ソファーの上にきちんと正座をして、彼は肩をしょんぼりと落とした。
「早く行きなー」
笑いながら腰を上げる。チョコレートの袋を手に持って、戸棚にしまおうとそこから離れるわたしの後頭部に、今度はやや生真面目な声が届いた。
「身体って、食べたものでできてるんだよね?」
振り返ったわたしは、何が言いたいのかわからず、立ち止まってただ彼を見る。すると、大きな目の焦点をじっとわたしにそそいで、彼は言った。
「じゃあ、オレの身体は、あなたでできてる。あなたのそばで、あなたの日々を少しずつ食べて、オレは生きてるんだと思う。これからもずっと、そうして生きたい」
手から、袋が落ちた。緑色の包み紙のチョコレートが散らばる。
わたしたちは、寂しかった。心に空いた、冷たい風が吹き抜ける穴を埋め合うようにして、ここでの日々を過ごしてきた。
だけど、いつのまにか、その正面に立って、痛すぎる風から相手を守るようにして暮らしていた。気まぐれだった心は、知らないうちに形を変えていた。でも、それは、わたしだけだと思っていた。
「……相当だね」
わたしには、きっと、ずっと、彼が必要かもしれない。だけど、彼は、わたしを必要としたらいけない。未来がある。わたしは薄く微笑んだ。
「……でも、迷惑だわ」
なのに、彼は揺るがなかった。意思の強い目で、問いかけてきた。
「例えば、どう迷惑?」
わたしは、何も言わなかった。言えなかった。答えなんて、用意していなかった。
もとより、見つけられるはずがない。彼がここにいて迷惑なことなんて、ひとつもないのだから。視線が突き刺さる。
「……だって、わたし」
そう気づいてしまうと、吐き出すべきことは、それ以外何もなかった。強張る頬を少しゆるめて、無理やり口角を上げてみせたら、泣きそうになった。
「……抹茶チョコ、本当は好きじゃないの。あなたがここにいたら、食べなきゃいけないじゃない。だって、何でも一緒がいいんだもの。今はよくても、そんなの、あなたがいつか困るわ」
すると、彼は、同じような顔をして笑った。泣きそうな、でも、嬉しそうな顔。
ソファーから腰を上げる。そばに寄ってくると、わたしをぎゅうっと力任せに抱きしめた。汗の匂いが弾けて、わたしの中でも何かが爆発したような気分がした。
信じられないことだけど、そうやって触れ合うことは、わたしたちはそれが初めてだった。いつも、怖くてできないでいた。きっと、お互いに。
「オレの身体の中を占める、あなたの割合は、未来永劫、百パーセントだ」
わたしは、ふっ、と鼻から息を漏らして笑ってしまった。同時に涙がこぼれる。その熱い雫が、背が高い彼の白いTシャツの肩口に染み込んだ。
「相当だね……」
そのセリフに、彼も、ふふふ、と笑う。
「だよね」
(fin)
その体勢がいちばん落ち着くのだと、やってきたその日に彼は言った。
せめて横になって伸び伸びと大きくなって寝たほうが、よく眠れると思うのに。苛酷な労働で身体がへとへとに疲れてしまっているからこその技だと、わたしはいつも、少しだけ気の毒に感じてしまう。
小花柄のカーテンは、まだ引いたまま。それでも、薄っぺらな生地から難なく射し込んできてしまう陽射しが、彼の黒い前髪の上に踊っている。
昨夜も午前様だったんだな、と、わたしはその鼻先に、熱いくらいのルイボスティーのカップを突きつけてみた。
鼻の穴をひくひくさせて、ふせたまつ毛とまつ毛の間に細かなシワを寄せる。だけど、その大きな瞳がひらかれることはない。熟睡だ。
わたしはその場にしゃがみこみ、三日ぶりに見る無垢な寝顔を間近で眺めながら、朝食をとる。
朝食って言っても、小さな俵型の抹茶チョコレートをたった二粒だ。一度定位置についてしまうと、そこからほとんど動かない仕事なので、そのくらいのカロリー摂取で、昼食の時間までじゅうぶん事足りる。
満たされすぎると、ロクなことはない。
カロリーも、仕事も、きっと恋愛も。
チョコレートのせいで、よけいに苦みを感じるカップの中のお茶が、三分の一くらいに減った頃。ようやく彼が目を覚ました。
何の細工もしていないのに、くっきりとしたきれいな二重のまぶた。目尻が、筆で書き殴ったみたいにツンと上に向かって跳ねている。まるい瞳孔が、陽に透けたアイスコーヒー色をしている。彼はまた目を閉じる。
「……んー、抹茶チョコの匂いがする」
そりゃそうだ。食べたもの。と、わたしは目尻を下げた。
「身体って、食べたものでできてるってよく言うよね」
そう話す彼は、わたしの目と鼻の先で、あいかわらず顎を背もたれに乗っけたままだ。おそらく、まだ頭の半分以上は覚醒していないのだろう。
わたしは立ち上がり、使用済みのカップを洗うため、流し台に移動する。
「なら、オレの身体は、八十パーセント以上がコーラでできてる」
「それ、飲んだもの、だよね」
背中で聞いた言葉にそう指摘すると、水道水がシンクを叩く音にまぎれて、へへへ、と恥ずかしそうに息を漏らす声がした。
「あとはね、チョコレート。抹茶の」
なぜか得意そうに主張してみせる、外見に似合わない太い声。
自分とはまったく異質の身体と仕組みを持つ彼。そんな当たり前のことを改めて突きつけられ、無防備だったわたしの心臓は、まるでぎゅっとしぼられたみたいな痛みに支配された。眩暈を覚える。
「……二割って、相当だよ」
悟られないよう、なにげなく鼻で笑ってみせると、彼も同じようにして笑う。
「相当だよね」
始まりはアプリだった。いわゆる、出会い系だ。それから頻繁にメールを送り合うようになった。
やり取りをするようになったのは、お互いに寂しかったからにほかならない。彼は現場に入り浸りの若い建築監督で、わたしは自宅に籠りきりのしがないフリーライター。
二人とも、駆けていく日々をただ無言で見送るように生きていた。
家に招き入れたのだって、気まぐれだ。深い思慮があったわけじゃない。どうこうしようなんてことも、ちっとも頭をよぎらなかった。
二十も年の差があっては、誤って不埒な関係に踏み込むこともないと、無意識ながら自分に自負と、少しだけ引け目があったのかもしれない。
それから、彼はたびたびやってくる。
「お腹空いてない? 何か食べる?」
お気に入りの花柄のカップを布巾で拭く手を止めないままに、背中で問いかける。口にしてしまったあとで、何か買ってあったかな、と冷蔵庫の中の品揃えに思いを巡らせた。
買い置き派ではないわたしは、必要なものができるそのたびに、近くのスーパーに出向いている。朝早いこの時間の冷蔵庫は、たぶんたいしたものが入っていない。
わたしのささやかな不安をすばやく察知した彼は、「ううん」と前のめりに返事をした。
「行く途中でコンビニ寄って買うからいい。オレ、こう見えて高給取りだし。他にムダ使いできるとこないからさ」
彼はそう言って、また「へへへ」と笑った。
若いのに、意外と彼は気遣い屋だ。そうさせてしまっているのだろうか。また少しだけ、胸がきゅっとする。
彼は、二十四時間のうちの、実に十六時間を仕事に費やしている。食事やお風呂やその他の諸々の生活の時間を抜いたら、睡眠時間は平均して四~五時間ほどしかない。「眠い」が彼の口癖。建築の世界とはそんなに忙しいものなのか、その方面に明るくないわたしにはわからない。
一方、わたしも一日のうちの半分くらいは執筆にいそしんでいる。でも、わたしの場合、仕事が趣味のところがあるので、彼の本当のところの辛さはきっとわからない。
「あーでも、ちょっと待って」
カップを片づけ、後ろを向いたとき、彼がそう言って背もたれからぐんと身を乗り出した。勢いのまま倒れ込んでしまわないかとハラハラして、わたしは少し濡れた手を振りながら、慌ててそばに駆け寄った。
「チョコ、食べたい。一個、ちょーだい」
そうして、ひざまずいたわたしの目の前で、カパーッと大きな口を開けてみせたので、思わず噴き出してしまった。
「ヒナみたい」
涙が滲むほど笑ってみせたのは、照れ臭かったからだ。胸が、ぺちゃんこになってしまいそうなほどに押しつぶされて、甘い痛みにあえいだことを、悟らせないためだ。
「だよね」
顔をくしゃくしゃにして笑い出した彼の目尻にも、透明な雫が留まっていた。
テーブルの上に置きっぱなしにしていた袋から、抹茶チョコレートを一粒つまみ出して、その口の中にポンと放り込んであげた。
わたしたちは、誕生日が近い。たった二日しか違わない。星座占いをまるきり信じるわけではないけども、そのせいなのか、性格の食い違いがない。愛着を感じるものも、よく似ていた。
ギターでの弾き語りに挫折した曲。なんべんも繰り返しレンタルしてしまう洋画。晴れた空の色と雲との、パキッとしたコントラスト。
同じものを見て、同じように感じる。その波長が驚くくらい重なることには、二人してうなってしまった。
わたしは彼の倍の人生を生きていて、だから、当然だけど、彼はわたしの半分。なのに、これまで培われてきたものが、ほとんど一緒だってことだと思う。なんて不思議なことだろう。でも、もちろん違うところはある。
「抹茶チョコ、大好き」
ちょっぴり渋みのあるそれを口の中で溶かしながら、彼は満足げにそう笑った。
「ねぇ、大好き?」
こちらに同意を求めて小首をかしげるしぐさは、子供っぽいのに、どうしようもなく鼓動を急かさせる。
「好きよ」
言外に別の意味を込めて、わたしはそう微笑む。
だけど、道にはぐれた野良猫は、旅の途中で負った傷が癒えたら、いつかまた旅立ってしまうもの。一ヶ所にじっとしてはいない。美しい猫なら、なおさら。うんと若ければ、それは必然とすら言える。
わかっているから、わたしはいつでも覚悟を決めている。腹をくくっている。人生を上手に生きていくためには、満たされすぎてはいけないのだ。
「あー、もう仕事に行かないといけないなー。遅刻したら上司に怒られる」
ソファーの上にきちんと正座をして、彼は肩をしょんぼりと落とした。
「早く行きなー」
笑いながら腰を上げる。チョコレートの袋を手に持って、戸棚にしまおうとそこから離れるわたしの後頭部に、今度はやや生真面目な声が届いた。
「身体って、食べたものでできてるんだよね?」
振り返ったわたしは、何が言いたいのかわからず、立ち止まってただ彼を見る。すると、大きな目の焦点をじっとわたしにそそいで、彼は言った。
「じゃあ、オレの身体は、あなたでできてる。あなたのそばで、あなたの日々を少しずつ食べて、オレは生きてるんだと思う。これからもずっと、そうして生きたい」
手から、袋が落ちた。緑色の包み紙のチョコレートが散らばる。
わたしたちは、寂しかった。心に空いた、冷たい風が吹き抜ける穴を埋め合うようにして、ここでの日々を過ごしてきた。
だけど、いつのまにか、その正面に立って、痛すぎる風から相手を守るようにして暮らしていた。気まぐれだった心は、知らないうちに形を変えていた。でも、それは、わたしだけだと思っていた。
「……相当だね」
わたしには、きっと、ずっと、彼が必要かもしれない。だけど、彼は、わたしを必要としたらいけない。未来がある。わたしは薄く微笑んだ。
「……でも、迷惑だわ」
なのに、彼は揺るがなかった。意思の強い目で、問いかけてきた。
「例えば、どう迷惑?」
わたしは、何も言わなかった。言えなかった。答えなんて、用意していなかった。
もとより、見つけられるはずがない。彼がここにいて迷惑なことなんて、ひとつもないのだから。視線が突き刺さる。
「……だって、わたし」
そう気づいてしまうと、吐き出すべきことは、それ以外何もなかった。強張る頬を少しゆるめて、無理やり口角を上げてみせたら、泣きそうになった。
「……抹茶チョコ、本当は好きじゃないの。あなたがここにいたら、食べなきゃいけないじゃない。だって、何でも一緒がいいんだもの。今はよくても、そんなの、あなたがいつか困るわ」
すると、彼は、同じような顔をして笑った。泣きそうな、でも、嬉しそうな顔。
ソファーから腰を上げる。そばに寄ってくると、わたしをぎゅうっと力任せに抱きしめた。汗の匂いが弾けて、わたしの中でも何かが爆発したような気分がした。
信じられないことだけど、そうやって触れ合うことは、わたしたちはそれが初めてだった。いつも、怖くてできないでいた。きっと、お互いに。
「オレの身体の中を占める、あなたの割合は、未来永劫、百パーセントだ」
わたしは、ふっ、と鼻から息を漏らして笑ってしまった。同時に涙がこぼれる。その熱い雫が、背が高い彼の白いTシャツの肩口に染み込んだ。
「相当だね……」
そのセリフに、彼も、ふふふ、と笑う。
「だよね」
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