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【人間界1】

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 湿度の高い浴室に、軽快な電子音が響いた。
 慌てて書籍を脇に抱え直して、マントのポケットを探る。スマートフォンを引っ張り出した。

「申し訳ありません」

 職務に必要と職場から支給されているものなので、しかたがないが、こういった新しい電子機器は扱いが難しい。手間取りつつも三角耳にかざすと、開口一番、謝罪した。
 向こう側で、同僚は「いいって。どうせまたトラブっているんだろ?」と理解あるとも皮肉っているとも取れる声を出した。

「おい、声が遠いぞ」
「しかたがないではありませんか。耳に当てないと聞こえませんし、そうなると口元までが遠いので」

 スピーカーにしろよ、いつも言っているだろ、と言われたが、操作を覚えていないのでガン無視した。
 回収に時間がかかり、案じたと言うよりしびれを切らした同僚が、連絡をよこすことは毎度のことだ。

「早く解決できるように、尽力いたします」
「深刻なのか?」
「深刻と言えば、深刻です」

 あなたが楽観視していた事柄がまさに起きたのだ、と文句をぶつけたところで、事態は好転しない。

「そっか。でもまぁ、なんだかんだ言っても、お前はきちんとやり遂げるからな」
「褒めてくださるなんて気色悪いですね。何か企んでいますか」

 舌打ちが聞こえたかと思うと、「実は」と切り出してきた。案の定だ。

「そこのすぐ近くで、新刊が出た。お前、そっちも行ってきてくれないか」
「そっちも、って」正気なのだろうか。

「回収にまだ手間取りそうなんだろ?」
「それはそうですが……白紙の書はどうするんです。余分には持ってきていませんよ」
「とりあえず、手持ちの分で間に合わせておいてくれ。あとの分はどうにかするからさ」
「どうにかって」なんてアバウトな。
「頼むよ、76番。こっちが急に混み合っちゃって、すぐに出向できそうなスタッフがいないんだ。魂が迷子になったら困る」

 深く息を吐いた。

「高くつきますよ」
「あぁ、悪いな。帰ってきたら埋め合わせに、上等な鰹のたたきをおごるぜ」
「芋焼酎もつけていただけますか」

 また舌打ちが聞こえた。
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