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【人間界8】
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その時、子供のはしゃいだ声が降ってきた。
はっとして顔を上げる。墓地を囲む塀の向こうからだ。
「お婆ちゃん。桜。きれい」
「うん、きれいだね」
どうやら、幼児とその祖母が、塀の向こうを通りかかったらしい。この近くにあるという保育園からの帰りなのだろう。
塀は高さがあり、こちらから人物が見えないように、向こうからも見えないはずだとは思うが、きゅっと緊張する。見ると、男も神妙な表情で声のするほうを眺めていた。
「お母さんのとこ、寄りたい」
「うん。あとにしようねえ」
声は立ち止まっている。移動せずに、そこでしだれる桜を眺めている気配がある。
季節を感じているところ、申し訳ないが、早く立ち去ってほしい。今の男にとっては、一分一秒だって惜しいはずなのだ。
「あ、お父さんがくるんだった!」
子供が急に声を弾ませる。声の感じからすると、女の子のようだ。
「そうだね」
変わって祖母の声は、あまり歓迎の色がうかがえない。
「毎月、よく忘れずにくるよ。もっとあっさりした男なのかと思っていたけど」
「お父さん、いつも、きれいなお花買ってくる!」
「お婆ちゃんとの約束だからだよ。それも……今日で終わりだね」
「早く帰ろ。お父さん、お婆ちゃんちにきちゃう」
「連絡がこないから、お父さんはまだお仕事だよ。ねえ」
「なあに?」
「毎月、お父さんと会えるの、楽しみ?」
「うん!」
「お父さんと、暮らしたい?」
「うん」
「お婆ちゃんと、お爺ちゃんと、一緒のほうがよくない? お父さんはお仕事が忙しいから、あんまり遊んでくれないでしょう」
そこで、少し間が空いた。
「遊んでくれなくてもいいよ。お父さんと会えないの、寂しいもん。お母さんがいた時みたいに、お父さんのおうちで、帰ってくるの待つの」
「そう」
ため息には、落胆と同じくらいの濃さで、諦めも滲んでいた。
「じゃあ、早く帰ろう。お洋服とかおもちゃとかまとめなくちゃ」
祖母の声が、急にすっきりとした雰囲気をまとった。
「お父さんのおうちに、帰れる?」
「約束だからねえ」
女の子のきゃらきゃらと喜ぶ声が上がる。
「たまには、お婆ちゃんちに遊びにきてね」
「行くよー。お父さんといっぱい行く!」
「いい子だねえ、さやかちゃんは」
そして、遠ざかっていった。
「さやか……?」
胸がざわついた。その名前。
男を見る。墓石に向き直った顔は、嬉しそうに微笑んでいる。だけど、その目からは、こぼれるはずのない涙が光って見えた。
「まさか、今のお子様は」
「ばれちまった、な」
「やはり、あなたの……?」
男の子供。そうか。なぜ思いつかなかったのだろう。ここが菩提寺であるなら、妻が生まれ育った家がこの近所であっても、何も不思議なことではない。
ならば、祖母らしき声の女性は、男にとっての義理の母親、ということか。
「お子様は、ずっと奥様のご実家に?」
「たぶんさ、俺にはできないって、そう思ったんだろ」
「子育てが、でしょうか?」
「俺は、いいかげんだからな」
はは、と乾いた笑いを男は吐き出す。
「義理の両親に、あまり、好かれてねぇし」
「……そうでしたか」
これもまた想像でしかないが、男手一つでの子育てとは、やはり大変なものなのだろう。子供というものは、どうしても母親を求めるものだと聞く。男は甲斐甲斐しいほうではなさそうだし、出会ってばかりの時であれば、無理でしょうね、と即答しただろうと思う。でも、今は。
「やってみなくては、わからないでしょうに」
やる時は、それなりにやる男に違いない。そう信じられるようになった。
「ありがと、な」
男は照れ臭そうに笑った。
「だから、花はずっと、奥さんの実家に、持っていっていたんだ」
「なるほど」
「だけど、さすがに今回は、そうもいかないだろ?」
「そうですね」
そこまでの説明に、矛盾を感じるところはない。ただ。
「では、約束、というのは?」
月命日に花を届けることは、自分との約束だ、と義母は言っていた。そんな約束事をかわさずとも、男ならすすんで、時間が許せば毎日だって実家に訪れたはずだ。
「約束、か」
「はい」
「実家にきていいのは、毎月、一回だけ。月命日だけ」
「ああ」
「それが、義両親が出した、条件だった」
はっとして顔を上げる。墓地を囲む塀の向こうからだ。
「お婆ちゃん。桜。きれい」
「うん、きれいだね」
どうやら、幼児とその祖母が、塀の向こうを通りかかったらしい。この近くにあるという保育園からの帰りなのだろう。
塀は高さがあり、こちらから人物が見えないように、向こうからも見えないはずだとは思うが、きゅっと緊張する。見ると、男も神妙な表情で声のするほうを眺めていた。
「お母さんのとこ、寄りたい」
「うん。あとにしようねえ」
声は立ち止まっている。移動せずに、そこでしだれる桜を眺めている気配がある。
季節を感じているところ、申し訳ないが、早く立ち去ってほしい。今の男にとっては、一分一秒だって惜しいはずなのだ。
「あ、お父さんがくるんだった!」
子供が急に声を弾ませる。声の感じからすると、女の子のようだ。
「そうだね」
変わって祖母の声は、あまり歓迎の色がうかがえない。
「毎月、よく忘れずにくるよ。もっとあっさりした男なのかと思っていたけど」
「お父さん、いつも、きれいなお花買ってくる!」
「お婆ちゃんとの約束だからだよ。それも……今日で終わりだね」
「早く帰ろ。お父さん、お婆ちゃんちにきちゃう」
「連絡がこないから、お父さんはまだお仕事だよ。ねえ」
「なあに?」
「毎月、お父さんと会えるの、楽しみ?」
「うん!」
「お父さんと、暮らしたい?」
「うん」
「お婆ちゃんと、お爺ちゃんと、一緒のほうがよくない? お父さんはお仕事が忙しいから、あんまり遊んでくれないでしょう」
そこで、少し間が空いた。
「遊んでくれなくてもいいよ。お父さんと会えないの、寂しいもん。お母さんがいた時みたいに、お父さんのおうちで、帰ってくるの待つの」
「そう」
ため息には、落胆と同じくらいの濃さで、諦めも滲んでいた。
「じゃあ、早く帰ろう。お洋服とかおもちゃとかまとめなくちゃ」
祖母の声が、急にすっきりとした雰囲気をまとった。
「お父さんのおうちに、帰れる?」
「約束だからねえ」
女の子のきゃらきゃらと喜ぶ声が上がる。
「たまには、お婆ちゃんちに遊びにきてね」
「行くよー。お父さんといっぱい行く!」
「いい子だねえ、さやかちゃんは」
そして、遠ざかっていった。
「さやか……?」
胸がざわついた。その名前。
男を見る。墓石に向き直った顔は、嬉しそうに微笑んでいる。だけど、その目からは、こぼれるはずのない涙が光って見えた。
「まさか、今のお子様は」
「ばれちまった、な」
「やはり、あなたの……?」
男の子供。そうか。なぜ思いつかなかったのだろう。ここが菩提寺であるなら、妻が生まれ育った家がこの近所であっても、何も不思議なことではない。
ならば、祖母らしき声の女性は、男にとっての義理の母親、ということか。
「お子様は、ずっと奥様のご実家に?」
「たぶんさ、俺にはできないって、そう思ったんだろ」
「子育てが、でしょうか?」
「俺は、いいかげんだからな」
はは、と乾いた笑いを男は吐き出す。
「義理の両親に、あまり、好かれてねぇし」
「……そうでしたか」
これもまた想像でしかないが、男手一つでの子育てとは、やはり大変なものなのだろう。子供というものは、どうしても母親を求めるものだと聞く。男は甲斐甲斐しいほうではなさそうだし、出会ってばかりの時であれば、無理でしょうね、と即答しただろうと思う。でも、今は。
「やってみなくては、わからないでしょうに」
やる時は、それなりにやる男に違いない。そう信じられるようになった。
「ありがと、な」
男は照れ臭そうに笑った。
「だから、花はずっと、奥さんの実家に、持っていっていたんだ」
「なるほど」
「だけど、さすがに今回は、そうもいかないだろ?」
「そうですね」
そこまでの説明に、矛盾を感じるところはない。ただ。
「では、約束、というのは?」
月命日に花を届けることは、自分との約束だ、と義母は言っていた。そんな約束事をかわさずとも、男ならすすんで、時間が許せば毎日だって実家に訪れたはずだ。
「約束、か」
「はい」
「実家にきていいのは、毎月、一回だけ。月命日だけ」
「ああ」
「それが、義両親が出した、条件だった」
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