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最終話 美味しいハーブティーの作り方
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鍵を開けて中へ入ると、カウンターの上にあるエプロンを身につける。そうして、文具の入った段ボールを運んでくると、やりかけだったポップ作りに取り掛かる。
しばらく熱中して作っていたが、ひと段落つくと、沙代子は何気なくガラス窓の方へ目を向けた。
毎日ここへ来るようになって気づいたが、詩音さんは朝夕と2回、パティスリーの前を通る。
自転車屋のおじさんの話によると、二十日通りを抜けた先にある法律事務所で働いているらしい。彼女は宮寺院長の一人娘だったが、医師にはならず、法律関係の仕事についているとのことだった。
そして今日も、品の良いコートを着た詩音さんがパティスリーの前を通っていった。
あれから、天草さんに会っているのだろうか。沙代子がまろう堂を訪れても、詩音さんの話はしない。沙代子も何も聞けず、普段通り、穏やかに接してくれる彼に甘えたままだ。
「あっ……」
沙代子はカウンターから飛び出した。詩音さんが戻ってきて、ガラス窓越しにこちらをのぞいたからだ。
「ごめんなさい。あなたが見えたから」
ドアを開けると、詩音さんはホッとした笑みを浮かべて頭を下げた。
「これからお仕事ですか?」
「ええ。でも少し時間があるの。話せる?」
「立ち話で良ければ」
沙代子は後ろ手にドアを閉め、店先で彼女と向かい合う。
自転車屋さんのおじさんが通りに出てきたが、沙代子たちに気づくと引っ込んでいった。明日にはまたうわさが広まるかもしれないが、かまわない。
母の罪のために、沙代子が苦しむ必要なんてない。それは、詩音さんも同じだから、お互いに堂々としていればいい。彼女はこれまでもそうして鶴川で生きてきたはずだ。だから凛とした美しさで天草さんを惹きつけた。
ちょっと羨ましい。詩音さんを見ると浮かぶ感情は、嫉妬だろう。沙代子も鶴川に残って育っていたら、詩音さんと天草さんが恋に落ちることはなかったのだろうかと考えずにはいられない。
「あれから、志貴には会ってる?」
詩音さんは当然のように、彼とのことを尋ねてきた。
「それはもちろん。パティスリーのオープンに向けて、天草さんのご家族には助けてもらってるんです」
「そう。天草のおじさんとおばさん、いい人だものね。葵さん……あなたのお父さんと仲良くしてて、心ないうわさなんて全然気にしない人たちなんだって思ったわ」
「それは、父が農園のお客さんだったから」
「そうね。でも、それだけじゃないでしょう? 葵さんはいい人だったもの」
葵さんは、と強調したように感じた。
沙代子には言わないが、天草家の人々は宮寺院長とも仲良くしていたのではないだろうか。分け隔てのない愛情を誰にでも注ぐ一家のような気がして、そう思う。
宮寺院長はどんな人なんだろうか。沙代子は小さい頃、宮寺内科を受診したことがあったが、あまりよく覚えていない。
「私は……離れて暮らしていたから、あまり父を知らないんです。詩音さんのお父さんがどういう方かも知りません」
「私の父のことはいいの。どちらかというと軽蔑してるから、どう思われてても気にしない」
沙代子がハッと息をのむと、彼女は複雑そうな笑みを浮かべて、くすりと笑う。
「私ね、志貴はタイプじゃなかったのよ」
父親の話はしたくないと、明確な意思表示をするように、彼女はそう言った。
しばらく熱中して作っていたが、ひと段落つくと、沙代子は何気なくガラス窓の方へ目を向けた。
毎日ここへ来るようになって気づいたが、詩音さんは朝夕と2回、パティスリーの前を通る。
自転車屋のおじさんの話によると、二十日通りを抜けた先にある法律事務所で働いているらしい。彼女は宮寺院長の一人娘だったが、医師にはならず、法律関係の仕事についているとのことだった。
そして今日も、品の良いコートを着た詩音さんがパティスリーの前を通っていった。
あれから、天草さんに会っているのだろうか。沙代子がまろう堂を訪れても、詩音さんの話はしない。沙代子も何も聞けず、普段通り、穏やかに接してくれる彼に甘えたままだ。
「あっ……」
沙代子はカウンターから飛び出した。詩音さんが戻ってきて、ガラス窓越しにこちらをのぞいたからだ。
「ごめんなさい。あなたが見えたから」
ドアを開けると、詩音さんはホッとした笑みを浮かべて頭を下げた。
「これからお仕事ですか?」
「ええ。でも少し時間があるの。話せる?」
「立ち話で良ければ」
沙代子は後ろ手にドアを閉め、店先で彼女と向かい合う。
自転車屋さんのおじさんが通りに出てきたが、沙代子たちに気づくと引っ込んでいった。明日にはまたうわさが広まるかもしれないが、かまわない。
母の罪のために、沙代子が苦しむ必要なんてない。それは、詩音さんも同じだから、お互いに堂々としていればいい。彼女はこれまでもそうして鶴川で生きてきたはずだ。だから凛とした美しさで天草さんを惹きつけた。
ちょっと羨ましい。詩音さんを見ると浮かぶ感情は、嫉妬だろう。沙代子も鶴川に残って育っていたら、詩音さんと天草さんが恋に落ちることはなかったのだろうかと考えずにはいられない。
「あれから、志貴には会ってる?」
詩音さんは当然のように、彼とのことを尋ねてきた。
「それはもちろん。パティスリーのオープンに向けて、天草さんのご家族には助けてもらってるんです」
「そう。天草のおじさんとおばさん、いい人だものね。葵さん……あなたのお父さんと仲良くしてて、心ないうわさなんて全然気にしない人たちなんだって思ったわ」
「それは、父が農園のお客さんだったから」
「そうね。でも、それだけじゃないでしょう? 葵さんはいい人だったもの」
葵さんは、と強調したように感じた。
沙代子には言わないが、天草家の人々は宮寺院長とも仲良くしていたのではないだろうか。分け隔てのない愛情を誰にでも注ぐ一家のような気がして、そう思う。
宮寺院長はどんな人なんだろうか。沙代子は小さい頃、宮寺内科を受診したことがあったが、あまりよく覚えていない。
「私は……離れて暮らしていたから、あまり父を知らないんです。詩音さんのお父さんがどういう方かも知りません」
「私の父のことはいいの。どちらかというと軽蔑してるから、どう思われてても気にしない」
沙代子がハッと息をのむと、彼女は複雑そうな笑みを浮かべて、くすりと笑う。
「私ね、志貴はタイプじゃなかったのよ」
父親の話はしたくないと、明確な意思表示をするように、彼女はそう言った。
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