失くしたあなたの物語、ここにあります

最終話 美味しいハーブティーの作り方

7

「え……」
「父が浮気したのは、葵さんのお母さんが初めてじゃないの。母の苦労を見て育ったのにね、好きになるのは父みたいな人ばっかり。だから、志貴に告白されたときは考えられなかった」
「じゃあ、なんで……」
「そのときに付き合ってた人が浮気したから。彼とは別れて志貴と付き合ったの。志貴は誠実だった。私の知る誰よりも誠実な人よ」
「それなのに、別れたんですか？」

　詩音さんはどこか悲しげに沙代子を見つめた。その目は、別れたことを後悔している目だ。

「志貴もあなたのお父さんと親しくしてたのは知ってるでしょう？　それなのに、私の父とあなたのお母さんの関係を知らなかったのよ。彼の周りにはいつも、くだらないうわさ話をするような人はいなかった。純粋な志貴はね、葵さんの話をむじゃきに私にするの。『銀一さんはわけあってお嬢さんと離れ離れに暮らしてるんだよ。お父さん子だったらしいからかわいそうだけど、元気に暮らしてるらしくてよかった』って」
「それは、いやでしたよね」
「ええ、いやだった。私の父があなたを苦しめたって言われてるみたいでいやだった」

　詩音さんはきっぱりと言う。

　間接的とはいえ、母の罪が天草さんと詩音さんとの仲を引き裂いたのかもしれない。そう思うと、動揺してしまう。

「志貴と結婚したら、私と母を苦しめた葵家の人たちとの付き合いもしなきゃいけない。そう思ったら、志貴とは一緒にいられなくなったの」
「結婚……」
「志貴とは、そういうのを意識した仲だったわ。無理な話だったのにね」
「無理でしたか？」
「無理に決まってる。あなたには弟もいるじゃない。会うのは怖かったわ」

　沙代子は、やはりと思う。『お腹の子は宮寺院長の息子』という無責任なうわさ話に彼女は傷ついていた。

「弟は父と母の子です」
「そうね……。先日、ここでお見かけしたわね。あの子よね？　雰囲気があなたのお父さんにそっくりだったから、ホッとしたの」

　彼女がようやく、穏やかな笑みを見せたから、沙代子もホッとした。

　悠馬にはもう傷ついてほしくない。詩音さんなら、この真実を宮寺院長に話してくれるだろう。そうして、真実が鶴川に広まればいい。

「私ね、婚約者がいるのよ」

　何か吹っ切れた様子で、彼女はそう言う。

「そうなんですか？」
「彼は医師なの」
「えっ、じゃあ……」
「勘違いしないで。病院を継ぐために結婚するんじゃないのよ。好きになった人が医師だっただけ。でも、父は喜んだわ。きっと、志貴だったら反対されてた」

　どう転がっても、天草さんとは無理だった。詩音さんの目は悲しそうにそう語っている。

「今でも天草さんのこと好きなんだとばかり……」
「好きよ。きっと、好き。だって、いい人だもの。だから、志貴に新しい恋人ができたって聞いて、あなたに会いたかったの。どんな人だろうって。志貴を幸せにしてくれる人なのか、知りたかったの」

　それが、葵沙代子だったのは、彼女にとって最大の皮肉だったのだろうが。

「でも私は……」
「付き合ってないなんて、うそでしょう？」

　うそではない。だけれど、沙代子は天草さんが好きだ。臆病すぎるぐらい臆病になってしまっているけれど、うそになる日が来たらいいと思う自分もいる。そう思うと、肯定も否定もできない。

　黙り込む沙代子に、詩音さんはそっと言う。

「志貴はあなたが好きよね？　私ね、後悔してるの。それは彼を傷つけたことに対しての後悔。今は幸せになってもらえたらうれしいって思ってる。それだけ」