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第1章 戦国の大海原 1567年7月~

第二十三話 その後、新たなる足音

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 戦の後は何もなかったかの如く、普段通りの日常が始まるものだった。

 「遠藤、清重の様子を見てこい。」
 久方ぶりに聞いたような男の声。ゆっくりと瞼を開けると、そこには遠藤の顔。
 「えんどう……」
 「驚いた、相当疲れてたんだな。お前」
 其の言葉の意味を知った俺は、微かに苦笑した。

 あの戦の後、信長から帰還の許可を貰った俺と遠藤、そして秀吉は赤坂の屋敷に戻る為に、。信長が稲葉山城へ拠点を移したことを、赤坂に伝える為である。
 しかし屋敷の門をくぐった瞬間、俺はその場に倒れてしまったらしい。今の今まで、丸一日ずっと眠っていた様だ。
 俺が眠っていた間に、秀吉は赤坂に全てを話す。無論赤坂は、信長が斎藤龍興を下したことを知っており、共に美濃に向かうことを決めた。

 《この屋敷とも暫くはお別れだな。》
 その時の赤坂は、少し寂しそうだったと、遠藤は言った。



 「水、飲むか。」
 俺は手渡された湯呑を持ち、ぐっと飲み干す。
 「目が覚めて良かった、落ち着いたら広間に来てくれ。俺は少し外に出てくるから。」
 俺はその言葉に頷き、遠藤は立ち上がって部屋を出て行く。

 俺は開けられた障子から外を見る。
 立派な庭園が、そこに広がる。
 あれほど慌ただしかったことが、嘘の様に穏やかだった。

 (まるで夢の様だな。)
 そうだ、俺は夢を見ているのかもしれない。
 今までも、そしてこれからも続くだろう、長い長い夢を。

 俺は首をふるふると振るう。
 また、理想に逃げていた。
 もう逃げないと決めた筈なのに。



 俺は立ち上がり、広間へと向かう。
 「お、目覚めたか。」
 赤坂が此方を見て微笑んでいた。
 こうして俺は元の日常を、改めて実感するのである。

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 「其方が目覚めたということは、恐らく明日には此処を発つことになろうな。」
 久方ぶりに屋敷で食事を摂る俺に、赤坂は言う。どうやら自分が眠っていたことで、美濃に戻る時期を少しばかりずらしていたようだ。

 「そういえば、秀吉さんは……」
 「藤吉郎なら、既に此処を発っておる。今は儂と其方と遠藤の三人じゃ。」

 恐らく、戦後の処理に追われているのだろう。俺は秀吉と初めて出会った時のことを、改めて思い返す。

 あの日と同じことを、今もやっているのだろうか。




 「あの、赤坂さんはどうして、戦に参加しなかったんですか?」
 俺の質問に赤坂は動きを止める。

 「……儂も以前は加わっておったのだが、ある戦の傷で、左足を槍で刺されてしもうてな。」
 「あし……?」
 「普段過ごす位ならば支障はないのだが、いざ他国の遠征となると痛みが増し、傷口が持たぬ。そんなことでは、戦など出来る筈が無かろう?」

 どうやら赤坂が戦に参加しなくなったのは、最近のことの様だ。

 「このままだと刀を振る感覚を忘れてしまうと思うてな、以前刀を持ってみたのだが、既に忘れかけていた。故に近頃は暇さえあれば刀を振っておるのだが、やはり直ぐには戻らぬものじゃ。それでも、織田家家臣として居られるのは、誠に有難いことであるな。」

 赤坂重国、彼はきっと信頼されているのだろう。
 この人がもし織田家家臣としてこの地で出会っていなければ、今頃こんな風に飯を食べることも出来ていなかった筈だ。

 「しかし、やはり戦は好かぬ。」一言だけそう言って、笑った。

 この人の為に、何か出来ることは無いだろうか。

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 「殿、佐久間にございます。」
 佐久間の声を聞き、外を眺めていた信長は、脇息に肘を置いて向き直る。

 「其方は《足利義昭あしかがよしあき公》を知っておるか?」
 突然の問いに、佐久間は少々驚いてしまった。
 「義昭公……にございますか?」
 「佐久間、あの男をどう見る。」
 「どうと申されましても……何故そのようなことを?」
 「分からぬか。あの男こそが、織田家の行先に関わる重要な一手と成り得るのだ。」

 流石の佐久間にも、直ぐには分からなかった。
 (義昭公とは幾度か相見えたことはあるが、会ったのみで話したことは無いからのぉ……)
 腕を組み唸る佐久間の様子を見て、信長は息を吐く。

 「問を変える。もし儂が此処で〈あやつら〉を追討すると宣言したならば、其方はどうする。」
 「……!」

 その時、佐久間は気づく。
 「〈あやつら〉とは……かの《三好勢》にございますか?」
 「そうじゃ。美濃に続く二つ目の三人衆、奴らの事よ。」


 二年前の一五六五年 (永禄八年)、京付近での影響力を伸ばしていた三好長逸、三好政康、岩成友通の三人(通称《三好三人衆》)が、対立していた十三代将軍の足利義輝を暗殺。其れに際し、十四代将軍に義輝の従弟いとこである足利義栄を将軍に立てようとしている。三人衆は義輝の弟である義昭の暗殺をも謀っていたが、この動きを察知した幕臣達の支えによって難を逃れたという。

 「もしや、義昭公を次期将軍に立てた暁として、京に上洛すると?」
 「その通りじゃ。佐久間、此れを見てみよ。」

 信長が取り出し、佐久間に突きつけたのは一枚の紙。そこに書かれていた四文字の言葉。

 「天下……布武……」
 信長は笑みを浮かべる。
 「此れは沢彦殿に頂いたものじゃ。善い響きであろう。」

 沢彦宗恩たくげんそうおんは、信長の幼少期からの世話係として、後の参謀として活躍した人物。稲葉山城を落とした際に改名した《岐阜》という地名は、沢彦が信長に進言したものだという説もある程、信長に深く関わっていたのである。

 「領地を広げる為にと、近隣諸国に目を向けすぎる。そんなことではこの乱世を終わらせることなど到底叶わぬ。そうであろう。」

 佐久間は、内心恐怖を覚えていた。
 殿には、自分達に見えないものが見えている。

 この御方は、本気でこの乱世を終わらすつもりだ。
 背中にぞくりと寒気を感じた佐久間は、無理に笑顔を浮かべた。

 「だが、其の為には支度をせねばならぬ。佐久間、我らはこれより、近江の浅井氏と同盟を結ぶ。」

 近江は美濃の隣、今の滋賀県に位置している。織田家にとっては、京への道筋として重要な場所であるのは違いなかった。

 「浅井家当主、浅井長政の元へ嫁がせる。」
 「何方どなたを嫁がせるおつもりで?」
 「決まっておる。儂の妹の市だ。」
 「お市様を......」
 信長は目を細める。

 「まぁ京への道筋を創る為だ。安いものよ。」


 お市の方。言わずと知れた、信長の妹である。戦国一の美女と謳われる彼女は、近隣諸国でも有名になる程美しかったという。


 「信盛、先程のことを全て、サルや可成に伝えておけ。」
 「は、秀吉殿に?」
 「奴には侍大将の役を与えた。今や可成と同格じゃ。」

 (確かに奴の此度の働きは、光るものがあったな。)
 佐久間は腕を組み、感心した。

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 「よし、着いたぞ。」
 赤坂は俺達に声をかける。以前とは違い、馬に乗った俺達は半日ほどで着くことができた。
 「いてて、乗りっぱなしで尻が痛い......」
 「まさか馬に乗れるようになるなんてなぁ。」
 俺たちはお互いの目を見て、苦笑した。

 「赤坂殿、お久しゅうございますなぁ。」
 言葉をかけられる度に、赤坂は相槌を打つ。俺は其の様子を見ていた。

 「赤坂さん、信頼されているんですね。」
 「元は組頭として隊を率いておった故な、其の名残じゃ。」

 馬を降りた時、三人は男に声をかけられる。
 「赤坂殿......と御一行殿。長旅さぞお疲れでしょう。ささ、こちらへ。」
 男は俺達を城下の屋敷に案内する。
 「今宵は此処へお泊りになって下され。」



 「あぁ、疲れたぁ。」
 遠藤は荷物を置き、大の字に倒れた。

 「思うたよりも城下が完成しておったな。流石は我が殿じゃ。」
 城を奪ったのはほんの三日前。しかし焼き討ちを行った城下には既に多くの屋敷が建ち、賑わいを見せ始めていた。

 〈ちょっと見に行ってみようかな。〉
 そう思い立った俺は、遠藤を誘ってみた。
 「もう少し休みたいよ」
 俺は仕方ないと思い、一人で城下へ赴くことにした。

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 (お店までやってるのか。すごいな。)
 所々に、尾張で見た様なお店が並んでいる。
 「この辺りかな......?」
 俺は〈ある場所〉で立ち止まる。

 そこは、越間と初めて出会った場所。
 目の前に(今は焼けて消滅した)、越間が働いていた店があったはずだ。

 越間は、大丈夫だろうか。
 あの草むらで偶然の出会いを果たしてからというもの、音沙汰もなく、生きているのか死んでいるのかも分からない。

 折角出会うことが出来たというのに。


 〈俺は死なないから、お前も絶対死ぬんじゃないぞ。〉

 その言葉を脳裏で反芻する。
 越間は生きてるはずだ。いや、きっと生きてる。

 根拠はない。でも、また出会える気がするんだ。


 俺はふと笑い、ゆっくりと歩き出した。



 「そこの人、ひとつ買っていかないか?美味いぞ。」
 店主に声をかけられた俺は、その店に歩み寄る。そこには色とりどりの野菜が並べられていた。
 「いいな。どれも美味そうだ。」
 俺がそう言うと、店主は笑う。
 「そうだろう。俺達が丹精込めて作った野菜だからな。」

 その声に、ぴくりと反応する。
 聞いたことのある声。

 「......っ!」
 俺はばっと前を向くと、そこにいたのは、俺の知っている人。

 「また会えたな。清重。」
 越間が、俺を見て笑っていた。


 「越間......っ!?なんで......!?」
 「あの時と同じような反応を見せやがる。」
 そう言って越間は、うすら笑みを浮かべた。

 「あの戦の後、信長が幾人かの美濃の雑兵を取り込んだんだ。俺はそれを利用して、自分から捕らわれに行った訳だ。幸い俺のことは織田には知られてなかったし、反織田と主張もしてなかったからな、信長にも了承を頂けたのよ。」
 「て、ことは......」
 越間はうんと大きく頷いた。

 「俺たちはもう敵じゃない。仲間だ。」

 俺は身体中の力が抜け、その場に尻餅をついてしまう。
 「何だ?驚いたか?」
 思わぬ展開に、俺は苦笑する。


 このことを、一早く遠藤に伝えたかった。



 続
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