底辺地下アイドルの僕がスパダリ様に推されてます!?

皇 いちこ

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#25 エマージェンシーコール

25-4 エマージェンシーコール

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静寂に支配された夜更けのオフィスで、ディスプレイのちらつきに疲弊した目が霞む。
無機質なエクセルの表に数字を打ち込むたび、画面のグラフがうねるように形を変えていく。

「倉庫拠点を5から3に――これで輸送コストは約10%減少……」

分析に没頭する中、無意識のうちに独り言ちる。指先は次々とシミュレーションソフトに指示を与えた。

幹線輸送を鉄道コンテナに切り替えた場合の燃料費削減、地域別配送網の再編による納期短縮。桐谷に突きつけた三段階の最適化プランは、机上の空論では到底済まされない。数字に落とし込み、説得力をもって提示しなければ次はない。

入力を終えると、グラフの色が赤から青へと滑らかに移り変わった。
輸送コスト、納期、在庫回転率――すべてが明確に改善へ向かっている。直矢は深く安堵の息を吐いた。だがその直後、画面下部で新しいニュース速報の通知がポップアップする。

≪人気アイドルグループ【SPLASH】新作乳飲料アンバサダー就任、モーモーグループ桐谷代表がスポンサー契約を発表≫

思わずマウスを握り直し、記事をクリックする。
そこには、華やかな記者会見の壇上で、桐谷と紫音が並んで立つ姿が鮮明に写っていた。
企業ロゴ入りのバックパネルを背に、五人はブランドカラーである白の衣装に身を包み、桐谷は隣で落ち着いた口調でメインスポンサー就任の抱負を語っている。

――まさか、ここまで準備を進めていたとは。

その周到さに驚くと同時に、直矢の喉がひりつく。
たった一日前にスポンサー就任を耳にしたばかりだというのに、もうこうして世間に向けて発信されている。
恋人の晴れやかな笑顔、そして彼の隣で堂々と立ち振る舞う桐谷の姿が、まるで新しい絆を公表しているかのようだ。いったん事務所から交際を否定された事実すら、消失したかのように。

『お二人の故郷でもある、南阿蘇のヨーグルトをふんだんに使った新感覚ドリンク。これぞ奇跡のマリアージュですね!』

仕込みのようにさえ思えるプレスの言葉選びに、桐谷は上機嫌に応じた。

『わが社の未来を担う新商品を、大切な幼馴染に宣伝してもらえるなんて……感無量ですよ』

桐谷は関係性を再三誇示したうえで、極上の甘い言葉を吐いた。

『今回のドーム公演スポンサー契約も――こうなる運命・・だったのでしょう』

画面の中で、上質な腕時計を嵌めた手が紫音の肩を抱き寄せる。
退屈になりがちな新商品の紹介を、巧みな話術であっという間にスキャンダラスなショーに変えてしまう。

直矢はカーソルを動かす手を止めた。
シミュレーションのグラフは青のまま静かに点滅していたが、その成果を喜ぶ余裕はもうない。芸能ニュースを少し調べれば、いったん沈静化した恋人とクライアントの結婚秒読みの誤報が再燃している。何かにつけて横文字を使いたがる悪習が生み出した、無責任なマリアージュ発言のせいではない。

壇上は白百合やカスミソウの淡色で彩られ、試飲用のテーブルに敷かれたシルクのクロスが、神聖な祭壇を思わせた。何より、さりげないレースのアクセントで引き立てられた純白の衣装は、花嫁の装い以外の何物でもなかった。その隣に寄り添う桐谷は漆黒のタキシードを纏い、二人が掲げた新商品のボトルは、まるで祝杯のグラスにも似て――。

直矢の胸に、どうしようもない焦燥が広がった。
グラフを睨みつけていたが、不意なスマホの振動に意識は中断された。日付が変わろうとする中、表示された名前に心臓が跳ねる。

「……紫音?」

通話ボタンを押すと、抑えきれない息遣いが耳に届いた。

『直矢さん……遅くにごめんなさい』

瞬く間に広がる過熱報道を懸念して、連絡をくれたのだとすぐにわかる。
同時に、作業に打ち込むあまりメッセージに気付いていなかったことも。気遣いのおかげで、直矢はわずかに残された平静を取り戻すことができた。

「いや……君も疲れているだろう?」

初のドーム公演を控える恋人もまた、過酷な準備スケジュールが待ち受けているのだ。
長時間の公演に耐える体力作りやボイストレーニングだけではない、舞台設計やVTR撮影まで、箱ライブ時代とは規模も比較にならないほど違う。紫音はそんな疲労を見せずに、しかし躊躇いがちに切り出した。

『……あの……たあ君との記者会見、見ましたか?』
「――ああ、見たよ。堂々とPRできたじゃないか」

あの男の愛称が出ただけではらわたが煮えくり返りそうだったが、直矢は何とか明るく振舞った。

「美味しそうだな。俺も飲んでみたいよ」
『――……今度持っていきますね』

空元気も虚しく響くのがわかる。
だが、業界の理不尽に打ちのめされていたのは本人も同じだった。

『僕とのやり取りは最小限にしてほしいってお願いしてたのに、あんな――……』

電話口で揺れていた声が詰まる。
すぐにでも雨が降り出しそうな、悲しげな音色だった。画面の中の完璧な笑顔に隠された、ほんのわずかな戸惑いや声の強張りに気付かないはずもない。

「大丈夫だ。君を信じているから」

直矢は歯痒さで唇を噛み締める。
今の自分では、あの場で恋人と並び立つことも、公の場で対等に渡り合うこともできない。開催場所すら知らないし、あの空間に立ち入ることさえ許されないのだ。部外者としてデータと向き合うことしかできない自分が、惨めにすら思える。

「……今は君たちを待つファンのために、歌とダンスに集中しなさい。俺も楽しみにしてるよ」

そう告げると、安心したように紫音の声色は落ち着いていく。
主人は愛の言葉を贈り、穏やかな眠りを祈って電話を切る。ただ、できるのは恋人を信じて待つことだ。

一抹の不安までは捨て切ることができない。
初めて彼と巡り会った夜、強引に迫って肌を許された時のように――押しの強過ぎる幼馴染に心を奪われ、戸籍まで奪われてしまうのではないのかと。こうして胸の内をさらけ出してくれたのは、今はタイムリミットが残されている証拠だ。

直矢は目を閉じ、呼吸を整える。
再び刈り取られてしまいそうな意識を、数字の世界へと強引に押し戻す。

(あの男に主導権を渡すわけにはいかない。俺が、この計算で証明してみせる)

再びマウスを握りしめ、物流ルートの三段階最適化を練り直す。赤と青の線は交差して収束し、やがて15パーセント台の利益率を確実に示した。
モニターに浮かぶ完成したシミュレーションが、唯一揺るぎない答えを放っていた。
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