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#28 星を摘みに
28-3 星を摘みに
しおりを挟む憧れ続けたトップアイドルのみが許される、特別な景色。
しかし、その天井の星を掴みかけたと思った瞬間、翼をもがれた小鳥のように暗い奈落へ落ちていく。重力を失った星々は光を失い、無残にも墜落する。その姿は、流れ星ではなく凶悪な隕石にさえ見える。
(―――嫌だ!)
助けを乞う声は誰にも届かない。
冷たい床に叩きつけられる――そう身構えた時、紫音は目を覚ました。
充血した心臓が痛いほど脈打っている。
レッスン着は清潔なパジャマに着替えられ、枕元の時計を見ると日付が変わっていた。包帯で固定された右足に目を遣ると、やはり事故は夢では無かったことがわかる。だが、鎮痛剤と五つ星ホテル仕様の快適なベッドのおかげで、痛みは随分和らいだ気がした。心地良い静けさの中に、消毒液のわずかな匂いが漂っている。
「痛み、少し落ち着いた?」
ベッドが軋む音に気付いたのか、斜め向かいのキッチンから家主が問いかける。
彼の声は、氷の音が鳴るグラスの向こうで揺れていた。
「……ありがとう。冷やしてもらって、だいぶ楽になったよ」
桐谷は微笑むと、サイドテーブルに新しい冷却パックを置き、紫音の足元に膝をついた。
シャツの袖を軽くまくり、手慣れた動作で包帯の端を整える。
「痛いところがあれば、遠慮なく言って」
「平気……それより、迷惑かけてごめん。仕事大丈夫?」
「オフィスはすぐそこだし、リモートでもできるよ。それに、しーちゃんをお世話できるなんて役得だから」
いつまでも申し訳なさを感じないよう、幼馴染は快活な機転で空気を変えてくれる。静かに上がった自動ブラインドから覗く景色も、紫音の心を穏やかに軽くした。
目覚めたばかりの都市では、麻布台の森の上を薄い靄が流れ、ビルの稜線が朝日に金色の縁取りを受けている。遠く、レインボーブリッジのアーチが淡く霞み、その手前で電波塔がまだナトリウム色の光をかすかに残していた。
紫音はその光を見つめながら、胸の奥のどこかにまだ棘が刺さっているのを感じた。恋人は今頃、空の向こうでどう過ごしているのだろうか、と。
スマートフォンの画面には、時差で届いたメッセージがひとつ。
《リハーサルどうだった?しっかり休んで、体調を整えるように》
彼らしい、簡潔で優しい言葉。
返信を打とうとして、指が止まる。今の自分が、どんな言葉を返せばいいのか分からなかった。彼の願いとは裏腹に、不慮の怪我を負ってしまったのだから。
心配をかけたくない。けれど、無意識のうちに募っていた寂しさは、それだけでは消えなかった。
「……誰かから?」
さり気ない桐谷の問いに、紫音は一瞬だけまつ毛を伏せる。
「うん……直矢さんから」
「俺の依頼で、まだ現地なんだろ?細かく報告してくれて助かってるよ」
紫音は頷きながら、返信の指を止める。
二人に仕事上の繋がりがあることは知っていたが、今回の転機に関わっていたことまでは初耳だった。驚きもあったが、依頼主が満足しているという事実は安堵につながる。
「そっか、たあ君の……じゃあ、今も忙しくしてるのかも」
桐谷の視線が刹那、柔らかくも計算高く揺れた。
「彼の事は心配しないで……よくやってくれているから。紫音は回復に専念しないと――まずは朝食にしよう」
ミーティングやレッスン場で見せた厳格さとは異なる気遣いは、テーブルに整然と並ぶ特別メニューにも現れていた。
抗炎症作用のあるハーブティーから、高タンパクの白身魚のソテーに、ミネラル豊富な彩り野菜のスチームサラダ。ビタミンCたっぷりのフルーツ盛り合わせは、腱・靭帯回復をサポートしてくれるだろう。
「わあ、美味しそう……!でも、こんなに食べきれないかも」
「少しずつでいいよ。今朝は勝手に用意したけど、リクエストがあったら言って」
成功者の余裕と品性を兼ね備えた、洗練された暮らし。
カトラリー一つを取ってもこだわりが感じられ、おとぎ話に出てくる宮殿の中に迷い込んだようでまだ慣れない。当時の面差しがほんの少し残っているとはいえ、天空の孤城でくつろぐ家主は別人のようだ。
『たあ君』はティーカップを置いて、穏やかに微笑んだ。
「今日の調整レッスンは、明日に延期になったから。一日のんびり過ごすといいよ」
体調不良という名目で、向こう一週間分の仕事はキャンセルになった。予定していたSPLASH全員での収録は、四人がカバーしてくれるというので任せることに。
一人だけ取り残されてしまった気分を紛らわそうと、紫音は療養中にできることを探した。ベッドの上でもできる軽いストレッチや上半身の筋トレ。リハーサルの映像を見返して、動きや構成を再研究。ひと段落着いたら、用意してもらったタブレットで読書をして過ごした。心に留まった単語やフレーズを、ノートに綴っていく。少し気落ちした心を引き上げてくれる詩の集合体に、思い浮かんだ言葉の羅列を繋いだ。
こんなにも静かに内省の時間を持つことができたのは、久しぶりだった。良い意味で、いつも仲間に囲まれていたから。それに暇さえあれば、無我夢中で恋人に会いに行ったものだ。
やがて夕方になると、昨夜と同じ整形外科医が往診に現れた。
腫れの引き具合と可動域を確かめていると、いつの間にか出社していたらしい桐谷が戻ってきた。
「お帰りなさい!――綺麗なミモザだね」
「見てると元気が出るかと思って」
帰宅した彼の手にあったのは、二月の柔らかな太陽を閉じ込めたような黄金色の花束。その明るさが、白を基調とした部屋の静けさに穏やかな生命感を添えてくれる。
処置を終えた医師が顔を上げ、二人に控えめな笑みを差し向けた。
「紫音さん、熱もなく経過良好です。今夜はシャワー程度なら構いません。血流を促すことで、回復も早まりますよ」
「……いいんですか?」
一晩で回復が見られたのは朗報だ。医師は退室の間際、念のための注意を添えた。
「ええ。ただし、滑らないよう気をつけて。固定サポーターは外して構いませんが、上がった後は必ず冷却を」
窓際に飾られたミモザの香りに混ざって、リビングから食欲そそる香りが漂ってくる。
管理栄養士が考案した特別メニューを、ハウスキーパーが丁寧にセッティングしているのだろう。
「ディナーの前にさっぱりしたら?手伝うよ」
「えっ!?でも……」
部屋を借りて医師や食事まで手配してもらっているうえ、これ以上、一城の主の手を煩わせるわけにはいかない。紫音が戸惑っていると、桐谷は同じ目線の高さに屈み、柔和な笑みを浮かべた。
「子供の頃は一緒に入っただろ?この間の温泉だって」
昨夜はそのまま眠ってしまったが、汗が引いていたのは彼が体を拭いてくれたに違いない。
今更、何を恥ずかしがる必要があるのだろう。まさかそう遅くないうちに、再び湯船を共にする日が来ようとは思いも寄らなかったが。
「じゃあ……お願いしてもいいかな?」
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