底辺地下アイドルの僕がスパダリ様に推されてます!?

皇 いちこ

文字の大きさ
122 / 139
#28 星を摘みに

28-3 星を摘みに

しおりを挟む

憧れ続けたトップアイドルのみが許される、特別な景色。
しかし、その天井の星を掴みかけたと思った瞬間、翼をもがれた小鳥のように暗い奈落へ落ちていく。重力を失った星々は光を失い、無残にも墜落する。その姿は、流れ星ではなく凶悪な隕石にさえ見える。

(―――嫌だ!)

助けを乞う声は誰にも届かない。
冷たい床に叩きつけられる――そう身構えた時、紫音は目を覚ました。

充血した心臓が痛いほど脈打っている。
レッスン着は清潔なパジャマに着替えられ、枕元の時計を見ると日付が変わっていた。包帯で固定された右足に目を遣ると、やはり事故は夢では無かったことがわかる。だが、鎮痛剤と五つ星ホテル仕様の快適なベッドのおかげで、痛みは随分和らいだ気がした。心地良い静けさの中に、消毒液のわずかな匂いが漂っている。

「痛み、少し落ち着いた?」

ベッドが軋む音に気付いたのか、斜め向かいのキッチンから家主が問いかける。
彼の声は、氷の音が鳴るグラスの向こうで揺れていた。

「……ありがとう。冷やしてもらって、だいぶ楽になったよ」

桐谷は微笑むと、サイドテーブルに新しい冷却パックを置き、紫音の足元に膝をついた。
シャツの袖を軽くまくり、手慣れた動作で包帯の端を整える。

「痛いところがあれば、遠慮なく言って」
「平気……それより、迷惑かけてごめん。仕事大丈夫?」
「オフィスはすぐそこだし、リモートでもできるよ。それに、しーちゃんをお世話できるなんて役得だから」

いつまでも申し訳なさを感じないよう、幼馴染は快活な機転で空気を変えてくれる。静かに上がった自動ブラインドから覗く景色も、紫音の心を穏やかに軽くした。
目覚めたばかりの都市では、麻布台の森の上を薄い靄が流れ、ビルの稜線が朝日に金色の縁取りを受けている。遠く、レインボーブリッジのアーチが淡く霞み、その手前で電波塔がまだナトリウム色の光をかすかに残していた。
紫音はその光を見つめながら、胸の奥のどこかにまだ棘が刺さっているのを感じた。恋人は今頃、空の向こうでどう過ごしているのだろうか、と。

スマートフォンの画面には、時差で届いたメッセージがひとつ。
《リハーサルどうだった?しっかり休んで、体調を整えるように》
彼らしい、簡潔で優しい言葉。
返信を打とうとして、指が止まる。今の自分が、どんな言葉を返せばいいのか分からなかった。彼の願いとは裏腹に、不慮の怪我を負ってしまったのだから。
心配をかけたくない。けれど、無意識のうちに募っていた寂しさは、それだけでは消えなかった。

「……誰かから?」

さり気ない桐谷の問いに、紫音は一瞬だけまつ毛を伏せる。

「うん……直矢さんから」
「俺の依頼で、まだ現地シンガポールなんだろ?細かく報告してくれて助かってるよ」

紫音は頷きながら、返信の指を止める。
二人に仕事上の繋がりがあることは知っていたが、今回の転機に関わっていたことまでは初耳だった。驚きもあったが、依頼主が満足しているという事実は安堵につながる。

「そっか、たあ君の……じゃあ、今も忙しくしてるのかも」

桐谷の視線が刹那、柔らかくも計算高く揺れた。

「彼の事は心配しないで……よくやってくれているから。紫音は回復に専念しないと――まずは朝食にしよう」

ミーティングやレッスン場で見せた厳格さとは異なる気遣いは、テーブルに整然と並ぶ特別メニューにも現れていた。
抗炎症作用のあるハーブティーから、高タンパクの白身魚のソテーに、ミネラル豊富な彩り野菜のスチームサラダ。ビタミンCたっぷりのフルーツ盛り合わせは、腱・靭帯回復をサポートしてくれるだろう。

「わあ、美味しそう……!でも、こんなに食べきれないかも」
「少しずつでいいよ。今朝は勝手に用意したけど、リクエストがあったら言って」

成功者の余裕と品性を兼ね備えた、洗練された暮らし。
カトラリー一つを取ってもこだわりが感じられ、おとぎ話に出てくる宮殿の中に迷い込んだようでまだ慣れない。当時の面差しがほんの少し残っているとはいえ、天空の孤城でくつろぐ家主は別人のようだ。
『たあ君』はティーカップを置いて、穏やかに微笑んだ。

「今日の調整レッスンは、明日に延期になったから。一日のんびり過ごすといいよ」

体調不良という名目で、向こう一週間分の仕事はキャンセルになった。予定していたSPLASH全員での収録は、四人がカバーしてくれるというので任せることに。
一人だけ取り残されてしまった気分を紛らわそうと、紫音は療養中にできることを探した。ベッドの上でもできる軽いストレッチや上半身の筋トレ。リハーサルの映像を見返して、動きや構成を再研究。ひと段落着いたら、用意してもらったタブレットで読書をして過ごした。心に留まった単語やフレーズを、ノートに綴っていく。少し気落ちした心を引き上げてくれる詩の集合体に、思い浮かんだ言葉の羅列を繋いだ。
こんなにも静かに内省の時間を持つことができたのは、久しぶりだった。良い意味で、いつも仲間に囲まれていたから。それに暇さえあれば、無我夢中で恋人に会いに行ったものだ。

やがて夕方になると、昨夜と同じ整形外科医が往診に現れた。
腫れの引き具合と可動域を確かめていると、いつの間にか出社していたらしい桐谷が戻ってきた。

「お帰りなさい!――綺麗なミモザだね」
「見てると元気が出るかと思って」

帰宅した彼の手にあったのは、二月の柔らかな太陽を閉じ込めたような黄金色の花束。その明るさが、白を基調とした部屋の静けさに穏やかな生命感を添えてくれる。
処置を終えた医師が顔を上げ、二人に控えめな笑みを差し向けた。

「紫音さん、熱もなく経過良好です。今夜はシャワー程度なら構いません。血流を促すことで、回復も早まりますよ」
「……いいんですか?」

一晩で回復が見られたのは朗報だ。医師は退室の間際、念のための注意を添えた。

「ええ。ただし、滑らないよう気をつけて。固定サポーターは外して構いませんが、上がった後は必ず冷却を」

窓際に飾られたミモザの香りに混ざって、リビングから食欲そそる香りが漂ってくる。
管理栄養士が考案した特別メニューを、ハウスキーパーが丁寧にセッティングしているのだろう。

「ディナーの前にさっぱりしたら?手伝うよ」
「えっ!?でも……」

部屋を借りて医師や食事まで手配してもらっているうえ、これ以上、一城の主の手を煩わせるわけにはいかない。紫音が戸惑っていると、桐谷は同じ目線の高さに屈み、柔和な笑みを浮かべた。

「子供の頃は一緒に入っただろ?この間の温泉だって」

昨夜はそのまま眠ってしまったが、汗が引いていたのは彼が体を拭いてくれたに違いない。
今更、何を恥ずかしがる必要があるのだろう。まさかそう遅くないうちに、再び湯船を共にする日が来ようとは思いも寄らなかったが。

「じゃあ……お願いしてもいいかな?」

しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

あなたと過ごせた日々は幸せでした

蒸しケーキ
BL
結婚から五年後、幸せな日々を過ごしていたシューン・トアは、突然義父に「息子と別れてやってくれ」と冷酷に告げられる。そんな言葉にシューンは、何一つ言い返せず、飲み込むしかなかった。そして、夫であるアインス・キールに離婚を切り出すが、アインスがそう簡単にシューンを手離す訳もなく......。

人気アイドルグループのリーダーは、気苦労が絶えない

タタミ
BL
大人気5人組アイドルグループ・JETのリーダーである矢代頼は、気苦労が絶えない。 対メンバー、対事務所、対仕事の全てにおいて潤滑剤役を果たす日々を送る最中、矢代は人気2トップの御厨と立花が『仲が良い』では片付けられない距離感になっていることが気にかかり──

美少年に転生したらヤンデレ婚約者が出来ました

SEKISUI
BL
 ブラック企業に勤めていたOLが寝てそのまま永眠したら美少年に転生していた  見た目は勝ち組  中身は社畜  斜めな思考の持ち主  なのでもう働くのは嫌なので怠惰に生きようと思う  そんな主人公はやばい公爵令息に目を付けられて翻弄される    

飼われる側って案外良いらしい。

なつ
BL
20XX年。人間と人外は共存することとなった。そう、僕は朝のニュースで見て知った。 向こうが地球の平和と引き換えに、僕達の中から選んで1匹につき1人、人間を飼うとかいう巫山戯た法を提案したようだけれど。 「まあ何も変わらない、はず…」 ちょっと視界に映る生き物の種類が増えるだけ。そう思ってた。 ほんとに。ほんとうに。 紫ヶ崎 那津(しがさき なつ)(22) ブラック企業で働く最下層の男。顔立ちは悪くないが、不摂生で見る影もない。 変化を嫌い、現状維持を好む。 タルア=ミース(347) 職業不詳の人外、Swis(スウィズ)。お金持ち。 最初は可愛いペットとしか見ていなかったものの…? 2025/09/12 ★1000 Thank_You!!

【WEB版】監視が厳しすぎた嫁入り生活から解放されました~冷徹無慈悲と呼ばれた隻眼の伯爵様と呪いの首輪~【BL・オメガバース】

古森きり
BL
【書籍化決定しました!】 詳細が決まりましたら改めてお知らせにあがります! たくさんの閲覧、お気に入り、しおり、感想ありがとうございました! アルファポリス様の規約に従い発売日にURL登録に変更、こちらは引き下げ削除させていただきます。 政略結婚で嫁いだ先は、女狂いの伯爵家。 男のΩである僕には一切興味を示さず、しかし不貞をさせまいと常に監視される生活。 自分ではどうすることもできない生活に疲れ果てて諦めた時、夫の不正が暴かれて失脚した。 行く当てがなくなった僕を保護してくれたのは、元夫が口を開けば罵っていた政敵ヘルムート・カウフマン。 冷徹無慈悲と呼び声高い彼だが、共に食事を摂ってくれたりやりたいことを応援してくれたり、決して冷たいだけの人ではなさそうで――。 カクヨムに書き溜め。 小説家になろう、アルファポリス、BLoveにそのうち掲載します。

婚活アプリのテスト版に登録させられたら何故か自社の社長としかマッチング出来ないのですが?

こたま
BL
オメガ男子の小島史(ふみ)は、ネットを中心に展開している中小広告代理店の経理部に勤めている。会社が国の補助金が入る婚活アプリ開発に関わる事になった。テスト版には、自社の未婚で番のいないアルファとオメガはもちろん未婚のベータも必ず登録して動作確認をするようにと業務命令が下された。史が仕方なく登録すると社長の辰巳皇成(こうせい)からマッチング希望が…

公爵家の末っ子に転生しました〜出来損ないなので潔く退場しようとしたらうっかり溺愛されてしまった件について〜

上総啓
BL
公爵家の末っ子に転生したシルビオ。 体が弱く生まれて早々ぶっ倒れ、家族は見事に過保護ルートへと突き進んでしまった。 両親はめちゃくちゃ溺愛してくるし、超強い兄様はブラコンに育ち弟絶対守るマンに……。 せっかくファンタジーの世界に転生したんだから魔法も使えたり?と思ったら、我が家に代々伝わる上位氷魔法が俺にだけ使えない? しかも俺に使える魔法は氷魔法じゃなく『神聖魔法』?というか『神聖魔法』を操れるのは神に選ばれた愛し子だけ……? どうせ余命幾ばくもない出来損ないなら仕方ない、お荷物の僕はさっさと今世からも退場しよう……と思ってたのに? 偶然騎士たちを神聖魔法で救って、何故か天使と呼ばれて崇められたり。終いには帝国最強の狂血皇子に溺愛されて囲われちゃったり……いやいやちょっと待て。魔王様、主神様、まさかアンタらも? ……ってあれ、なんかめちゃくちゃ囲われてない?? ――― 病弱ならどうせすぐ死ぬかー。ならちょっとばかし遊んでもいいよね?と自由にやってたら無駄に最強な奴らに溺愛されちゃってた受けの話。 ※別名義で連載していた作品になります。 (名義を統合しこちらに移動することになりました)

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

処理中です...