一揃いの曙光《Quantiz and Synesthesia》

弥都 史誠(ヤツ フミタカ)

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第八章

16.まだ来ぬ夜明け。①

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 フイも立ち上がって、一つ手を叩いた。
「はい、今日はお終い‼︎ みんなお風呂の準備して!」
 それを合図に、他の子供たちも残念そうな声を上げながら、渋々立ち上がる。
 ワイルアはノートパソコンをバックパックにしまっている。
 ハリアカも急いで立ち上がり、ワイルアの元へ行く。
「あの…宿坊に案内するから」
「ああ、ありがとう」
 ワイルアはそう言って、バックパックのジッパーを閉じた。
 バックパックを持ち上げて、一回振り下ろす。ガサリと音がして、形が整った。
 それを背負う。
 ずしりとショルダーストラップが肩に食い込んだ。
「──よし、行こうか」
「うん…」
 ハリアカは一旦、子供たちの様子を見る。
 フイが率先して、寺院に併設された施浴室へ行く準備をしている。
「もう! ランギも手伝ってよ‼︎」
 フイに任せておけば大丈夫、とハリアカは判断する。
「──じゃあ、案内するからついて来て」
 孤児院の扉を開けると、冷えた外気が吹き込んで来た。
「寒いな」
 ワイルアは一瞬、身震いをする。
「──きみは寒くない?」
 ワイルアの引くスーツケースの車輪の出す音が、ゴロゴロからガラガラに変わった。
「私は大丈夫。この時期は、夜になると冷えるから…えっと」
 ハリアカは一瞬言葉に詰まる。いや、胸の奥が訳もなく揺らいだ。
「──気を付けて、ね」
 ハリアカは扉を閉める一歩手前で、子供たちの様子を見る。
 奥の部屋に移動した子供たちの姿は見えない。しかし相変わらず、フイの叫ぶ声と他の子供たちのふざけ合う声が聞こえた。
 ハリアカは安心して、ゆっくりと扉を閉めた。
 振り返ると、月明かりとアラ・ウェトゥ星の道を背景にしたワイルアが立っている。
 その姿に、ハリアカは息を飲む。宿坊の鍵とショールを持つ手を胸の前でキュッと握る。
「大丈夫そう?」
 軒で揺れる蝋燭の灯りが、ワイルアの表情を照らしている。
 優しい彼の闇色は、いつしか甘い恐怖になっていた。堤防を降りる時に感じた狼と兎ではない。
 まるで春の祭事に焚かれる香のような、柔らかな風に包まれたような感覚。
「うん…着いて来て。案内するから」
 頬が熱くなるのを感じながら、ハリアカは宿坊へ歩き始めた。
 背後からワイルアの引くスーツケースの車輪の音がする。
「星、綺麗だなぁ」
 ワイルアが独り言のように呟く。
 ハリアカは、スーツケースのガラガラ音で聞こえないふりをする。
 ワイルアは万の星空から視線を外し、ハリアカの後ろ姿に目を落とす。
 歩を進める度に、背中の金色の髪が揺れている。
 昨日は雑踏に消えた金髪が、今、自分を先導してくれている。
 その金髪が月明かりで、白金に輝いていた。
(そう言えば、今日は髪を結んでいないんだな)
 ワイルアは肩の三脚を担ぎ直す。
 あぁ、そうか、とワイルアは、アラ・ウェトゥ星の道とハリアカの後ろ姿を重ねる。
 天の星には、どれだけ手を伸ばしても届きはしない。しかし、目の前の輝く白金は掴もうとした瞬間、星屑のように煌めきながら崩れてしまうような気がした。
 タプの樹の下で、風に髪をそよがせるハリアカ。その姿が樹の精霊のように見えた理由が判った気がした。
 そっとハリアカの後ろから手を伸ばしてみる。
 消えてしまわないか、確かめたくて。
「部屋、ここ」
 宿坊の一室の前で、ハリアカが振り返った。
 ワイルアは咄嗟に手を引っ込める。
「──…どうか、した?」
 少し首を傾げたハリアカの、不思議そうなカフランギが見つめていた。
「いや…、何でも」
 ハリアカに触れようとした事に、バツが悪く感じて、目を泳がしてしまった。
 カチャカチャと金属音がして、扉が開かれた。
「ゲストハウスより狭いけど…、どうぞ」
 扉を開けたハリアカが、部屋へと誘う。
「あぁ…ありがとう」
 先に部屋へ入ったハリアカが、部屋の明かりを点ける。
 孤児院の部屋と同じような簡素な部屋。
 中央に一枚、色褪せた絨毯が敷いてあった。家具らしいものは、サイドボードが一台置いてあるだけだった。片隅に毛布が畳んで置いてあった。
 宿坊は本来、寺で修行をする僧が宿泊する場所。観光客を相手にする宿泊施設と同じ待遇を期待してはいけない。個室であるだけマシだった。
 ワイルアは、とりあえず奥の壁に三脚を入れた袋を立て掛ける。
「えーっと…、あっ」
 荷物を一つ一つ壁際に置いて行くワイルアに、ハリアカが思い出したように、声を上げた。
「──お手洗いは私たちの家か、お寺のを使って」
 全ての荷物を下ろしたワイルアは、背伸びをする。
「あぁ、判ったよ」
 続いてスーツケースを開く。中から必要な物を取り出し始めた。
「あと、お風呂は施浴室を使って」
「せ、せよく?」
 ワイルアは初めて聞く単語に、ハリアカへと振り返る。
 彼は開けたままの扉の前で立っていた。
 あのダックブルーのショールを腕に掛けて。
「あ…」
 ハリアカは何かに気付いたように、小さく呟いた。
「──施浴室はみんなが使えるお風呂。みんな仕事に行く前とか…自由に使えるから」
「へー。公共浴場みたいな物か」
 今度はハリアカが首を傾げる。
「こう…きょう…?」
「みんなが使える大きなお風呂だよ。俺が入ったのは“温泉”って言って、土の中から湧き出すお湯を使った風呂でね」
 ワイルアはハリアカになるべく判りやすく説明をする。
「──水着を着て入るんだ。温かいプールみたいなものかな」
 ハリアカはワイルアの話す内容が判らず、静かに眉間を寄せて、首を傾げる。
「──天気の良い日は、雲一つ無い青空が広がって…」
 着替えとタオルを取り出す。
 立ち上がって振り返ると、ハリアカは寂しそうな表情《かお》をしていた。
「──あ、ごめん」
 ワイルアの謝罪に、ハリアカは首を振る。
「ううん…」
 精一杯の笑みを浮かべる。
 正直、楽しそうに自分の知らない世界を語るワイルアと、距離を感じてしまった。
 市場で三脚を渡した時に触れた指先から感じた冷たさに似ていた。
「──じゃあ、私は行くから。これ、部屋の鍵」
 扉の横にある、フックに鍵を吊るす。
「──何か判らなかったら聞いて」
 急にこの場から逃げ出したくなって、去ろうとする。
「ちょっと待って‼︎」
 ワイルアが慌てて呼び止める。
 タオルと一緒に手にしていた財布を開く。
 ゲストハウスのセキュリティボックスに入れていた、予備の財布だった。
 そこから現金を取り出して、ハリアカへ差し出した。
「これ、さっきの夕飯代」
 ハリアカはその手をジッと見つめる。
 ワイルアの手には、皺くちゃの紙幣が三枚乗っていた。
 明らかに多い金額だった。
「気にしなくて良いのに…。こんなに…受け取れない」
 ハリアカが一歩下がる。
「良いんだよ。モデル代も込み…だと少ないくらいだ」
 ワイルアはハリアカの手を取ると、半ば強引に現金を握らせる。
「でも…写真はあの子たちが…」
 握られた手から、ワイルアの体温が溶け込んで来る。
 その熱が腕を伝わり、心臓へ到達する。
 熱が心臓を包む。息が出来なくなるほどに苦しい。
 ワイルアから逃れようと手を引くが、放してくれない。
「じゃあ、これであの子たちに美味いもん、食わせてやってくれ」
 ワイルアは現金を握らせたハリアカの拳を、ぎゅっと握る。
 ハリアカはワイルアの笑みを見て、何も言えなくなる。
 子供たちの為だと言えば、自分が断れない事を見抜かれている。しかし、夕飯代を肩代わりした事で、金銭的に苦しくなったのも現実で…。
 断っている場合ではないのも事実なのだ。
「それなら…ありがとう」
 消え入るような声でお礼を言った。
 ハリアカは紙幣を丁寧に折り直す。上着の下から巾着を取り出して、それをそっと入れた。
「──あとは…えっと…」
 ハリアカはワイルアに伝えるべき事柄《ことがら》は無いか、考えを巡らせる。
 余計な事は、早く頭が追い出したかった。
「──あ、ご飯! ご飯もお寺で出してくれる。お金、出るけど市場で食べるより安く済む」
 彼は自分たちとは住む世界が違う。これ以上、近付いてはいけない人物だと、ハリアカの理性が警告をする。
 昨日感じた直感は、間違っていない。
 彼は平穏だった心を、掻き乱す一雫。
 そう言い聞かせる。
「そうなんだ。何から何まで助かったよ。ありがとう」
 ワイルアが自分を見るポウリウリ闇色が、ノートパソコンの写真を見ていた優しい視線と重なる。
「じゃあ…おやすみなさい」
 くるりと背を向けようとする。
 その時、今度は腕を掴まれた。
「──え…?」
 驚いたハリアカが小さく声を上げた。
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