小指は契約の香り-秘密の二人編-

弥都 史誠(ヤツ フミタカ)

文字の大きさ
16 / 52
第四章

『再会』#3

しおりを挟む
 授業を終えたシエンが教室から去ると、ロイスはやっと緊張から解き放たれ、大きく深呼吸する。
 もう一人の教科担当の女生徒が、プリント用紙の回収を呼び掛けていた。
「坊ちゃん、ほらよ」
 レイモンドがプリント用紙をロイスに差し出す。続けてロドルフも。
「…お前、また寝ていただろう?」
 レイモンドから用紙を受け取りながら、ロイスは睨《め》ね付ける。
「俺、もう教科書全部頭に入ってるから!」
 レイモンドはいつものように、白い歯を出して、ニカッと笑った。
 そうなのだ。この男に絶対に敵わないのは、この瞬間記憶の能力なのだ。
 プリントの問題を解いた後、僅かな時間にペラペラと頁をめくりながら、教科書丸ごと一冊頭に入れてしまったのか、それとも授業前には既に記憶済みだったのか。
「それでも授業中に寝てて良い理由にはならない」
 ロイスはロドルフの用紙も受け取る。
「まぁまぁ、良いじゃないの。この能力も良い事ばかりじゃないって、前に言ったぞ」
 レイモンドは一瞬、少し寂しそうに笑うと、手をヒラヒラさせながら去って行った。
「…会長、レイモンドのあの能力のことは…」
 ロドルフが屈んで、耳打ちする。
 ロイスも中等部一年生の時に、レイモンドに助けられたのを思い出す、
「判ってる。触れないようにしている」
 ロイスは他の生徒からも用紙を受け取り、トントンと机上で揃える。
 女子生徒が集めたプリント用紙を持って、ロイスの元にやって来た。
「ロイス様、ありがとうございます。残りは私が集めて、先生に渡しに行って来ます」
「いや、教科担当になった以上、二人でやるべきだ」
 そう言って、タブレットでスケジュールを確認する。
「──明日は…予定は無いから、私が持って行こう」
 そう言って、女生徒の集めた用紙を受け取る為に手を差し出した。
「いえいえ、こんな雑用をロイス様にさせられません」
「もしかしたら、今後きみにばかり負担をかけてしまうかもしれない。やれる時にやらせてくれ。だから、明日は私が持って行く」
 ロイスが笑うと、女生徒は顔を赤らめて「では、お願いします」と頭を下げると、用紙の束とシエンが持って来た封筒を両手で差し出した。
 女生徒から受け取った用紙と、手元の用紙を一つにして、封筒に入れようとする。
 封筒からふわりとシエンの紅茶の残り香がした気がした。
 表には、油性マジックの手書きで『2年1組 復習』と書いてあった。
 封筒に対してアンバランスに見えるやや小さな文字が横書きで並んでいる。
 美しく、特徴の跳ねがある少し崩した字体。
(──シエンの字だ…でも、こんな字だったかな)
 ロイスはその文字に、そっと触れる。六年も会っていなかったのだ。文字の書き方くらい変わるだろう。
 文字の形に戸惑うのは、きっと自分があの頃から一歩も進めていなかったせいだ。
 指先にシエンの熱を感じる。
 初等部の時に、宿題を一緒に解いて行った思い出が蘇る。
 そこでロイスは、シエンにこれを届けるという事は、直接顔を合わせる事になると気付く。
(──しまった…)
 今の自分は、シエンを離れた場所から見ているだけで、名前を呼ばれただけで、心臓が破裂してしまいそうになるのだ。
 あんなに会いたかったシエンに、いざ向き合うとなると、どうして良いのか判らなくなる。
 しかし「持って行く」と自分が言った以上、「やはり…」と女生徒に頼み直すのはプライドが許さない。
 それに教科担当を選んでしまい、その教師がシエンだった以上、任期の半年間は何かと直接会わなければならないのだ。いつかはシエンと話さなくてはならない。
 ロイスは大きく息を吐くと、覚悟を決めた。
 シエンが屋敷を出る時に、かけてくれた言葉を思い出す。
 
 
 雪が降っていた。
 リチャードソン家の玄関ポーチの前で、幼いロイスと大学受験を控えたシエンが立っている。
「──シエン…本当に行っちゃうの?」
 車に荷物を積んでいるシエンに、ロイスは涙を堪えて聞いた。
 ロイスに気付いたシエンは、手を止めてロイスの前に片膝を付いた。
「ロイス様、申し訳ありません。どうしてもやりたい事があるんです」
 目と鼻を赤くして、ロイスはトワイライトブルーの瞳でシエンを見つめる。
「それ、パパの学校で出来ないの?」
 シエンは微笑むと、少し躊躇《ためら》ってロイスの頭を撫でる。
「すみません。出来ないんです」
 ロイスは鼻をすすると、泣き声を上げて、父親の足に抱き付いた。
 シエンの手が、虚しく空に留まる。
「おい、シエン。時間だぞ。列車に遅れる」
 執事である父親が、シエンに出発を告げる。
 シエンは胸が締め付けられる想いを押し殺す。
「本当にすみません。あなたには寂しい思いをさせてしまうのは判っています」
 ロイスは更に大声で泣く。
 シエンは立ち上がると、再びロイスの側で膝を付く。
「──これだけは言わせて下さい」
 ロイスの泣き声が止み、涙に濡れたスモークブルーがシエンに向けられる。
 涙を堪えて、シエンはロイスを抱き締めた。
「──今は寂しくて悲しいかもしれません。でも、問題事のほとんどは、結局、最終的に何とかなるものですよ。あなたには問題を解決する力があるのですから」
 そう告げると車に乗り込み、リチャードソン邸を後にした。
 ロイスは父親の足に掴まり、降り頻《しき》る雪中に消えて行く車を見送り、また泣きじゃくった。
 
 
 こればかりは自分の力で解決出来るか、どうこうする問題ではないが、シエンの言葉を信じる事にした。
 あの言葉は、今でもロイスの心に静かに灯《とも》り続けている。ゆらゆらと優しい微睡《まどろみ》の中で聞いたシエンの声と共に。
 最終的には、何とかなると信じて──。
 大丈夫。きっと自分にも出来る。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

期待の名探偵の頭脳は、俺に全振りされている。

さんから
BL
高校生探偵後輩×漫画描き先輩 部活の後輩・後生掛 清志郎は、数々の難事件を解決してきた期待の名探偵だ。……だけど高校に入学してから探偵の活動を控えているらしく、本人いわくその理由は俺・指宿 春都にあると言う。 「俺はイブ先輩だけに頼られたいし、そのために可能な限りあなたの傍にいたいんですっ」 いつもそう言って、しょうもないことばかりに推理力を使う後生掛。頭も見た目も良いコイツがどうして俺に執着してるのかが分からなくて──。

今日もBL営業カフェで働いています!?

卵丸
BL
ブラック企業の会社に嫌気がさして、退職した沢良宜 篤は給料が高い、男だけのカフェに面接を受けるが「腐男子ですか?」と聞かれて「腐男子ではない」と答えてしまい。改めて、説明文の「BLカフェ」と見てなかったので不採用と思っていたが次の日に採用通知が届き疑心暗鬼で初日バイトに向かうと、店長とBL営業をして腐女子のお客様を喜ばせて!?ノンケBL初心者のバイトと同性愛者の店長のノンケから始まるBLコメディ ※ 不定期更新です。

あなたの王子様になりたい_1

しお
BL
歌舞伎町の外れにある小さなバーで働く元ホスト・ゆみと。 平穏な夜になるはずだった店に、場違いなほど美しく、自信に満ちた大学生・直央が女性と共に現れる。 女性の好意を巧みにかわしながら、なぜかゆみとにだけ興味を示す直央。軽口と挑発を織り交ぜた距離の詰め方に、経験豊富なはずのゆみとは次第にペースを崩されていく。 甘くて危うい「王子様」との出会いが、ゆみとの退屈な夜を静かに狂わせ始めた――。

オッサン課長のくせに、無自覚に色気がありすぎる~ヨレヨレ上司とエリート部下、恋は仕事の延長ですか?

中岡 始
BL
「新しい営業課長は、超敏腕らしい」 そんな噂を聞いて、期待していた橘陽翔(28)。 しかし、本社に異動してきた榊圭吾(42)は―― ヨレヨレのスーツ、だるそうな関西弁、ネクタイはゆるゆる。 (……いやいや、これがウワサの敏腕課長⁉ 絶対ハズレ上司だろ) ところが、初めての商談でその評価は一変する。 榊は巧みな話術と冷静な判断で、取引先をあっさり落としにかかる。 (仕事できる……! でも、普段がズボラすぎるんだよな) ネクタイを締め直したり、書類のコーヒー染みを指摘したり―― なぜか陽翔は、榊の世話を焼くようになっていく。 そして気づく。 「この人、仕事中はめちゃくちゃデキるのに……なんでこんなに色気ダダ漏れなんだ?」 煙草をくゆらせる仕草。 ネクタイを緩める無防備な姿。 そのたびに、陽翔の理性は削られていく。 「俺、もう待てないんで……」 ついに陽翔は榊を追い詰めるが―― 「……お前、ほんまに俺のこと好きなんか?」 攻めるエリート部下 × 無自覚な色気ダダ漏れのオッサン上司。 じわじわ迫る恋の攻防戦、始まります。 【最新話:主任補佐のくせに、年下部下に見透かされている(気がする)ー関西弁とミルクティーと、春のすこし前に恋が始まった話】 主任補佐として、ちゃんとせなあかん── そう思っていたのに、君はなぜか、俺の“弱いとこ”ばっかり見抜いてくる。 春のすこし手前、まだ肌寒い季節。 新卒配属された年下部下・瀬戸 悠貴は、無表情で口数も少ないけれど、妙に人の感情に鋭い。 風邪気味で声がかすれた朝、佐倉 奏太は、彼にそっと差し出された「ミルクティー」に言葉を失う。 何も言わないのに、なぜか伝わってしまう。 拒むでも、求めるでもなく、ただそばにいようとするその距離感に──佐倉の心は少しずつ、ほどけていく。 年上なのに、守られるみたいで、悔しいけどうれしい。 これはまだ、恋になる“少し前”の物語。 関西弁とミルクティーに包まれた、ふたりだけの静かな始まり。 (5月14日より連載開始)

陰キャ系腐男子はキラキラ王子様とイケメン幼馴染に溺愛されています!

はやしかわともえ
BL
閲覧ありがとうございます。 まったり書いていきます。 2024.05.14 閲覧ありがとうございます。 午後4時に更新します。 よろしくお願いします。 栞、お気に入り嬉しいです。 いつもありがとうございます。 2024.05.29 閲覧ありがとうございます。 m(_ _)m 明日のおまけで完結します。 反応ありがとうございます。 とても嬉しいです。 明後日より新作が始まります。 良かったら覗いてみてください。 (^O^)

タトゥーの甘い檻

マリ・シンジュ
BL
執着系わんこ攻(大学生)× 高潔な美形教授受(30代) どのお話も単体でお楽しみいただけます。 ​「先生、ここ……僕の瞳を入れるから。ずっと、僕だけを見てて」 ​真面目な大学教授・新城が、大学生の・羽生にだけ許した、あまりにも淫らな「わがまま」。 ​それは、誰にも見えない内腿の奥深くに、消えないタトゥーを刻むこと。 「下書き」と称して肌を赤く染めるペン先の冷たさ。 アトリエの無機質なライトの下、四つん這いで晒される大人の矜持。 ​ずっと年下の青年の、必死で、残酷で、純粋な独占欲。 愚かだと知りながら、新城はその熱に絆され、ゆっくりと「聖域」を明け渡していく――。 ​「……お前のわがままには、最後まで付き合う」 ​針が通るその時、二人の関係は一生消えない「共犯」へと変わる。 執着攻め×年上受け、密やかに刻まれる秘め事のお話。

隣の席のイケメンに懐かれた

しょうがやき
BL
隣の席のイケメンに懐かれた平凡男子の話

政略結婚したかった

わさび
BL
御曹司 朝峰楓× 練習生 村元緋夏 有名な事務所でアイドルを目指して練習生をしている緋夏だが、実は婚約者がいた。 二十歳までにデビューしたら婚約破棄 デビューできなかったらそのまま結婚 楓と緋夏は隣同士に住む幼馴染で親はどちらも経営者。 会社のために勝手に親達が決めた政略結婚と自分の気持ちで板挟みになっている緋夏だったが____

処理中です...