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第四章
『再会』#3
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授業を終えたシエンが教室から去ると、ロイスはやっと緊張から解き放たれ、大きく深呼吸する。
もう一人の教科担当の女生徒が、プリント用紙の回収を呼び掛けていた。
「坊ちゃん、ほらよ」
レイモンドがプリント用紙をロイスに差し出す。続けてロドルフも。
「…お前、また寝ていただろう?」
レイモンドから用紙を受け取りながら、ロイスは睨《め》ね付ける。
「俺、もう教科書全部頭に入ってるから!」
レイモンドはいつものように、白い歯を出して、ニカッと笑った。
そうなのだ。この男に絶対に敵わないのは、この瞬間記憶の能力なのだ。
プリントの問題を解いた後、僅かな時間にペラペラと頁をめくりながら、教科書丸ごと一冊頭に入れてしまったのか、それとも授業前には既に記憶済みだったのか。
「それでも授業中に寝てて良い理由にはならない」
ロイスはロドルフの用紙も受け取る。
「まぁまぁ、良いじゃないの。この能力も良い事ばかりじゃないって、前に言ったぞ」
レイモンドは一瞬、少し寂しそうに笑うと、手をヒラヒラさせながら去って行った。
「…会長、レイモンドのあの能力のことは…」
ロドルフが屈んで、耳打ちする。
ロイスも中等部一年生の時に、レイモンドに助けられたのを思い出す、
「判ってる。触れないようにしている」
ロイスは他の生徒からも用紙を受け取り、トントンと机上で揃える。
女子生徒が集めたプリント用紙を持って、ロイスの元にやって来た。
「ロイス様、ありがとうございます。残りは私が集めて、先生に渡しに行って来ます」
「いや、教科担当になった以上、二人でやるべきだ」
そう言って、タブレットでスケジュールを確認する。
「──明日は…予定は無いから、私が持って行こう」
そう言って、女生徒の集めた用紙を受け取る為に手を差し出した。
「いえいえ、こんな雑用をロイス様にさせられません」
「もしかしたら、今後きみにばかり負担をかけてしまうかもしれない。やれる時にやらせてくれ。だから、明日は私が持って行く」
ロイスが笑うと、女生徒は顔を赤らめて「では、お願いします」と頭を下げると、用紙の束とシエンが持って来た封筒を両手で差し出した。
女生徒から受け取った用紙と、手元の用紙を一つにして、封筒に入れようとする。
封筒からふわりとシエンの紅茶の残り香がした気がした。
表には、油性マジックの手書きで『2年1組 復習』と書いてあった。
封筒に対してアンバランスに見えるやや小さな文字が横書きで並んでいる。
美しく、特徴の跳ねがある少し崩した字体。
(──シエンの字だ…でも、こんな字だったかな)
ロイスはその文字に、そっと触れる。六年も会っていなかったのだ。文字の書き方くらい変わるだろう。
文字の形に戸惑うのは、きっと自分があの頃から一歩も進めていなかったせいだ。
指先にシエンの熱を感じる。
初等部の時に、宿題を一緒に解いて行った思い出が蘇る。
そこでロイスは、シエンにこれを届けるという事は、直接顔を合わせる事になると気付く。
(──しまった…)
今の自分は、シエンを離れた場所から見ているだけで、名前を呼ばれただけで、心臓が破裂してしまいそうになるのだ。
あんなに会いたかったシエンに、いざ向き合うとなると、どうして良いのか判らなくなる。
しかし「持って行く」と自分が言った以上、「やはり…」と女生徒に頼み直すのはプライドが許さない。
それに教科担当を選んでしまい、その教師がシエンだった以上、任期の半年間は何かと直接会わなければならないのだ。いつかはシエンと話さなくてはならない。
ロイスは大きく息を吐くと、覚悟を決めた。
シエンが屋敷を出る時に、かけてくれた言葉を思い出す。
雪が降っていた。
リチャードソン家の玄関ポーチの前で、幼いロイスと大学受験を控えたシエンが立っている。
「──シエン…本当に行っちゃうの?」
車に荷物を積んでいるシエンに、ロイスは涙を堪えて聞いた。
ロイスに気付いたシエンは、手を止めてロイスの前に片膝を付いた。
「ロイス様、申し訳ありません。どうしてもやりたい事があるんです」
目と鼻を赤くして、ロイスはトワイライトブルーの瞳でシエンを見つめる。
「それ、パパの学校で出来ないの?」
シエンは微笑むと、少し躊躇《ためら》ってロイスの頭を撫でる。
「すみません。出来ないんです」
ロイスは鼻をすすると、泣き声を上げて、父親の足に抱き付いた。
シエンの手が、虚しく空に留まる。
「おい、シエン。時間だぞ。列車に遅れる」
執事である父親が、シエンに出発を告げる。
シエンは胸が締め付けられる想いを押し殺す。
「本当にすみません。あなたには寂しい思いをさせてしまうのは判っています」
ロイスは更に大声で泣く。
シエンは立ち上がると、再びロイスの側で膝を付く。
「──これだけは言わせて下さい」
ロイスの泣き声が止み、涙に濡れたスモークブルーがシエンに向けられる。
涙を堪えて、シエンはロイスを抱き締めた。
「──今は寂しくて悲しいかもしれません。でも、問題事のほとんどは、結局、最終的に何とかなるものですよ。あなたには問題を解決する力があるのですから」
そう告げると車に乗り込み、リチャードソン邸を後にした。
ロイスは父親の足に掴まり、降り頻《しき》る雪中に消えて行く車を見送り、また泣きじゃくった。
こればかりは自分の力で解決出来るか、どうこうする問題ではないが、シエンの言葉を信じる事にした。
あの言葉は、今でもロイスの心に静かに灯《とも》り続けている。ゆらゆらと優しい微睡《まどろみ》の中で聞いたシエンの声と共に。
最終的には、何とかなると信じて──。
大丈夫。きっと自分にも出来る。
もう一人の教科担当の女生徒が、プリント用紙の回収を呼び掛けていた。
「坊ちゃん、ほらよ」
レイモンドがプリント用紙をロイスに差し出す。続けてロドルフも。
「…お前、また寝ていただろう?」
レイモンドから用紙を受け取りながら、ロイスは睨《め》ね付ける。
「俺、もう教科書全部頭に入ってるから!」
レイモンドはいつものように、白い歯を出して、ニカッと笑った。
そうなのだ。この男に絶対に敵わないのは、この瞬間記憶の能力なのだ。
プリントの問題を解いた後、僅かな時間にペラペラと頁をめくりながら、教科書丸ごと一冊頭に入れてしまったのか、それとも授業前には既に記憶済みだったのか。
「それでも授業中に寝てて良い理由にはならない」
ロイスはロドルフの用紙も受け取る。
「まぁまぁ、良いじゃないの。この能力も良い事ばかりじゃないって、前に言ったぞ」
レイモンドは一瞬、少し寂しそうに笑うと、手をヒラヒラさせながら去って行った。
「…会長、レイモンドのあの能力のことは…」
ロドルフが屈んで、耳打ちする。
ロイスも中等部一年生の時に、レイモンドに助けられたのを思い出す、
「判ってる。触れないようにしている」
ロイスは他の生徒からも用紙を受け取り、トントンと机上で揃える。
女子生徒が集めたプリント用紙を持って、ロイスの元にやって来た。
「ロイス様、ありがとうございます。残りは私が集めて、先生に渡しに行って来ます」
「いや、教科担当になった以上、二人でやるべきだ」
そう言って、タブレットでスケジュールを確認する。
「──明日は…予定は無いから、私が持って行こう」
そう言って、女生徒の集めた用紙を受け取る為に手を差し出した。
「いえいえ、こんな雑用をロイス様にさせられません」
「もしかしたら、今後きみにばかり負担をかけてしまうかもしれない。やれる時にやらせてくれ。だから、明日は私が持って行く」
ロイスが笑うと、女生徒は顔を赤らめて「では、お願いします」と頭を下げると、用紙の束とシエンが持って来た封筒を両手で差し出した。
女生徒から受け取った用紙と、手元の用紙を一つにして、封筒に入れようとする。
封筒からふわりとシエンの紅茶の残り香がした気がした。
表には、油性マジックの手書きで『2年1組 復習』と書いてあった。
封筒に対してアンバランスに見えるやや小さな文字が横書きで並んでいる。
美しく、特徴の跳ねがある少し崩した字体。
(──シエンの字だ…でも、こんな字だったかな)
ロイスはその文字に、そっと触れる。六年も会っていなかったのだ。文字の書き方くらい変わるだろう。
文字の形に戸惑うのは、きっと自分があの頃から一歩も進めていなかったせいだ。
指先にシエンの熱を感じる。
初等部の時に、宿題を一緒に解いて行った思い出が蘇る。
そこでロイスは、シエンにこれを届けるという事は、直接顔を合わせる事になると気付く。
(──しまった…)
今の自分は、シエンを離れた場所から見ているだけで、名前を呼ばれただけで、心臓が破裂してしまいそうになるのだ。
あんなに会いたかったシエンに、いざ向き合うとなると、どうして良いのか判らなくなる。
しかし「持って行く」と自分が言った以上、「やはり…」と女生徒に頼み直すのはプライドが許さない。
それに教科担当を選んでしまい、その教師がシエンだった以上、任期の半年間は何かと直接会わなければならないのだ。いつかはシエンと話さなくてはならない。
ロイスは大きく息を吐くと、覚悟を決めた。
シエンが屋敷を出る時に、かけてくれた言葉を思い出す。
雪が降っていた。
リチャードソン家の玄関ポーチの前で、幼いロイスと大学受験を控えたシエンが立っている。
「──シエン…本当に行っちゃうの?」
車に荷物を積んでいるシエンに、ロイスは涙を堪えて聞いた。
ロイスに気付いたシエンは、手を止めてロイスの前に片膝を付いた。
「ロイス様、申し訳ありません。どうしてもやりたい事があるんです」
目と鼻を赤くして、ロイスはトワイライトブルーの瞳でシエンを見つめる。
「それ、パパの学校で出来ないの?」
シエンは微笑むと、少し躊躇《ためら》ってロイスの頭を撫でる。
「すみません。出来ないんです」
ロイスは鼻をすすると、泣き声を上げて、父親の足に抱き付いた。
シエンの手が、虚しく空に留まる。
「おい、シエン。時間だぞ。列車に遅れる」
執事である父親が、シエンに出発を告げる。
シエンは胸が締め付けられる想いを押し殺す。
「本当にすみません。あなたには寂しい思いをさせてしまうのは判っています」
ロイスは更に大声で泣く。
シエンは立ち上がると、再びロイスの側で膝を付く。
「──これだけは言わせて下さい」
ロイスの泣き声が止み、涙に濡れたスモークブルーがシエンに向けられる。
涙を堪えて、シエンはロイスを抱き締めた。
「──今は寂しくて悲しいかもしれません。でも、問題事のほとんどは、結局、最終的に何とかなるものですよ。あなたには問題を解決する力があるのですから」
そう告げると車に乗り込み、リチャードソン邸を後にした。
ロイスは父親の足に掴まり、降り頻《しき》る雪中に消えて行く車を見送り、また泣きじゃくった。
こればかりは自分の力で解決出来るか、どうこうする問題ではないが、シエンの言葉を信じる事にした。
あの言葉は、今でもロイスの心に静かに灯《とも》り続けている。ゆらゆらと優しい微睡《まどろみ》の中で聞いたシエンの声と共に。
最終的には、何とかなると信じて──。
大丈夫。きっと自分にも出来る。
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