小指は契約の香り-秘密の二人編-

弥都 史誠(ヤツ フミタカ)

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第十一章

『姫事』#4

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 ロイスがワイドパンツの裾を持ち上げて、その場で足踏みをする。
「素直に背負われて下さいよ」
 シエンの少し呆れが含まれた声がして、ロイスはキッとシエンの方へと振り返る。
 シエンは怯まず小首を傾げて、少し表情を崩す。
 明らかに「ほらね」と言っている。
 ロイスはシエンのその表情を読み取ると、ロイスは悔しそうに目を固く閉じて、「いーっ」と歯を食いしばった。
「…分かった」
 と、言っても納得など出来る訳がなかった。しかし、この状況から脱する為の選択肢は、これしかなかった。
 シエンは不承不承《ふしょうぶしょう》承諾したロイスの前に、再び背を向けて膝を付く。
 ロイスは無言で差し出されたシエンの背中を改めて見つめる。
(──…こんなに広かったっけ?)
 何度も見ていたはずの背中は、遠い思い出になっていた。
 自分も成長して、少しは追い付いたと思っていたのに…。
「さぁ、どうぞ」
 シエンが少しこちらに振り返って、背中に掴まるように促して来た。
 ロイスは一時の感傷から、現実に引き戻され、固く目を閉じて、歯を食いしばる。
 そして、意を決すると、ゆっくりとシエンの肩に手を伸ばす。
 首に腕を回すと、シエンの腕が後ろへ伸びて来て、両足の膝裏に回される。
 ロイスの心臓が跳ね上がる。
(こっ…これは手を繋ぐよりもヤバい…)
 シエンの首から汗と香水の香りがふわりと漂う。
 磯の香りとも汗の匂いとも違う塩気の香り。そして、その奥の方に微かに感じる革と…木のような安心する香り。
 車に乗り込んだ時より、はっきりと感じる。
 自分より遥かに大人になってしまった、今のシエンの香りだった。
 身体付きも、身に着ける服も全てが、自分の知っているシエンではなくなっている。でも、こうして自分を大切に扱ってくれるのは、あの頃と変わっていない。
 シエンは軽々とロイスを背負って立ち上がると歩き出す。
 砂浜に二つあった影が、一つに重なっている。
 ロイスは額をシエンの髪の毛の無い、右側の肩口にくっ付ける。
「──…なぁ、シエン」
 顔が熱いのは、気温の所為だけではない。
「はい」
 僅かにシエンの頭がロイスの方へ動いた。
「俺…今、凄いドキドキしてる……分かるか?」
 シエンの口角が上がり、ロイスに微笑みかける。
(全く…今日は調子を“狂わされ”ましたよ)
 ロイスの心臓が、平常時の二倍、三倍の速さで鼓動しているのがジャケット越しでもはっきりと判る。
「──ええ、ちゃんと伝わってますよ。私もドキドキしてます」
 歩き難い砂浜を抜けて、堤防の上へ繋がる階段を、慎重に一歩一歩進む。
 靴に入り込んだ砂が、ジャリジャリしている。
 これは自分も最低でも、靴下は洗わなくてはならないな、と思った。
 背後から伸びるロイスの腕に力が入った。
「俺の方が…ドキドキしてる」
 ロイスはシエンをギュッと抱き締める。まるで二人の鼓動を共有させるかのように。
 このドキドキは、シエンのものか自分のものか判らない。
 それでも、子供の頃…六年以上前から感じていた朧気《おぼろげ》な思慕の念は、今ははっきりと形が変わったと断言出来る。
 駐車場の隅に備え付けられた、トイレの前に設置された水飲み場が見えて来る。
「あそこで足、洗いましょう」
「…うん」
 あつい。
 足裏は火傷したみたいに熱いし痛い。身体の暑さは気温だけの所為ではない──でもずっとこのままでいたい。
 シエンはそんなロイスの心中など知るよしも無く、切り株を模した水飲み場へ向かう。
 水飲み場に着くと、水栓の前にロイスを降ろす。
「──ははっ、足が気持ち良い」
 ロイスは水で濡れている、駐車場のアスファルトの舗装より少し下がった枠縁内で、足踏みをしてみる。
 ピチャピチャと音がするのが面白くて、ロイスは足踏みを続ける。
「足は大丈夫なようですね」
 シエンは持っていたロイスの靴を、濡れないように、横に設置されたベンチの下に置いた。
 そして、サングラスを外して胸ポケットに入れて、視界をクリアにする。
 低い切り株型の踏み台に近付いて、上が汚れていないことを確認する。
「──足、洗いますから、ここに座っていただけますか?」
 ロイスも踏み台に汚れも濡れも無いことを確認する。
「うん…」
 パンツの裾を上げて、水栓の方に足を向けて踏み台に腰掛ける。
 ロイスが蛇口の栓を回すと、冷たい水が出て来て、一気に砂と熱を流して行く。
 シエンも靴を脱ぐと、やはり中に砂が入っていた。靴下にも砂が付いている。
 靴下を脱いで裸足になる。
「──何だ、結局お前も裸足になってるじゃないか」
 ロイスは蛇口から流れて落ちる水の下で、足を擦り合わせながら笑った。
「…誰の所為だと思っているんですか? 全く」
 シエンは呆れ気味に、手早く靴の中の砂を出し、靴下の砂を払う。
「最初から裸足になれば良かったんだよ」
「私は熱い思いはしたくないので」
 そう言って、シエンはニヤリと笑いながら、パンパンと手に付いた砂を払った。
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