小指は契約の香り-秘密の二人編-

弥都 史誠(ヤツ フミタカ)

文字の大きさ
46 / 52
第十一章

『姫事』#5(★)

しおりを挟む
 シエンの勝ち誇ったようなセピア色の目に、ロイスはまたムッとした表情を浮かべた。
 だが砂浜に裸足を置いた瞬間、熱いのは判っていた。それでもシエンと手を繋いで波打ち際を歩きたくて、そのまま突っ走った。
「まぁ…あの熱さは地獄だったな」
 少しの後悔と、やはりシエンと歩きたかった未練が混じる。
 シエンはレザーパンツの裾を出来るだけ上げると、ロイスの前に据わる。
「足を失礼します」
 まずはロイスの左足を手に取ると、まだ落ち切れていない砂を、丁寧に指の間まで洗う。
「アハッハッ! シエン、くすぐったい」
 逃げようとするロイスの足を、シエンはがっしりと掴んで離さない。
「我慢して下さい。はい、右足も」
「だっ、だって! アハハハハ!」
 シエンは右足も丁寧に洗って行く。ロイスの足や集水マスで跳ね返った水滴が、シエンの服を濡らす。
「──…シエン」
 波の音と足を洗う水音だけが響く中、ロイスは声のトーンを落として名を呼んだ。
「──気持ち良いよ」
 触れられる、シエンの指先の感触が。
「水が冷たいですからね。はい、終わりましたよ」
 違う。そんな事を言って欲しい訳じゃない。お前に触れられているから、気持ち良いんだ。だから…この先だって──して欲しい。
 心に針を刺されたようだった。立場という見えない壁に阻まれて、伝えたいのに伝えられないもどかしさに、少しだけ悲しくなった。
 告白された時は自信が無かったけれど、今ならはっきりと言えるのに…。
 手を繋ぐだけじゃない。足を洗うだけじゃない。俺の心の奥の奥でさえも、全部、お前に触れて欲しい。
 昨夜の自分の行為を思い出して、顔が熱くなった。
 でも、今はまだ我慢の時。教師と生徒の関係が解消されるまでは。
「──あぁ…タオルがありませんね。これは失敗しました」
 シエンが立ち上がって両腕を振り、水滴を飛ばす。
「…タオル、ある」
 そう言って、ロイスは小さなバッグから、大判のタオルハンカチを取り出す。
 白地にペールオレンジとブルーのチェック柄のシニョール織のタオルハンカチだった。
「それを使う訳には…」
「無いんだろ、タオル」
 ロイスはシエンに向かってそう言うと、サッサと自分の足を拭き始める。
 シエンは溜め息を吐くと、再びロイスの足元に腰を下ろして、そっとロイスの手に自分の手を重ねる。
「私が…」
 そしてロイスからタオルハンカチを受け取ると、砂を洗い流した時のように、丁寧に、決して擦らずに、少しずつずらしてタオルに水を吸い込ませる。
 クックッと押さえられる度に、タオルハンカチ越しに、シエンの手の大きさと体温を感じる。
「クッ…フッフッ…ダメだって! くすぐったい!」
 ロイスは笑いを堪え切れずに、足を引く。
 それをシエンは逃さないように捕まえる。
「では、今のうちに慣れて下さいね。いざという時の為に」
「…いざ、って?」
 ロイスはキョトンとして問い返す。
「はい、また濡らさないように、足上げて下さい」
 ロイスは拭いて貰った左足を踏み台に乗せて、片膝立ち状態になる。その左足を抱える。
「──いざという時は…いざという時です」
 シエンが上目遣いで、含み笑いをして来た。
 そしてロイスの右足から、同じように水滴を拭き取って行く。
「やっぱ、くすぐったい!」
「今日は熱かったり、冷たかったり、くすぐったかったり、忙しいですね」
(それだけじゃないけど…)
 今日は朝から、ロイスにとっては冒険の一日だった。
 朝から沢山ドキドキもした。心の底から笑ったのは、何年振りだろう。
 学校生活に不満は無い。ロドルフもレイモンドもアマンシアも、気の置けない仲間達だ。
 でも、今日は何もかもが特別だった。
「はい、終わりましたよ。靴をお持ちしますから、濡らさないようにお願いしますよ」
 シエンは立ち上がり、再び両手を振って水滴を飛ばした。
 そしてベンチ下に置いた、ロイスの靴を取りに向かう。
「うん…」
 ロイスは右足も踏み台に上げて、今度は胡座をかいた。
 その後ろ姿を追う。
(……⁉︎ ちょっと待て。いざっていう時って…やっぱりセッ──?)
 やっとシエンの含み笑いの意味に、脳が追い付いた。
 頭の中がパニックになり、シエンの「足を上げて下さい」というワードが、変な意味に聞こえて来る。
 ロイスは頭を振って、不埒な考えを消そうとする。
(──でもレイモンドは経験済みだって言ってた。俺…もしかしたら、遅いのかもしれない)
 何故か溜め息が出た。
「溜め息なんか吐いて、どうしたんです?」
「えっ⁉︎」
 いつの間にか、シエンが戻って来ていた。
「──ちょっと…疲れただけ、だ」
 咄嗟に目を逸らしてしまった。
 まさかシエンとの“いざ”を想像していたとは、絶対に言えない。
(──耐えろ、俺…‼︎)
 胡座で開いていた足を閉じて、膝を抱え込んだ。
「そうですね。あれだけはしゃげば疲れるでしょう」
 シエンはロイスの靴を揃えて置くと、くるりとひっくり返して、踵側をロイスに向ける。
 そして中に入っている靴下を取り出す。
「靴下くらい、自分で履けるぞ」
 座っていれば、何でも使用人がやってくれる年齢は過ぎているのに、シエンの中では今でも“お坊ちゃま”なのだろう。
 これからは、シエンに成長した自分を示して行かなくてはならない。そして、肩を並べても、恥ずかしくない自分にならなければ。
 ロイスはシエンに手を差し出す。
 シエンは少し間を置いて笑う。
「それは失礼しました。どうぞ」
 クシャクシャの靴下を、そっとロイスの手の平に置いた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

期待の名探偵の頭脳は、俺に全振りされている。

さんから
BL
高校生探偵後輩×漫画描き先輩 部活の後輩・後生掛 清志郎は、数々の難事件を解決してきた期待の名探偵だ。……だけど高校に入学してから探偵の活動を控えているらしく、本人いわくその理由は俺・指宿 春都にあると言う。 「俺はイブ先輩だけに頼られたいし、そのために可能な限りあなたの傍にいたいんですっ」 いつもそう言って、しょうもないことばかりに推理力を使う後生掛。頭も見た目も良いコイツがどうして俺に執着してるのかが分からなくて──。

今日もBL営業カフェで働いています!?

卵丸
BL
ブラック企業の会社に嫌気がさして、退職した沢良宜 篤は給料が高い、男だけのカフェに面接を受けるが「腐男子ですか?」と聞かれて「腐男子ではない」と答えてしまい。改めて、説明文の「BLカフェ」と見てなかったので不採用と思っていたが次の日に採用通知が届き疑心暗鬼で初日バイトに向かうと、店長とBL営業をして腐女子のお客様を喜ばせて!?ノンケBL初心者のバイトと同性愛者の店長のノンケから始まるBLコメディ ※ 不定期更新です。

あなたの王子様になりたい_1

しお
BL
歌舞伎町の外れにある小さなバーで働く元ホスト・ゆみと。 平穏な夜になるはずだった店に、場違いなほど美しく、自信に満ちた大学生・直央が女性と共に現れる。 女性の好意を巧みにかわしながら、なぜかゆみとにだけ興味を示す直央。軽口と挑発を織り交ぜた距離の詰め方に、経験豊富なはずのゆみとは次第にペースを崩されていく。 甘くて危うい「王子様」との出会いが、ゆみとの退屈な夜を静かに狂わせ始めた――。

オッサン課長のくせに、無自覚に色気がありすぎる~ヨレヨレ上司とエリート部下、恋は仕事の延長ですか?

中岡 始
BL
「新しい営業課長は、超敏腕らしい」 そんな噂を聞いて、期待していた橘陽翔(28)。 しかし、本社に異動してきた榊圭吾(42)は―― ヨレヨレのスーツ、だるそうな関西弁、ネクタイはゆるゆる。 (……いやいや、これがウワサの敏腕課長⁉ 絶対ハズレ上司だろ) ところが、初めての商談でその評価は一変する。 榊は巧みな話術と冷静な判断で、取引先をあっさり落としにかかる。 (仕事できる……! でも、普段がズボラすぎるんだよな) ネクタイを締め直したり、書類のコーヒー染みを指摘したり―― なぜか陽翔は、榊の世話を焼くようになっていく。 そして気づく。 「この人、仕事中はめちゃくちゃデキるのに……なんでこんなに色気ダダ漏れなんだ?」 煙草をくゆらせる仕草。 ネクタイを緩める無防備な姿。 そのたびに、陽翔の理性は削られていく。 「俺、もう待てないんで……」 ついに陽翔は榊を追い詰めるが―― 「……お前、ほんまに俺のこと好きなんか?」 攻めるエリート部下 × 無自覚な色気ダダ漏れのオッサン上司。 じわじわ迫る恋の攻防戦、始まります。 【最新話:主任補佐のくせに、年下部下に見透かされている(気がする)ー関西弁とミルクティーと、春のすこし前に恋が始まった話】 主任補佐として、ちゃんとせなあかん── そう思っていたのに、君はなぜか、俺の“弱いとこ”ばっかり見抜いてくる。 春のすこし手前、まだ肌寒い季節。 新卒配属された年下部下・瀬戸 悠貴は、無表情で口数も少ないけれど、妙に人の感情に鋭い。 風邪気味で声がかすれた朝、佐倉 奏太は、彼にそっと差し出された「ミルクティー」に言葉を失う。 何も言わないのに、なぜか伝わってしまう。 拒むでも、求めるでもなく、ただそばにいようとするその距離感に──佐倉の心は少しずつ、ほどけていく。 年上なのに、守られるみたいで、悔しいけどうれしい。 これはまだ、恋になる“少し前”の物語。 関西弁とミルクティーに包まれた、ふたりだけの静かな始まり。 (5月14日より連載開始)

陰キャ系腐男子はキラキラ王子様とイケメン幼馴染に溺愛されています!

はやしかわともえ
BL
閲覧ありがとうございます。 まったり書いていきます。 2024.05.14 閲覧ありがとうございます。 午後4時に更新します。 よろしくお願いします。 栞、お気に入り嬉しいです。 いつもありがとうございます。 2024.05.29 閲覧ありがとうございます。 m(_ _)m 明日のおまけで完結します。 反応ありがとうございます。 とても嬉しいです。 明後日より新作が始まります。 良かったら覗いてみてください。 (^O^)

タトゥーの甘い檻

マリ・シンジュ
BL
執着系わんこ攻(大学生)× 高潔な美形教授受(30代) どのお話も単体でお楽しみいただけます。 ​「先生、ここ……僕の瞳を入れるから。ずっと、僕だけを見てて」 ​真面目な大学教授・新城が、大学生の・羽生にだけ許した、あまりにも淫らな「わがまま」。 ​それは、誰にも見えない内腿の奥深くに、消えないタトゥーを刻むこと。 「下書き」と称して肌を赤く染めるペン先の冷たさ。 アトリエの無機質なライトの下、四つん這いで晒される大人の矜持。 ​ずっと年下の青年の、必死で、残酷で、純粋な独占欲。 愚かだと知りながら、新城はその熱に絆され、ゆっくりと「聖域」を明け渡していく――。 ​「……お前のわがままには、最後まで付き合う」 ​針が通るその時、二人の関係は一生消えない「共犯」へと変わる。 執着攻め×年上受け、密やかに刻まれる秘め事のお話。

隣の席のイケメンに懐かれた

しょうがやき
BL
隣の席のイケメンに懐かれた平凡男子の話

政略結婚したかった

わさび
BL
御曹司 朝峰楓× 練習生 村元緋夏 有名な事務所でアイドルを目指して練習生をしている緋夏だが、実は婚約者がいた。 二十歳までにデビューしたら婚約破棄 デビューできなかったらそのまま結婚 楓と緋夏は隣同士に住む幼馴染で親はどちらも経営者。 会社のために勝手に親達が決めた政略結婚と自分の気持ちで板挟みになっている緋夏だったが____

処理中です...