精霊の森には

ginsui

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 夜明けとともにアウルはめざめた。
 館のあちこちで、みなが動きはじめた気配がする。
 寝台をおりて、窓の木戸をいっぱいに開けた。
 初夏のひんやりとした風が、寝起きの頬にここちいい。
 東の森はまだ暗い影に沈んでいたが、空は紫から赤紫、紅色へと美しいだんだら模様をつくっている。
「おはようございます。アウルさま」
  水差しを手に侍女頭のセニが入ってきた。
 ふっくらとした身体に、いつでも上機嫌な丸い顔。生まれた時からアウルのめんどうをみてくれている。
「きょうもいいお天気になりそうですわね」
 たらいに水をそそぎこみ、
「あらあら、ひどい寝ぐせ。お湯を持ってこなくては」
「大丈夫よ」
 たらいの水で顔を洗って、アウルは素早く着替えをすませた。細身のズボンとブラウスにベスト。鏡の前でえんじ色の腰帯をきゅっと締めた。
 アウルの髪はあざやかな赤のくせ毛で、ほうぼうに飛びはねている。炎のように背中をおおっているそれを濡らし、なんとか一本のおさげにまとめあげた。
 ひょろりとした手足、大きな目鼻立ち。アウルのよく輝く黒い目と頑固そうな口もとは、先代にそっくりだとダイの人々はいう。父が三年前に病死してから、アウルは二十歳に満たない若さでダイの領主を継いでいた。
 部屋を出たアウルは塔に向かった。
 屋上にのぼった時には、太陽はすっかり姿を現していた。さながら黄金の果実。眼下のほとんどが広大な森で、光をあびた木々は緑の波のようにさざなみだっている。
 アウルはひざまずいて太陽に礼拝した。ダイの平安を願って。代々の領主の変わらぬ日課だ。
 ダイは王国の東のはずれにある。はてのない森の海に突き出た岬のような地だ。わずか三つの村しかない小さな領地。それでも、森が多くの恵みをもたらしてくれた。精霊の機嫌さえそこねなければ、季節ごとの実りや獲物が手に入るし、森から流れるイーグ川のおかげで耕作地も狭いながらよく肥えている。
 アウルは森にも感謝をささげた。その時、なにかが足もとにすりよってきてニャアとないた。
「あら、ロー。来てたの」
 一匹の猫がアウルを見上げて、長い尾をぱたりと動かした。
 短い灰色の毛。濃い緑色の目。ほっそりとした美しい猫だ。いつのころからか館に住みつき、いまではすっかり飼い猫におさまっている。
 アウルはローを抱き上げた。
「行きましょう。アレンが待ってるわ」
 ローを抱いたまま一階におりると、弟のアレンはもう暖炉の前の食卓についていた。
「おはよう、姉さま」
 にっこりとアウルに笑いかける。母の死とひきかえに生まれたアレンは十になったばかりだ。母そっくりのさらさらした金髪に愛らしい顔立ち。この弟が一人前になるまで、あと数年はアウルが領主でいるしかないだろう。
「あれ、ローもいっしょ」
 ローはアウルの腕をするりと抜け出して、アレンの膝に飛び乗った。その喉をなでながら、
「きょう、森に行っていい? イーグ川で大きなマスがとれるんだって」
「いいけど、あんまり奥に入っちゃだめよ。精霊に連れていかれるかも」
「だいじょうぶ。バンたちもいっしょだよ」
「あらあら、今晩は魚料理ですね」
 皿にスープをよそってくれながらセニが目を細めた。
「大きな鍋を用意して待っておりますよ」
「まかせておいて。お弁当つくってね、セニ。みんなのぶんも」
「わかっております。ほらほら、ローをおろしてください。ごはんが食べられませんよ」
 
 執務室から、同じ年頃の少年たちとにぎやかに森に向かうアレンの姿が見えた。うしろからローがとことことついて行く。アウルはちょっと笑い、仕事にもどった。
 目を通す書類がいくつか。種つけの報告や、隣人とのもめごとの調停依頼、結婚届け。
 自分より若い新郎新婦に認可の署名をしていると、家令のライが入ってきた。 
 先祖代々アウルの家に仕えているライは、父の友人であり、よい片腕だった。アウルがなんとか領主の仕事をこなしているのも彼のおかげだ。
 父の死後、彼の髪の毛はすっかり白くなってしまった。誰よりもダイと領主家のことを思ってくれるあかしだろう。眉をよせた気むずかしい顔はいつものこと。妻のセニとは正反対だったが、ふたりはいい夫婦だった。
「都から書状がとどきましたよ、アウル。王書です」
「王から?」
 都の役人からの文書はたびたび来るが、王からのものはめずらしい。アウルはでかでかと赤い王印が押してある紙をひろげた。
 内容は簡潔、有無をいわせぬものだった。
 わが王国はこのたびクリシュラ教を国教に定めた。ついては都をはじめ、王国の四方に神殿を建立することにする。神官らが場所を探すため各地を巡るので、立ち寄った時はよろしく協力するように。
 クリシュラの名はアウルも知っていた。大陸の神だ。       
 この王国は島国だった。遠く海をへだてた西方に大陸があり、広大な帝国がある。
 船では数ヶ月の距離ながら、王国と帝国は昔から交流を重ねてきた。何年かに一度、留学生が帝国に渡り、さまざまな文化を持ち帰る。古くは鉄を作る技術や、紙、薄い織物、作物の種などなど。そして、こんどは神様か。
 清く正しく生きていけば、死後の魂は天上へと昇り、〈神〉のもと永遠の幸福を得る、というのが聖人クリシュラの教えだ。
 しかし、清く正しくばかり生きていけないのが人間の性。そういった悩み多き者たちに代わって神官が〈神〉に祈り、許しをもらう。帝国では、帝王の次に大神官が力を持っていると聞いたことがある。
「私たちは太陽に祈り、祖霊をあがめ、精霊に感謝する」
 アウルは手紙をライに渡した。
「それだけではいけないのかしら」
 ライは手紙を一読し、眉をひそめた。
「都では、だいぶ前からクリシュラ教が広がっているようです。王はまだ若い。新しいものに飛びつきたいのでしょう」
「王国の四方、東西南北か」
「このあたりは、東の神殿というわけですな」                  
「ふうん」
 アウルはもう一度手紙を眺めた。
「神殿が建つとしたら、どうなるのかしら」
「人夫や工夫はダイの者だけで足りるはずがありませんから、外からおおぜいの人間が入るでしょうな。さまざまな商売が必要になります」
「そうね」
「さらに、神殿が完成すれば人々はこぞって詣でに来る」
 ライは手紙をたたみ、アウルに手渡した。
「建設の負担は少なからずあると思います。しかし、領内は確実に潤うでしょう」
 アウルはうなずいた。
 ダイにはとりたてて特産品があるわけではない。王国の東のはずれ、辺境の地。都の人間は、ダイの正確な位置さえ知らないに違いない。
 クリシュラの信仰を別にすれば、領内が豊かになるのはいいことだ。ダイはけして貧しい土地ではなかったが、なにしろ耕地が少ない。養える人間の数には限りがあった。これまでも、多くの若者が自分の農地を持てずに故郷を離れた。働く場所さえあれば、彼らも出て行くことはない。
 もちろん急な変化を望まない者もいるだろう。このままの穏やかな生活に、捨てがたいものはある。しかし、ダイの未来のためだ。アレンの時代には、ダイは王国でも名だたる領地になっているかも。
「いま皮算用してもはじまりませんな」
 ライがアウルの心を見透かしたかのように言った。
「候補地は他にもあるでしょう。まずは神官を迎えなければ」
 まったくだ。
 まずは神官をもてなすとしよう。
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