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リイシャの本舎行きは、その日のうちに知れ渡り、皆は羨望を籠めたまなざしで彼女を眺めた。本舎に行くには試験があるわけではなく、教師たちに認められた者が時期を問わず指名される。最終的に判断するのはラウドだということだった。
「彼女はラウドのお気に入りだからな」
大部屋に帰ったタラックが、ぼそりとつぶやいた。彼は、あいかわらず予備舎にいる。
「ラウド先生は依怙贔屓するような人じゃないよ」
トルグは、むっとして言った。
「ふん、わかっているさ」
タラックはため息をついた。
「そろそろおれも、潮時かもな」
夜、寝台に横になりながらトルグは考えた。リイシャにあって、タラックや自分に足りないもの。
知識だけなら、タラックたちの方がすでに上だ。彼らは教室も別で、もっと専門的なことを学んでいる。魔法使いになれずとも、どの領地でも必要とされるように。
重要なのは、やはり〈力〉か。
トルグは目を閉じ、自分の〈力〉をまさぐってみた。いまではトルグも、自在に〈力〉を発動できる。近くのものなら手を使わずに動かせたし、壁の向こうをぼんやり透視することも、小さな虫を仮死状態にして、また甦らせることもできる。だがそれは、ささやかな力だ。もっと大きな〈力〉を得るためには、自分自身の精神をその入れ物として耐えられるような堅固なものにしなければならないことはわかっている。
自分自身を怖れろとラウドは言った。トルグは、大きな〈力〉を引き出すことで自分が壊れてしまうのが怖かった。だから、手探りするように恐る恐る〈力〉を使う。
精神と〈力〉の均衡なのだ。
トルグは思った。予備舎にとどまっている者は、まだその兼ね合いを探しあぐねている。
リイシャには〈力〉を扱う勇気と、それにふさわしい精神力があるのだ。
みごとに均衡を保ちながら。
眠られず、朝方ようやくうとうとした。
「トルグ!」
リイシャの声ではっと目が醒めた。
あわてて身を起こしても、射し込む夜明けの光の中で皆がまだ眠っているだけ。
トルグは顔をこすり、ため息をついた。リイシャが本舎に行くのは今日だ。まだ寮にいるにしても、こんな所に来るはずがない。
心語とも違っていた。相手の脳内に思念を流し込む心語は声を形作らない。だがいまのは、はっきりとリイシャの声の響きを持っていた。
なにかを訴えているような。
まさか。
トルグは苦笑し、また寝台に横になった。空耳にちがいない。
幻聴については勉強したばかりだ。あんまりリイシャのことを考えたものだから、頭の中が勝手に彼女の声をつくりだしたのだ。
だが、空耳ではなかったことがやがてわかった。
リイシャが姿を消したのだ。
朝、同室の者が起きた時、リイシャの寝台は空だった。寮を出るためにまとめていた荷物も、着替えもそのまま残されていた。
朝食の時間になっても、リイシャは戻って来なかった。寝間着一つの姿で、どこに行ったと言うのか。
生徒たちはざわついた。みなで手分けして学舎中を捜した。〈力〉でリイシャの気配を探ってみようとした。だが、リイシャはどこにもいなかった。
「なぜ姿を消す必要があるんだ?」
タラックが怒ったように言った。
「晴れて本舎に行けるという日に」
「魔法使いになるのが、急に怖くなったとか」
と、誰か。
「まさか」
アリザが首を振った。
「夕べ、変わったことなんてなかったわ。リイシャは楽しそうに荷造りしてた」
「リイシャの意志じゃないよ」
トルグは、不安で胸が潰れそうになりながらつぶやいた。
「リイシャに何か起きたんだ」
報告を受けたラウドは、執務室から出てこなかった。
いつものように教師がやって来て、授業をはじめた。天体図を広げながら、気もそぞろなトルグたちを眺め回し、
「魔法使いに最も必要なのは平常心だ。忘れないように」
「でも、先生」
トルグは思わず言った。
「リイシャが消えたんです」
「ラウドが調べている。彼にまかせなさい」
とはいえ、いてもたってもいられなかった。
トルグは授業の合間にひとり寮に戻った。誰もいない二階の廊下を通り、リイシャがいた女子部屋に入った。
まぎれもない規則違反だ。後ろめたさを追いやって、トルグは心を澄ました。
今朝のリイシャの声は、トルグへの呼びかけだったのだ。リイシャはトルグに救いを求めている。また聞こえるかもしれない。そうしたら、きっとリイシャの居場所をつきとめてみせる。
部屋の中をゆっくりと巡り、またがらんとした廊下に出た。縦長の窓から射し込む陽の光が、床に等間隔の四角い模様を作っていた。光と影を交互に渡りながら、トルグは〈力〉を四方に発動し、リイシャを追い求めた。どんなことでもいいから手がかりが欲しかった。リイシャの行った先を辿ることができるなら──。
「トルグ」
トルグははっとした。
リイシャの声だ。
それは天井から聞こえた。
「トルグ」
さらに、窓の下の方から。
天井を見上げ、窓から外をのぞき込んだ。なぜ誰もいない場所から声がするのか。
「リイシャ」
トルグは必死で呼びかけた。
「どこ?」
「トルグ」
弾んだ声が、すぐ耳元で、
「よかった。つかまえたわ、あなたを」
「彼女はラウドのお気に入りだからな」
大部屋に帰ったタラックが、ぼそりとつぶやいた。彼は、あいかわらず予備舎にいる。
「ラウド先生は依怙贔屓するような人じゃないよ」
トルグは、むっとして言った。
「ふん、わかっているさ」
タラックはため息をついた。
「そろそろおれも、潮時かもな」
夜、寝台に横になりながらトルグは考えた。リイシャにあって、タラックや自分に足りないもの。
知識だけなら、タラックたちの方がすでに上だ。彼らは教室も別で、もっと専門的なことを学んでいる。魔法使いになれずとも、どの領地でも必要とされるように。
重要なのは、やはり〈力〉か。
トルグは目を閉じ、自分の〈力〉をまさぐってみた。いまではトルグも、自在に〈力〉を発動できる。近くのものなら手を使わずに動かせたし、壁の向こうをぼんやり透視することも、小さな虫を仮死状態にして、また甦らせることもできる。だがそれは、ささやかな力だ。もっと大きな〈力〉を得るためには、自分自身の精神をその入れ物として耐えられるような堅固なものにしなければならないことはわかっている。
自分自身を怖れろとラウドは言った。トルグは、大きな〈力〉を引き出すことで自分が壊れてしまうのが怖かった。だから、手探りするように恐る恐る〈力〉を使う。
精神と〈力〉の均衡なのだ。
トルグは思った。予備舎にとどまっている者は、まだその兼ね合いを探しあぐねている。
リイシャには〈力〉を扱う勇気と、それにふさわしい精神力があるのだ。
みごとに均衡を保ちながら。
眠られず、朝方ようやくうとうとした。
「トルグ!」
リイシャの声ではっと目が醒めた。
あわてて身を起こしても、射し込む夜明けの光の中で皆がまだ眠っているだけ。
トルグは顔をこすり、ため息をついた。リイシャが本舎に行くのは今日だ。まだ寮にいるにしても、こんな所に来るはずがない。
心語とも違っていた。相手の脳内に思念を流し込む心語は声を形作らない。だがいまのは、はっきりとリイシャの声の響きを持っていた。
なにかを訴えているような。
まさか。
トルグは苦笑し、また寝台に横になった。空耳にちがいない。
幻聴については勉強したばかりだ。あんまりリイシャのことを考えたものだから、頭の中が勝手に彼女の声をつくりだしたのだ。
だが、空耳ではなかったことがやがてわかった。
リイシャが姿を消したのだ。
朝、同室の者が起きた時、リイシャの寝台は空だった。寮を出るためにまとめていた荷物も、着替えもそのまま残されていた。
朝食の時間になっても、リイシャは戻って来なかった。寝間着一つの姿で、どこに行ったと言うのか。
生徒たちはざわついた。みなで手分けして学舎中を捜した。〈力〉でリイシャの気配を探ってみようとした。だが、リイシャはどこにもいなかった。
「なぜ姿を消す必要があるんだ?」
タラックが怒ったように言った。
「晴れて本舎に行けるという日に」
「魔法使いになるのが、急に怖くなったとか」
と、誰か。
「まさか」
アリザが首を振った。
「夕べ、変わったことなんてなかったわ。リイシャは楽しそうに荷造りしてた」
「リイシャの意志じゃないよ」
トルグは、不安で胸が潰れそうになりながらつぶやいた。
「リイシャに何か起きたんだ」
報告を受けたラウドは、執務室から出てこなかった。
いつものように教師がやって来て、授業をはじめた。天体図を広げながら、気もそぞろなトルグたちを眺め回し、
「魔法使いに最も必要なのは平常心だ。忘れないように」
「でも、先生」
トルグは思わず言った。
「リイシャが消えたんです」
「ラウドが調べている。彼にまかせなさい」
とはいえ、いてもたってもいられなかった。
トルグは授業の合間にひとり寮に戻った。誰もいない二階の廊下を通り、リイシャがいた女子部屋に入った。
まぎれもない規則違反だ。後ろめたさを追いやって、トルグは心を澄ました。
今朝のリイシャの声は、トルグへの呼びかけだったのだ。リイシャはトルグに救いを求めている。また聞こえるかもしれない。そうしたら、きっとリイシャの居場所をつきとめてみせる。
部屋の中をゆっくりと巡り、またがらんとした廊下に出た。縦長の窓から射し込む陽の光が、床に等間隔の四角い模様を作っていた。光と影を交互に渡りながら、トルグは〈力〉を四方に発動し、リイシャを追い求めた。どんなことでもいいから手がかりが欲しかった。リイシャの行った先を辿ることができるなら──。
「トルグ」
トルグははっとした。
リイシャの声だ。
それは天井から聞こえた。
「トルグ」
さらに、窓の下の方から。
天井を見上げ、窓から外をのぞき込んだ。なぜ誰もいない場所から声がするのか。
「リイシャ」
トルグは必死で呼びかけた。
「どこ?」
「トルグ」
弾んだ声が、すぐ耳元で、
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