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第二部
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しおりを挟む矢は、的を外れてあずちに突き刺さった。
惟澄は顔をしかめて、もう一本矢をつがえた。
板的は小気味いい音をたててようやく割れた。
十射一中とは情けない。弓の弦をなぞってため息をついた。
考えることが多すぎて、頭をはっきりさせようと弓場に出たのだ。だが、まったく集中できなかった。話にならない矢どころだ。
向こうにいる泉に、矢を抜いてくるように合図した。自分は床几に腰掛けて空を仰ぎ、そのまぶしさに目を閉じた。雲がゆっくり流れて行く。
初めて弓を引いたのは、月弓の邸だった。
更伎が琵琶の稽古をはじめていて、羽矢もなにか稽古をしたいと言い出したのだ。それならばと、由宇が弓を出してくれた。羽矢といっしょに惟澄も習った。なかなかおもしろくて二人とも夢中になった。羽矢の方が、はるかに上手かった。
「呪力を使っちゃずるいわよ」
口惜しくなって、言ったことがある。
「使ってないよ、馬鹿だなあ」
荒っぽい声で羽矢は答えた。
いま思えば、ひどいことを言ったものだ。その時は、羽矢にも呪力がないなんて考えもしなかった。
惟澄の矢が羽矢のものより長くなったころ、羽矢は弓を引かなくなった。
かわりに馬に乗って、遠駆けに出かけた。毎日、惟澄を置いて。
惟澄の足も、やがて月弓邸から遠ざかった。
大隅に行けば、羽矢と完全に離れることになるだろう。
いっそそうして新しい世界に踏み出せばいい。もうけして羽矢は歩み寄ってこないのだから。
何度も自分に言い聞かせていた。しかし、気持ちは静まらなかった。
惟澄はもう一度ため息をつき、そんな自分に苦笑した。
矢を持ってこちらにやってくる泉の足がぴたりと止まった。
泉の視線は、驚いたように惟澄の背後へ向けられていた。
惟澄は振り返った。
弓場は低い竹垣で囲まれている。竹垣の向こうは杉林で、昼間でも薄暗い影を落としていた。その影に溶け込むように、誰かが立っていた。
惟澄は目を凝らした。小柄で少女のような姿。
惟澄は、弾かれたように立ち上がった。
「羽矢」
おかしいほどに声がかすれた。
羽矢はのろのろと竹垣に近づき、惟澄を見上げた。しかし、すぐに目をそらし、
「地震はどうだった? 惟澄」
「ええ」
惟澄はうなずいた。
「うちは大丈夫よ。柚宇さまたちは?」
「うん。大事ない」
「よかった」
自分の声ではないようだった。羽矢と話をするのは何年ぶりだろう。しかし、会話はそこでとぎれ、二人は黙りこくった。
「惟澄」
ようやく羽矢が言った。
「大隅のことは聞いているか?」
惟澄は眉を上げた。
「それとなく伝えていると伯父上が言っていた。考える時間があるように」
亜登がやすやすと朔乃に話したのはそのためか。
確かに、考えすぎて迷うほどだ。
「ええ」
「どうする?」
「どうする、って?」
羽矢はちょっと目を伏せた。ぶっきらぼうに言う。
「大隅に行くのか?」
「わからない」
正直に首を振り、ささやいた。
「あなたはどう思う?」
羽矢は一瞬惟澄を見返した。紫色の瞳が、かすかに揺らいだ。
「惟澄が決めることだ」
「そうね」
惟澄は、細く息をはき出した。
「あなたには、関係ないことね」
「ああ」
羽矢は、こくりと頷いた。
惟澄は、はっと胸を突かれた。
羽矢の表情が、あまりに悲しげだったので。
関係ないと思っているなら、羽矢はなぜわざわざ訪ねて来たのだろう。いくらかでも惟澄のことを気にかけているからでは。
羽矢が自分を拒んできたわけではない。自分も、どこかで羽矢を拒んでいたのだと惟澄は思った。
背を向けていれば、羽矢だって待っていることに気づかない。
羽矢は、会釈して行きかけた。
「羽矢」
惟澄は呼び止めた。
「ありがとう。来てくれて」
「いや」
思い切って言葉を絞り出す。
「わたし、もっと羽矢と話がしたいわ」
そうだ、いくら寿命が短くてもかまわない。羽矢の側にいられるのなら。羽矢の存在を感じていられるのなら。
ようやくわかった。昔も今も、自分の望みはそれだけだったのだ。
「わたしは、羽矢といっしょにいたい。ずっと」
羽矢は、びくりと動きを止めた。
両こぶしを握り、ゆっくりと惟澄を見上げた。まばたきもせず、惟澄を見つめる。
「わたしもだ」
羽矢は、ささやいた。
「わたしも、惟澄といっしょにいたい」
それだけ言うと、羽矢は一歩後ずさった。そして背を向け、弾かれたように駆け去った。
羽矢の後ろ姿は、杉林に隠れてすぐに見えなくなった。
惟澄は、その場に立ちつくした。
「惟澄さま」
矢を持ってきた泉が、そっと声をかけた。
惟澄はようやく振り向いて、とまどったような笑みを浮かべた。
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