龍の都

ginsui

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第二部

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 不二の方が先に帰っていた。
「お一人で、どちらへ?」
 けげんそうに不二は尋ねた。羽矢はあいまいに首を振り、自室に入った。
 組んだ両手に頭を乗せて、板間の真ん中に横になった。深々と息をはき出し、さっきのことを思い返した。
 われながら、子供じみていた。惟澄の所から、逃げるように帰って来てしまった。
 だが、惟澄は言ってくれたのだ。自分といっしょにいたいと。
 その言葉がどんなに嬉しかったか、口にした惟澄ですらわからないだろう。もう何年も心は離れていると思っていたのに、惟澄はずっと傍にいてくれたのだ。
 熱くなっていた胸は、やがて徐々に痛みを覚えた。
 惟澄を、大隅に行かせたくない。
 だが、このままでは惟澄は長く生きられない。
 背中に、わずかな揺れを感じた。
 起き上がりかけたが、すぐにおさまったので羽矢は同じ格好で寝転び続けた。
 夜彦山が震えている。
 昨日のような大きな地震は、またいつ来てもおかしくはないらしい。
 昨日、羽矢が母屋へ戻ると、琵琶の稽古部屋に伯父と伯母、父の三人が顔をそろえていた。母親を心配して、更伎は帰った後だった。
「大事はなかったですか、伯母上」
「大丈夫よ」
 柚宇は微笑んだ。
「あなたも驚いたでしょう」
「この夜彦山が揺れのもとですか」 
「そうだ」
 刀也が言った。
「思ったよりも、伊薙さまの力は衰えている」
「伊薙さま?」
 柚宇は羽矢に座るように目で示した。羽矢は、柚宇の脇に座り込んだ。
「羽矢にも話した方がいいですわね」
 柚宇が月弓を見た。月弓はうなずいた。
「伊薙さまは、いにしえの荒霊を夜彦山に封じて眠っているわ」
「それは知っています」
「でも伊薙さまは衰えて、荒霊を封じきれなくなっている」
 羽矢は、はっとした。
「さっきの地震は、荒魂と関係が?」
「ええ」
 柚宇は言った。
「これは始まりにすぎないの。荒魂が自由になるまえに、伊薙さまの代わりが必要なのよ」
「大龍祭までは保つと思っていたのだが」
 月弓はつぶやいた。
「早く手を打たなければならない」
「わたしが、兄上の代わりになればいいのですが」
 刀也が、苦しげに言った。柚宇は、静かに首を振った。
「刀也どのは、若い者たちを大隅に導く役目があります」
 羽矢は三人の様子を見つめ、理解した。
「伯父上が伊薙さまの代わりになるということなのですね」
「そうだ」
「しかし」
 羽矢は言葉を失い、月弓と由宇を見比べた。
 この二人は、それで満足なのだろうか。二百年以上もともに生きてきたというのに。さらに多くの時間を過ごすこともできるのに。
「方法は、それしかないのでしょうか」
 羽矢はささやいた。
「もし、このまま荒魂が解き放たれるとして──」
「荒ぶるままの霊よ。天は狂い、地は轟き、海はたぎるでしょう。大那は崩壊するかもしれない」
「鎮めることはできないのですか? 伯父上の琵琶で」
「無理だ。私ひとりでは」
「更伎」
 羽矢は、はっとした。
「〈龍〉には、琵琶弾きが二人います」
 月弓は、一瞬口をつぐんだ。
 そうだ。
 羽矢はうなずいた。
 更伎は、すでに龍の琵琶を弾きこなせるほどの琵琶弾きになっている。月弓と更伎、二人の力で荒霊を鎮めて地霊に還せば、月弓が伊薙の代わりになることはない。
 そして、鎮まった荒魂は多くの地霊をもたらすだろう。
「やってみるだけの価値はあるのでは?」
 月弓の目が、揺らいだような気がした。めったに感情を見せない伯父なのだが。
「羽矢」
 その時、刀也が口をはさんだ。
「多くの民人を危険にさらすことはできない。大那はもはや、〈龍〉だけのものではない」
「刀也の言うとおりだ」
 月弓はうなずいた。
「賭の代償が大きすぎるのだ、羽矢。荒霊は、封じておかなければならない。私が伊薙さまを継ぐ」
 羽矢は柚宇を見た。
 柚宇は、つと目をそらした。
 
 羽矢は、むくりと起き上がった。
 柚宇とて、こんな月弓との別れを望んではいないはずなのだ。ほんとうは、伯父も自分の力を試してみたいのではないだろうか。
 刀也が帰り、新世代に別の道を示したことで、伯父は賭けをやめたのだ。それが、一門が生きていくより安全な方法だから。
 父の帰還がなければ、伯父は思い通りにしたかもしれない。そのためにこそ、更伎を後継者として育てたのではないか。更伎は伯父が満足するほどの奏者になっている。
 伯父は、いつ伊薙に代わるつもりなのか。
 早いうちに手を打たねば、と言っていた。あの様子では、時間はもうないらしい。
 伯父が伊薙になりかわる前に、荒霊を解き放ってしまったら?
 羽矢は自分の考えにはっとした。
 そうすれば、伯父と更伎は琵琶を弾かざるを得なくなる。
 荒霊は地霊に還り、惟澄もここで自分とともに生きていける。
 いつのまにか、息が浅くなっていた。羽矢は大きく肩をあえがせた。
 月弓には荒魂を鎮める自信と力があるはずなのだ。
 荒魂を解き放つには、どうすればいいのだろう。
 

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