龍の都

ginsui

文字の大きさ
上 下
25 / 25
第二部

12

しおりを挟む
 
 政庁の半分は雷で焼け落ち、まだくすぶっていた。多雅の邸は延焼を免れたが、門も土塀もすっかり崩れ、家人たちが右往左往している。
 母屋はなんとか無事だった。不二が行くと、叔母は真崎に取りすがって泣いていた。雷が落ちた時、政庁には〈蛇〉の重鎮が顔をそろえていたらしい。多雅はじめ、彼らのほとんどが帰らぬ人となったのだ。
 真崎は、呆然自失の体で母親の肩をさすっていた。不二は叔母をなぐさめ、真崎を部屋の外に連れ出した。
「従兄どの」
 真崎は、ようやく力を得たように不二にくってかかった。
「いったい、何が起きたんだ。〈龍〉は何をしている」
「もういないのです」
 不二は、首を振った。
「〈龍〉は滅びました」
「滅んだ……」
 真崎は呆けたように繰り返した。
「何が起きたかは、後でゆっくりお話しします。まず、あなたのすべきことをして下さい」
「わたしの?」
「父上亡き後、あなたが〈蛇〉の惣領です」
「ああ、そうだ」
 真崎は、途方にくれたように不二を見た。
「だが、どうしたらいい?」
「備蓄倉を開かなくては。民の不安は計り知れない。食べるものと、寝る所を与えるのです。それから、暴徒が出ないように見まわりの者を。日が暮れぬうちに、できるだけ早く」
「その通りだ」
 真崎は大きくうなずいた。
「すぐに命じる」
 部屋を出がけに、真崎は振り向いた。その目が、一瞬たよりなげに揺らいだ。
「わたしを、手伝ってくれるか、従兄弟どの」
 不二は眉を上げ、微笑んだ。
「もちろんです」

 数日後、不二は再び夜彦山に登った。
 羽矢が呼んでいた。
 空は高く澄んでいる。風はすっかり秋めいて、蜻蛉がさかんに飛んでいた。
 山に人気はない。
 更伎はじめ、龍の一門の新世代たちは、すでに大那を去っていた。
 羽矢が大隅への扉を開いたのだ。刀也は大隅に埋めた自分の左手を媒体に、呪力で空間を繋ぐつもりだったらしい。刀也亡きいま、彼の記憶を受け継いだ羽矢が父の意志を果たした。
 〈龍〉に仕えていた者たちも、みな山を下りていた。都琉と泉の姿を不二は見かけた。泉が、都琉をいたわるように寄り添っていた。
 不二は月弓の館に入って、厩に向かった。
 明星の首を撫でながら、羽矢が待っていた。
 不二は、羽矢を見つめた。
 初めて出会ったときから、なんと変わってしまったことか。外見はたしかに昔のままだ。しかし羽矢の内には、大那の地霊をとりこんだ荒霊がおさまっている。彼らが存在していた時代の膨大な記憶と呪力とが。それが、羽矢の紫色の目に深い翳りを与えてしまった。老人のようなけだるささえ、羽矢からは感じられた。
「他の馬は、佐尽に連れて行ってもらった」
 羽矢は言った。
「でも、明星だけは残したんだ。わたしから、不二に渡そうと思って」
「わたしに」
「もう、必要ないからな。不二もずっと傍にいてほしかったが、無理のようだ」
 羽矢は顔を伏せた。
「勝手なことばかり言ってすまないな、不二。わたしから、自由になってくれ」
 不二は何も言えなかった。ただ、深々と頭を下げた。
「これから、どうなさるおつもりです」
「わたしは、とが人だ」
 羽矢は、悲しげにつぶやいた。
「一門を滅ぼしたうえ、多くの者の命を奪ってしまった。償いはできない」
 慰めの言葉をかけることはできなかった。羽矢の言う通りだったから。
「自分が、まだ自分ではないような気がする。荒霊が私の中に棲みついている。怖いんだ。また暴れ出すかもしれない」
「羽矢さま──」
「せめて、これ以上誰も傷つけることのない所に行きたい。手白香はどうだろう」
「手白香」
 不二の故郷の島だ。人が足を踏み入れることは許されない聖なる島。たしかに、そこならば羽矢はひとりで静かに時をおくれるだろう。千年、二千年、さらに長い時を。
「いいかもしれません。美しい場所です」
「うん」
 不二は、少しためらってから訊ねた。
「惟澄さまは?」
「いる。わたしたちは、ときどき話をしたりもするよ。子供のころのことや、いろいろなことを」
「そうですか」
 救いは、羽矢が孤独ではないということだ、と不二は思った。
 惟澄がいる。羽矢の内で、二人は決して離れることはない。
「手白香の砂を、わたしにくれるか?」
「砂?」
 不二は問い返したが、すぐに心得て懐をまさぐった。砂の入った守り袋を羽矢に手渡す。
 羽矢は不二を見つめ、守り袋を胸の前で握りしめた。
 手白香の砂を、はるか手白香島の砂浜と呼応させた。
 空間が結びついた。
 羽矢のまわりが白く光った。一瞬、羽矢の背後に広がる白い砂浜が見えた。
「羽矢さま」
 不二は、思わず一歩踏み出した。羽矢はちょっとうなずき、背を向けた。
 波の音が聞こえたような気がした。
 明星が、低く悲しげにいなないた。
 羽矢は消えた。
 行ってしまった。
 〈龍〉の時代は、完全に終わったのだ。
 不二は、明星の首に腕をまわし、そのたてがみに顔を押しつけた。
 龍の一門の滅亡は、いずれ大那中に知れ渡るだろう。
 すべきことがありすぎた。悲しみに浸っている暇はない。 
 大那が混乱する前に、〈龍〉の後ろ盾なしでも〈蛇〉が大那を掌握できることを示さなければ。
 新しい法が必要となる。軍備も強固なものに。真崎を助けて最善をつくすのが、これからの自分の仕事だ。〈蛇〉の時代がどれほど続くかはわからないにしても。
 そうして、いつか故郷に帰ろう、と不二は思った。
 手白香に舟を漕ぎ出そう。
 羽矢は待っていてくれるだろうか。
 波打ち寄せる白い砂浜に立って。

しおりを挟む

この作品の感想を投稿する


処理中です...