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しおりを挟む舟は、川の流れを静かに遡っていた。
まんじりともしなかった重苦しい夜は明けた。
「逃げきれるかな」
水の面にぼんやりと目を落としたまま、アロウィンはつぶやいた。
「さあ、わかりませんね」
舟を漕ぐ手を休めることもなく、イムラは他人事のように答えた。
何があっても顔色を変えることのないイムラを見るにつけ、彼がどんな人間なのかますますわからなくなってしまう。
彼はシャデルが死んだときも涙ひとつ見せなかった。
その亡骸に、深々と頭を下げただけだった。
イムラの名の意味を、以前、ライランに教えてもらったことがある。
もともとは、風の王の宰相の名だ。
風の王は、今から四百年近い昔、北方の小国ロドロムを治めていたクラウト最後の王。その〈力〉はクラウトで並ぶ者なく、彼に関する伝説はウェストファーレンのほうぼうに散らばっている。
なにしろ彼は放浪癖の持ち主で、しょっちゅう国を留守にしていたらしいのだ。
人々の多くは彼がまだ生きていると信じている。
クラウトはおそろしく長命だと言うし、彼はその最高の〈力〉を持っているのだから、あるいはそうかもしれなかった。
「風の王の留守中に、事実上国政をとっていたのが宰相のイムラさ。彼はロドロムにいながらにしてウェストファーレン中の出来事を感知することができた。当時の国々はみな〈力〉を持ったロドロムを煙たがって戦をしかけようとしていたが、イムラはそうした出来事にいつでもうまく対処していったよ。だから、ウェストファーレンでは有能な人間のことをイムラと呼ぶ」
今となっては、アロウィンが頼れる者はイムラしかいない。
まったくとらえどころのない彼だけれど、その有能さを信じるしかなかった。
「砂漠と言っても、あてはあるのかい? イムラ」
ライランが尋ねた。
「グララ族にわたしの知人がいます。でも、その前にゴルに寄りましょう」
「ゴル?」
ライランは顔をしかめた。
「エルグのところへか?」
「ええ、砂漠に出るには準備が必要ですからね。あの人なら力になってくれるでしょう」
「人じゃないさ、〈緑人〉だ」
ライランは頑固に顔をそむけた。
「いったい、〈緑人〉というのはなんなんだい、ライラン」
アロウィンは言った。
「きみは、昨日も同じことを言っていた」
「自分で調べろと言ったろう」
「調べる時間なんてなかったよ」
「ふん」
ライランは肩をいからせた。
「その名の通り、目も髪も緑の化け物さ」
「化け物?」
「それに〈力〉を持っている。手を使わずに物を動かしたり、声も出さずに話をしたり、未来を予言してみたり」
「〈緑人〉は化け物ではありませんよ、ライラン」
気まじめにイムラが口をはさんだ。
「〈力〉はあなたがたの先祖も持っていました。彼らもまた古い種族なのです。アロウィン、ウェストファーレンの歴史を覚えていますか」
「うん」
うなずいたアロウィンは、思い出し思い出し言ってみた。
「ウェストファーレンの歴史は三つに分けることができる。つまり、サルバトの時代、クラウトの時代、オルセトの時代だ」
サルバトは最も古い人々で、伝説によると星船に乗って空からやって来たと言う。
彼らは〈科学〉という魔法の道具を持っていた。
〈科学〉は、彼らを傲慢にしていた。彼らはそれを使って人や動物を、なぐさみに元の形とは違ったものに造り変えた。サルバトの社会は貧富の差が激しくて、貧しい者は自分の身体を売って変形人間となり、富める者の奴隷や見せ物になったりもした。
やがて彼らは、もっと大きな魔力を持つ、何事につけ優秀な人間を造ろうとした。それが〈遺伝子操作〉で生まれたクラウトで、結局彼らはサルバトの命とりになった。
クラウトはサルバトに反乱を起こし、サルバトはついに滅んでしまった。
しかし、クラウトの時代も数世代しか続かなかった。世代を経るにつれ、クラウトの寿命はどんどん短くなっていったのだ。
そのころ、ウェストファーレンでは、オルセトが勢力を伸ばしていった。サルバトと祖は同じだが、〈科学〉の恩恵は受けず、都市を出て細々と生活していた人々だ。彼らはクラウトの反乱にも生き残り、新しい国々を作った。クラウトの血はしだいにオルセトに混じり、魔力は薄れていった。ロドロムにクラウト最後の王国を作っていた風の王も、やがてクラウトの純潔種といっしょにどこかに姿を消した。
「と、いうわけです」
イムラは言った。
「〈緑人〉は〈遺伝子操作〉によって生まれたクラウトの変種なんですよ。彼らだけはオルセトと混血せずに、太古の姿を保っています」
「どうして?」
「あたりまえじゃないか」
ライランがぞんざいに答えた。
「やつらは両性体なんだ。オルセトと結婚できるわけがない」
アロウィンはあっけにとられ、ただただライランとイムラを見くらべた。
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