サルバトの遺産

ginsui

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 アロウィンは寝室のドアが開くかすかな音で目をさました。
 イムラが、すばやく寝台に歩み寄ってくる。
 はっと身を起こしたアロウィンの両肩を静かに押さえ、イムラはささやいた。
「アロウィン、王が亡くなりました」
「まさか!」
 アロウィンは驚いて叫んだ。
 イムラは、さらに声を押し殺し、
「大きな声を出してはいけません。ジュダインが毒を盛ったのです」
 アロウィンの耳もとで鼓動が激しく脈打った。
「ジュダインは、あなたが王を殺したことにするつもりです。早く王位につきたいがために」
「そんなことって──ない」
 毛布を握りしめ、アロウィンは自分でもみじめなほど声をふるわせた。
「父上が生きていた方が、ぼくは確実に王になれるのに」
「そんなことは誰だってわかっています。でも、王が死んだ今となっては何にもならない。宮廷人の半分は、あなたよりジュダインに心をよせているのですよ。あなたの立場は不利すぎます」
「ぼくは…」
 アロウィンはイムラにすがりついた。
「どうすれば?」
「逃げましょう」
 アロウィンが身支度を整え終わったちょうどその時、ライランが駆け込んで来た。
 イムラを見て驚いたように、
「知っているんだな。イムラ」
「うかつでした。ジュダインが狙っていたのはアロウィンの命だとばかり思っていましたから。まさか王を」
「ジュダインは、眠り薬だと言って、王妃に毒を渡したらしい。王が眠り込んでいる間にアロンを始末するからってな」
「ライラン、怪我をしていますね」
「たいしたことはない。家を出るまですったもんだあって、時間をくったんだ」
 ライランは頬の擦り傷の血をぬぐうと、アロンに言った。
「早くここを出よう。あたりが、にぎやかになってきたぜ」
 王の死は、たちまちのうちに知られるところとなり、王宮中がざわついてきた。
 三人は、人目をのがれて王宮の地下道に出た。その昔、敵国に攻められた時の逃亡用に作られたものだ。
 冷気のこもる、なかば崩れかけたそこをどこまでも進んで行くと、やがて運河に面した小さな舟着場につく。
 小舟がひとつ、黒い水面にたゆたっていた。
 アロウィンは舟に乗り込みながら、月光を浴びて黒々と影を落としている王宮を見上げた。
 やりきれなさで、胸がつまった。
 ジュダインへの怒りはおさえようがなかった。
 自分に対しての害意ならば、彼をこれほど憎みはしなかったろう。
 しかし彼は王を殺したのだ。わずかな時間しかともに暮らすことができなかった父。おだやかな、やさしい目をした──。
 いつか必ず帰って来よう。
 アロウィンは無言で誓いをたてた。
 このままでいいはずがない。ぼくはジュダインを許さない。

「おまえは、私になんてことをさせたの! ジュダイン」
 王妃は半狂乱の体でジュダインにとりすがった。         
「約束が違うわ。おまえは、あれがただの眠り薬だと。王が寝ている間にアリ・マダを」
「大きな声を立てない方がよろしいですよ」
 ジュダインは平然と王妃を突き放した。
「卑怯者! おまえは王殺しの大罪人だわ」
「大罪人は、アリ・マダです」
 ジュダインは冷ややかに言った。
「それとも、あなただとおっしゃるおつもりですか、王妃。王の杯にあの液体を」
「やめて!」
 王妃は両耳をおおって後ずさり、飾り布の掛けてある壁に突き当たった。
「出て行きなさい。出て行って!」
 ジュダインは床に崩れ伏してすすり泣く王妃にいんぎんに頭を下げると、彼女の部屋を後にした。
 夜はしらじらと明けかかり、王宮の中庭はぼんやりとした朝霧につつまれていた。
 エベドがさえずりはじめた小鳥の声に耳をかたむけながら、ジュダインを待っていた。
「どうやらアリ・マダをとり逃がしてしまったようです、ジュダイン」
 エベドは言った。
「イムラも姿を消しています。すばやい男です」
「彼がついていればアリ・マダも心強いだろう」
 冗談めかしてジュダインは言った。
「風の王の時代から、イムラという名にはしたたかな者が多いからな」
「それから」
 エベドはちょっと間を置いて付け足した。
「ライランさまもいっしょです。止めようとしたのですが、手の者を振り払って出て行かれました」
「わたしは、あれにとことん嫌われているらしい」
 ジュダインは軽く眉をひそめて天をあおいだ。
「で、貴族たちの様子はどうだ」
「三分の二はあなたに従うと思います。あとの半分はなりゆきまかせの中立派、もう半分はシス・マダの信奉者たちです。彼らはハリスラムさまが王位につくことをいさぎよしとはしないでしょう。現に何人かはアリ・マダを追って都を出ようとしています」
「勝手にさせておくんだな」
 ジュダインはあっさりと言った。
「その程度では何もできんさ。ところで、彼らはどこに逃げる思う? エベド」
「おそらく、砂漠でしょうね」
「ああ」
「砂漠にも一応手は打ってあります。といっても、足がかりはキアル族だけですが」
 うなずいたジュダインの脳裏に、ひとつのあざやかな光景が浮かんだ。
 限りなく広がっている砂の海の中に半ば埋もれた廃墟群。
 中でもひときわはっきりしているのは、折れた巨大な塔らしき残骸だった。時の重みに耐えかねたかのように根元から折れ、砂に侵食されたまま長々と横たわっている。
 ただそれだけの光景が、もう何年も前からジュダインの夢にくりかえし訪れていた。
 おそらく、いずれそこに行くことになるのだろう。
 彼は、さめた思いで考えた。
 それがいつで、何を意味しているか、彼はまだ知らなかったけれども。
「おまえに、もうひとつ頼みがある、エベド」
 短い沈黙の後、ジュダインは言った。
「はい?」
「王妃だ。王妃は王を亡くした悲しみのあまり、自害なさる」
「そのように?」
「ああ、おまえにまかせる」
 エベドは黙ってうなずき、ジュダインの前から姿を消した。
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