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参の巻~平安美女と平成美男の恋話~

62 かぐや姫を想って(弐) By帝

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 …そして、かぐや姫は旅立ってしまった。
 申し入れであったにも関わらず、翌日には姫は鬼神の君義鷹と手に手を取って駆け落ちをしたらしい。

 申し入れのあった翌日。
 右大臣藤原園近は、神妙な面持ちで出仕してきた。
 そして、その日の朝、嫡男である義鷹と、かの姫が忠臣の者たち共々、ふみを残し居なくなっていたと報告してきたのだった。

 姫の手ずからの文を見ても決して嫌々ついて行った訳ではないと思われた。
 文には、真の娘のように可愛がってくれた芙蓉の方や園近への感謝の言葉と、大事な息子に駆け落ちなどと言う親不孝な道を選ばせてしまった事への謝罪と右大臣夫妻への心からの幸せを願う気持ちがしたためられていた。

 時盛が言うように、姫の女房が身分の高い男と添わせようと目論んでいたのならば、貴族社会の頂点に立つ余の女御になれるかもしれぬ尚侍の申し入れを棒に振るなどあり得ない。
 帝の妃になれる好機を惜しむこともなく敢えて明日の身をもしれぬ道を選んだのだ。
 これ以上の真の気持ちがあるだろうか?

「なんと、早まった事を…。姫自身が望まねば断ればよかったであろう?それ故の申し入れであったものを…」

 そんな余の言葉に園近は小さく息を吐き、うっすらと浮かんだ涙を拭いながら園近は力なく答えた。

「なんと、そうでございましたか。ですが、義鷹も姫も帝の思し召しであればお断りなどできぬと思い悩んだのでしょう。思い詰めてどこぞで二人そろって入水でもしてはおらぬかと案じておりますれば」

「なっ!入水とな!」
 余は、そんな園近の言葉に血の気が引いた。
 そんな事は欠片も望んではいなかった!
 かの姫さえ幸せであられるのならば例え手に入らずとも良かったのだ。

 だがしかし一瞬でもかの姫を娶る事ができたならばと暁の尚侍の甘言に乗ったのも事実。

 いや、尚侍とて悪気があったわけではない。

 心底、あの清らかな姫君を案じて、姫にとって良き事と信じての事だ。
 鬼神の君義鷹には申し訳ないが、女性から見て耐え難い容姿であることはまちがいはなかったし自分も尚侍の言う事にも一理あると納得してしまった。
 余は何と愚かだったのか。

 そう、かの姫は普通の女性などではない。
 本当に心の底から美しく汚れない御方なのだ。
 真にこの世の御方とも思われぬ菩薩様の如きお人柄なのであろう。

 後ろに控えていた尚侍が震える声で、言葉を発した。

「何という事でしょう…。私の奏上が、そのように若いお二人を追い詰めてしまったとは…。出過ぎた真似を致しました。右大臣殿、私は取り返しのつかぬことを…」
 真っ青になり小さく震え手で口元を抑えながら暁の尚侍が懺悔するかのように言葉を漏らした。

「暁の尚侍!なんと!この度のお声掛けは現尚侍である暁の尚侍のご発案でしたか!」と、園近は驚きの声をあげた。

「右大臣殿、私はお二人をそのように追い詰める事になろうとは考えず…」
 涙ぐむ尚侍は普段の気丈さを全く感じさせなかった。

「いや、余が悪いのだ。園近の言うように若い二人は帝である私からの申し入れを無下には出来ぬと思い詰めたのであろう。ましてやあの生真面目で忠臣者の鬼神の君義鷹の事だ。それを断るという事は除籍も覚悟での事であったであろう。余もそこまで考えず姫にもしも出仕する気が少しでもあるならと尋ねてみたかったのだ。しかし断じて無理強いをするつもりはなかったのだ。園近、許せ」

「何と、もったいなきお言葉…。主上の思し召し有り難く…。暁の尚侍、年寄りが心配のあまり気弱な事を申しました。しかしよくよく考えれば二人には忠臣である侍従や女房もつれて行ったのです。その者たちが二人を死なせたりは決してしないでしょう。いや、そうに違いありませぬ」

「おお、であれば…何とか二人を探し出すのだ。帝である余が二人を祝福しようぞ」

「で、では、主上は主上のご意思に反した二人を許すと?」

「許すも許さぬも若い二人を追い詰めたのは自分の帝という重き立場を考えず気軽に出仕を促した余の落ち度よ」
 そんな余の言葉に暁の尚侍も被せるように言葉を続け、我らはしばし言い合いになった。

「そんな、主上は悪くありませぬ。私が出過ぎた事を言ったが為に!」

「いや、余が!」「いえ!私が!」

「いやいや!もう、二人が咎人にならぬと分かり胸をなでおろしました。右大臣家でも総力を挙げて二人を探し、必ずや連れ戻しましょう」
 見かねた園近が、おろおろしながら間に入った。
 そして我ながら何をムキになって…と気を落ち着けなおし園近へ向き直った。

「こほん。う…うむ、それまでは義鷹の事は世間的には、余の勅命にて一旦、都を離れたと言う事に。そして戻ってきた暁には余の勅命を果たし帰還したとのことで昇進を約束しよう」

「なんと!二人の駆け落ちを許すばかりか、そのような有り難き仰せを」
 園近は余の言葉に抑えきれぬように涙を流し喜んだ。
 本当に人の良い男だ。
 先ほどまで二人がどこぞで心中でもしてはいまいかと不安げにしておったに、余や暁の尚侍への気遣いから二人は大丈夫に違いないと我らを励まして。
 自らにも言い聞かせているのだろう…二人の無事を信じるのだと。
 ならば、余も信じよう。

 余はこの世の頂点にたつ者。
 何気ない一言から人の一生を狂わせてしまう事がある事を改めて心に刻んだ。

「なんの、若い二人をいたずらに悩ませた詫びと結婚の祝いじゃ。二人の捜索、其方に指揮を任せる」

「はっ!必ずや!二人を探しあててみせまする!」
 そう言って園近は力強く請け合い、晴れ晴れとした顔でこの場から去っていった。
 頼もしき事だ。

 そして余は思った。
 決して手の届かぬ姫君。
 権力にも財力にもなびかず、容姿にすら惑わせられぬ…そう、そんな姫。
 なればこその憧れ。
 なればこその”かぐや姫”
 既に妃が何人もいる余が望んで良い筈もなき尊き姫なのだ。

 だからこそ尚の事尊い。
 余は、かの姫の幸せを祈ろう。
 かの姫に憧れを心のうちに秘めて…。

 そして余は、鬼神の君義鷹にも想いを馳せ
「なんと羨ましき男子おのこよの」と小さく呟いたのだった。
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