Hello,world

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 生きている中で、絶対に聞くことのないセリフを前に、思考が停止する。

「え?」

 とりあえず絞り出した感嘆句を受けて、「だーかーらー」と同じセリフを繰り返そうとする相手を確認し、遮るようにまくしたてた。

「確かに、めっちゃ生でやってたし、なんならさっきも断りもなく中で出してたし、その可能性は十分にある。けどな、俺男やで?ミラクル起こしてもうた?」

「そんなミラクルあってたまるかい!嫁や嫁」

 さらに衝撃的なセリフに、いきなり後頭部を殴られた気分だ。無意識に、何か証拠を集めようと、もう見慣れたこの男の部屋を眺めまわす。ローベッド、ローデスク、小さめのテレビ、収納に特化したテレビ台、間接照明。4年前から配置も物も変わらない、ザ・ミニマリストの部屋だ。変わったことといえば、窓際の観葉植物が立派に成長しているくらいだろうか。4年の歳月がたった、という証拠は確認できた。
 落ちている衣服を拾い集め、手際よく身支度をしている男の背中に、質問を投げかける。

「え……結婚してたん?」

「ちゃう。授かり婚ってやつやな。あ、でも、ちゃんと2年前から付き合ってんで?そーいや言ってなかったな」

「ちゃんとってなんやねん。2年前って、俺と会った後やん。詐欺師か」

 スーツ姿でいかにもエリートに見えるその男は、実際に誰もが知る大手企業の、エリートの中のエリートだった。人差し指をぴんと立て、口元にもっていき、決め顔で、無駄にいい声で囁いた。

「男には誰にも言えない秘密があんねん」

 あきれてものが言えないという状況のお手本みたいな状況に、相手と自分との間の温度差に、怒りのその先の、いやに冷静な感情に支配される。

「秘密主義が過ぎるし内容最低すぎるやろ……で、もう会わないと?」

「いや、灯がいいなら続けたいけど」

 この人は、もうそういう機能が完全にいかれているのだろう。心が死んでいるのだ。だからこんなことをさも当たり前にやってのける。こんな言葉をドロドロと吐ける。
 でも今の自分も、どんな最悪な言葉をかけられても、何も感じないし何も思わない。種類は違えど、相手の男と同じ境地に立つことができる自分に、嫌気がさした。

「いいわけあるか」

「言うと思った。灯、真面目やからな」

 それでも体は正直で、にじり寄るみたいに襲ってくる喪失感に、がくがくと足が震え始めた。悟られぬよう、膝を抱え込んで顔をうずめた。

「俺、騙されて不倫相手やってたのか。お前最低やな」

「最低2回目やぞ。厳密に言うと先に浮気されたんは灯の方や。だからノーカン!」

 「不倫相手にもしてもらえないのか」と、わけのわからないことにショックを受けている自分の脳は、もう使い物にならないんだと早々に判断し、次々に降りてくる疑問を悉く無視することにした。急に、男と目を合わせていない自分が惨めに思えてきた。この期に及んで主張してくる小さなプライドを守るため、挑むように視線を合わせた。

「……腹立つ。この人未成年に手、出してましたって言って回ったるからな」

「やめて~!てかそれは未遂やったやん!ま、灯はそんな事せぇへんから。信じてるで」

 男が手を伸ばし、頭をぐりぐり撫でながら、顔をくしゃくしゃにして笑う。この笑顔に救われた事が何度もあったなと、鮮明に覚えていたはずなのに、今は何もかもが遠い記憶のように思えた。

「……奥さん大事にせぇよ」

「してるしてる!めっちゃいい旦那やで俺」

「俺だけを大事にしてくれへんの?」危うくあふれ出しそうになったが、意地で飲み込んだ。

「……男遊びなんかせん奴をいい旦那って言うんや」

「失礼な!灯との関係は遊びとちゃうわ!」

 男は、わかりやすく地団太を踏んでむくれた。

「ま、なんか困った事あったらいつでも連絡して来な?お金とか……あ、でも俺より稼いでるんとちゃう?灯、めっちゃかわいいから!あははっ」

「……うん。あ、俺、朝から予約入ってるからもう帰るわ」

「お!さすが売れっ子!はーい、またねー」

 灯は、もう二度と来ることのない部屋を後にした。

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