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幕引き_1_2
しおりを挟む生きている中で、絶対に聞くことのないセリフを前に、思考が停止する。
「え?」
とりあえず絞り出した感嘆句を受けて、「だーかーらー」と同じセリフを繰り返そうとする相手を確認し、遮るようにまくしたてた。
「確かに、めっちゃ生でやってたし、なんならさっきも断りもなく中で出してたし、その可能性は十分にある。けどな、俺男やで?ミラクル起こしてもうた?」
「そんなミラクルあってたまるかい!嫁や嫁」
さらに衝撃的なセリフに、いきなり後頭部を殴られた気分だ。無意識に、何か証拠を集めようと、もう見慣れたこの男の部屋を眺めまわす。ローベッド、ローデスク、小さめのテレビ、収納に特化したテレビ台、間接照明。4年前から配置も物も変わらない、ザ・ミニマリストの部屋だ。変わったことといえば、窓際の観葉植物が立派に成長しているくらいだろうか。4年の歳月がたった、という証拠は確認できた。
落ちている衣服を拾い集め、手際よく身支度をしている男の背中に、質問を投げかける。
「え……結婚してたん?」
「ちゃう。授かり婚ってやつやな。あ、でも、ちゃんと2年前から付き合ってんで?そーいや言ってなかったな」
「ちゃんとってなんやねん。2年前って、俺と会った後やん。詐欺師か」
スーツ姿でいかにもエリートに見えるその男は、実際に誰もが知る大手企業の、エリートの中のエリートだった。人差し指をぴんと立て、口元にもっていき、決め顔で、無駄にいい声で囁いた。
「男には誰にも言えない秘密があんねん」
あきれてものが言えないという状況のお手本みたいな状況に、相手と自分との間の温度差に、怒りのその先の、いやに冷静な感情に支配される。
「秘密主義が過ぎるし内容最低すぎるやろ……で、もう会わないと?」
「いや、灯がいいなら続けたいけど」
この人は、もうそういう機能が完全にいかれているのだろう。心が死んでいるのだ。だからこんなことをさも当たり前にやってのける。こんな言葉をドロドロと吐ける。
でも今の自分も、どんな最悪な言葉をかけられても、何も感じないし何も思わない。種類は違えど、相手の男と同じ境地に立つことができる自分に、嫌気がさした。
「いいわけあるか」
「言うと思った。灯、真面目やからな」
それでも体は正直で、にじり寄るみたいに襲ってくる喪失感に、がくがくと足が震え始めた。悟られぬよう、膝を抱え込んで顔をうずめた。
「俺、騙されて不倫相手やってたのか。お前最低やな」
「最低2回目やぞ。厳密に言うと先に浮気されたんは灯の方や。だからノーカン!」
「不倫相手にもしてもらえないのか」と、わけのわからないことにショックを受けている自分の脳は、もう使い物にならないんだと早々に判断し、次々に降りてくる疑問を悉く無視することにした。急に、男と目を合わせていない自分が惨めに思えてきた。この期に及んで主張してくる小さなプライドを守るため、挑むように視線を合わせた。
「……腹立つ。この人未成年に手、出してましたって言って回ったるからな」
「やめて~!てかそれは未遂やったやん!ま、灯はそんな事せぇへんから。信じてるで」
男が手を伸ばし、頭をぐりぐり撫でながら、顔をくしゃくしゃにして笑う。この笑顔に救われた事が何度もあったなと、鮮明に覚えていたはずなのに、今は何もかもが遠い記憶のように思えた。
「……奥さん大事にせぇよ」
「してるしてる!めっちゃいい旦那やで俺」
「俺だけを大事にしてくれへんの?」危うくあふれ出しそうになったが、意地で飲み込んだ。
「……男遊びなんかせん奴をいい旦那って言うんや」
「失礼な!灯との関係は遊びとちゃうわ!」
男は、わかりやすく地団太を踏んでむくれた。
「ま、なんか困った事あったらいつでも連絡して来な?お金とか……あ、でも俺より稼いでるんとちゃう?灯、めっちゃかわいいから!あははっ」
「……うん。あ、俺、朝から予約入ってるからもう帰るわ」
「お!さすが売れっ子!はーい、またねー」
灯は、もう二度と来ることのない部屋を後にした。
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