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第七章 囚われ、凌辱される少女……少女?

第63話 あの日の約束・あの日の情景

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――――地下

 扉を開けると甘くとろけた匂いが一気に濃くなった。
 浄化の魔法をかけていても、鼻腔を突き抜け脳を痺れさせる匂い。
 私はしかめ面をしながら足音を立てぬよう石段を下りた。

 石段が無くなり、黒い石片をパズルのように組み合わせて作られた平らな床へと足を降ろす。
 天井は低く、部屋のあちこちに光を封じた魔石。
 そうであっても光源は微弱で、室内を淡く浮かび上がらせる程度。
 私は目を凝らし、奥を覗き込む。

 覗き込んだ先には木製の牢。扉と同じく、そこにも封印の力を宿したが大量に貼られてあった。
 そして、その中では――――


「はぁはぁはぁはぁ、孕め、孕め、孕め、孕め、孕め」

 髪の薄い全裸の男が全身から汗を噴き出して、ひたすらに腰を前後に動かしている。
 その腰の先には少女。

 雪のように白い肌と桃色の唇に深紅の瞳を持ち、額に黒の一本角をつけた長い白髪はくはつを持つ少女が横たわっていた。
 彼女は腰に叩きつけられる振動で体を震わしているが、表情に感情を乗せることなく自身を凌辱する男を見つめる。


 見つめられた男――ユウガは少女の瞳に苛立ちを覚えたようでさらに激しく腰を打ちつけた。
 少女の姿を確認した私は名を呼ぶ。

「やはり君だったか、ヤエイ」
「だ、誰だ!?」

 突然の声にユウガは驚いたようで、少女から自分の分身を抜いてこちらへ体を向けた。
 そして、何やら怒鳴り声を上げているが、それを無視してヤエイと呼んだ少女と会話を重ねる。
「こんなところで何をしているんだ?」
「お~、ようきたのぅ。まさか、おぬしが来るとは思わなんだ。百年ぶりじゃなあ、ア――」


 ヤエイは私の姿を濃き血のような瞳で捉え、私の名を呼ぼうとしたところで言葉を失った。
 代わりにとても失礼な一言を漏らす。

「だ、誰じゃ、おぬしは?」
「何を言っている? アルラだ」
「いや、え? ワシの知るアルラはおぬしのような不摂生にまみれた典型的な生活習慣病体形とは違うぞ」

「生活習慣病ではない。至って健康だ」

「う、嘘じゃ! アルラと言えば美をうたわれるほどの存在。太陽よりも激しく輝く黄金の瞳は命の萌芽ほうがを焼き尽くし、神すらその美に心を囚われ、創造の御手を止め、世界を緩慢なる死にいざなう魔性とうたわれていたんじゃぞ!!」

「また、輝いているのか……それどころか、今のは100%悪口だろう。命を焼くは、神の役目を止めるは、世界を死に向かわせるはと」


 私は肩を竦めて軽く両手を上げる。
 その姿を見たヤエイは疑問を纏いつつも、私の中を見通す。
「ほ、本当にアルラなのかおぬしは? いや、じゃが、たしかに纏う気配は……」
「だから、私はアルラと言っているだろう。この百年で少々体形は変わったが」
「少々どころではないぞ! おぬし、高身長のスマートマッチョ系じゃったじゃろ! 今はただのデカ物にしかすぎんぞ!!」
「酷い言われ――」


「いい加減に黙れ! 貴様! どうやってここへ入ってきたのだ!?」

 私とヤエイの言葉を遮り、ユウガが割り込んできた。
 彼はシミと皺が張り付いた一糸纏わぬ肌を見せて、こちらへ太指を突きつけてくる。

「貴様、ラフィリア様の? 学者が何故ここに!?」
「封印の力と知り合いの力を察知してな。だから、興味を持って覗かせてもらった」
「知り合い……はっ!? 貴様、私のヤエイを狙って!! 渡さぬ、渡さぬ、渡さぬ!! こいつは私のものだ!! ヤエイに私の子を孕ませるまで、絶対に渡さぬぞぉぉおぉ!!」


 ユウガは全身を震わせて雄叫びを上げた。
 なかなかの気迫に情念だが……媚薬のせいか、こんな状況でもギンギンにそそり立つ彼の巨大な分身が目にちらついて全く話が頭に入ってこない。

「ふふ、これは随分と立派な物をお持ちだ」
「ぬっふっふ、そうじゃろ」
「ヤエイ、何故君が自慢気なんだ? それよりも助けは必要か? それともここに留まるつもりか?」
「せっかく、外へ通じる扉の封をおぬしが解いてくれたからの。ここも飽いたゆえ、出ていくつもりじゃ」

 凌辱されていた者とは思えぬ、弾むような軽快な声。
 この声にユウガが激しく反応を示した。
「出て行く!? 出て行くだと!? そのようなことさせるものか! お前は私の物だ!! 私の妻となり、子を産むのだ! 絶対に絶対に手放さぬ!!」
「ふぅ、狂わしいまでの愛じゃが、おぬしのような穢れた魂の持ち主では、ワシを孕むなど不可能なのじゃ。鬼の一族に子を宿そうとするならば、高潔であり、ワシに認められた者でしか不可能なんじゃよ」

「ふざけるな! お前は私と約束をぉぉぉ!」
 感情的になったユウガがヤエイへ飛び掛かり、彼女の首を両手で絞めつける。
 ユウガの太い指がぎしぎしと音を立てて、白く細い首に食い込んでいく。
 しかし、ヤエイは一切動じる様子も見せず、自分の右手で彼の片手を握り締めて……ぐちゃりと潰した。

「ぎゃぁあぁあぁぁ!!」


 ユウガは潰れた手をもう一つの手で支え、床を転げまわり、叫ぶ。
「ひぎゃぁぁあ! な、何故だ!? 力は封じてるはず? 牢内ではお前の力は使えぬはず!?」
「部屋の隅にほどこされた四方封呪しほうふうじゅ。見事なものじゃ。じゃが、時間を掛ければ封を解くのはさほど難しきことではない。なにせ、三年もここにいたのじゃからの。さらに――」

 ヤエイは大量の符によって封じられた木牢を睨みつけると、深紅の瞳を光らせてギンとした波動をぶつけた。
 すると、牢に貼られていた符は全て吹き飛び、封印の力は立ちどころに消え、符は花びらのように舞い散り、熱無き石床へと降り注ぐ、

「牢の封も破ることも可能じゃ。じゃが、ここまでで力が枯渇して、外へ通じる扉の封印を破る力は残らなんだ。まぁ、それはアルラが解決してくれたからの」

 彼女は私をちらりと見てくすりと笑うと、痛みに悶え、涎を垂れ流すユウガを見下ろす。
「おぬしの情念は深い。ワシが力で押して脅しても、おぬしはワシを決して手放そうとしないじゃろうな。故に、最後の扉の封が攻略できるまで機会を伏しておったのじゃ」
「ヤエイ、ヤエイ、ヤエイ……私のヤエイ……」


 言葉が届いているのかいないのか、ユウガはヤエイの名を呼び続ける。
 ヤエイは彼から視線を切って、畳の上に広がっていた白衣びゃくえ緋袴びはかまに着替え、白い素肌を隠す。
 その姿は神社で神事の奉仕を行う巫女の姿。

 長く白い髪は赤い水晶の数珠で一纏めにして、一本髪として背に流す。
 そして、千早ちはやと言われる白い薄手の羽織を纏い、白い足袋と下駄を履いて無言で封が解かれた牢から出て行こうとする。

 その彼女へ私は問い掛ける。
「ユウガはいいのか?」
「命まで取るのは酷じゃ。こやつが狂ってしまったのはワシのせいでもあるしの」


 ヤエイは遠くを見つめるように前を見た。


――ヤエイ、四十年前

 ヤエイは幼い子どもたちの遊び相手を務めていた。
 その中で、一際声の通る少年が、顔を真っ赤に染めてヤエイへ誓う。
「俺、一生懸命働いてヤエイお姉ちゃんにふさわしい男になるんだ! そしたら、ヤエイお姉ちゃんを嫁に向かい来るかんな!!」
「ふふふ、そうかそうか。それは嬉しいことじゃのう。おぬしのような清い魂であれば、ワシの最後の夫となるにはふさわしいじゃろうて。楽しみに待っておるぞ」
「うん!!」

――
 過ぎ去りし穏やかで優しい想い出は今に返り、ヤエイは痛ましい現実に歯噛みを見せる。
「人間は、どうして清いままではおれぬのだろうな……」

 彼女はアルラを置いて、外へ通じる扉へ向かう。
 背後からはユウガの声……。

「行くな、行くな、ヤエイ。私はお前を愛している。愛しているんだ!! ヤエイ、ヤエイ、ヤエイ、ヤエイ……」
 ヤエイの名を呼び続ける男へ、私は眠りの魔法をかけた。
 これに慈悲はなく、屋敷から離れた場所とはいえ、彼が騒ぐことで誰かに勘づかれることを恐れたためだ。


 まどろみが、ユウガを支配する。

 涙を流し、歪められた風景が、ゆっくりと暗闇に沈んでいく。
 暗闇の中に懐かしき光景が広がる。
 ユウガは幼い頃に見た、ヤエイの姿に手を伸ばす。

「ヤエイ……ヤエイ…………ヤエイ、お姉ちゃん」

 純粋な幼子の声を心に聞いたヤエイは、一瞬だけ顔を歪めるが、すぐに表情を淡白なものへと変えて、足早に外へ出て行くのであった。


――二時間後・用意された女性用の客間


 私はカリンたちが休んでいる部屋へ、ヤエイに愚痴を交えつつ訪れる。
「さっさとここから離れるべきなのに、風呂に入りたいとはなんだ?」
「当然じゃろ。体液でべっとべとなんじゃぞ!」
「それにしても風呂が長すぎる。一時間以上入っていただろう! その間、見張りをさせられた私の身にもなれ!」
「乙女の風呂は長いものじゃ。それを咎めるとは男として器量があまりにも狭い」
「乙女? はっ、私よりも遥かに年上のくせに」
「おぬし! 言うてはならぬことを言うたな!」


 やいのやいのとやり合う私たちへカリンが話しかける。
「あの~、何してるの?」
「おっと、失礼。ヤエイ、彼女たちが共に旅をしている者たちだ」

 ヤエイはカリン、ツキフネ、リディ、ラフィを一人ずつ深紅の瞳に収めていく。
「子細はアルラから聞いておるが、こうして目にして見てもなかなか興味深い面子じゃな。ワシはヤエイ。鬼族じゃ。こちらの言い方じゃとナディラ族となるな」
「初めましてヤエイさん、わたしはカリンと言います」

 カリンを始めとして皆が簡単な自己紹介を行い、ヤエイが閉じ込められていた状況と現在の状況を簡素に話して、すぐにここから離れなければならないことを伝えた。
「すでに、馬預うまあずかりの男や門番や見張りは寝かせている。貫太郎は門前で物資を積んだ荷車と共にいる。夜深く、眠気に頭が重いだろうが、急ぎ、ここから出よう」

 これにラフィが大きくため息を漏らした。
「はぁ~、久しぶりに屋根の下でと思いましたが、そうはいかないようですね。行きましょう」
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