上 下
190 / 359
第十七章 頂へ続く階段の一歩

理想に狂う

しおりを挟む
 フィコンがサレートの名を呼ぶ――彼の名を口にしたフィコンの声色。
 ほとんど他の言葉と同じく抑揚というものを感じさせないが、私には嫌悪のようなものが混じっているように感じた。
 フィコンは彼について、端的に述べる。


「アグリスでサレートの贋作が出回っているという情報を掴み調査をしておったのだが、一部の絵画は中々の出来栄えで、真贋を見極めにくいという話が出てな。ならば、直接本人に確認させようと思い、アグリスに呼び寄せた」
「直接?」

 私はサレートに視線を振る。彼は……。


「元々ね、クライエン大陸に出回ってた贋作を見つけて、作者がどう~しても気になって追っていたんだよ。そうしたら、出所はビュール大陸らしいと掴み、やってきたんだけど……本当の出所であるアルリナを通り越して、アグリスへ。そこで、フィコン様にね」

「なるほど、そういうことか。しかし、それならばもっと早く接触を図ることもできたのでは?」
「僕としてはそうしたかったんだけど。フィコン様や二十二議会の人たちに、絵や建設のデザインの製作を頼まれ、足止めを喰らっちゃってね。ま、それ以外にもこの半島の方が都合が……」

「ん?」
「あははは、なんでもないよ」
「はぁ」
「さてと、こんなどうでもいい話よりも……エクアさん」
「はい、なんでしょうか?」


 サレートは指先を立ててくるくる回しながら、自身が描いた巨大な絵画に近き、突如絵を殴りつけ、吠える!
「君が言い訳と評したこの絵画! 君ならどう描く!?」

 声に内包されるのは批評に対する怒りではない。批評に対する興味。
 彼はエクアのことを、自分が忘れてしまった感覚の持ち主だと言っていた。
 その少女が、希望に群がり、闇が心を抉る絵をどうき変えるのか興味を抱いている。

 エクアはその意図をすぐに受け止めた。
 そして、彼の隣に立ち、絵を見上げる。

「私なら」
「待ってくれ。言葉だけじゃ形が足りない!」

 彼はジュストコールをばさりと振るう。
 そこから噴き出た風が七色を纏い、虹の中から筆とパレットと絵の具が現れた。
 その様を見て、私は呟く。


「魔法。いや、錬金術か?」
「ふふん、その通り。本職は画家のつもりだけど、理論派の錬金術士でもあるんだ」
「理論派の?」
「もっとも、あなたのようにっ、ドハ研究所への出入りは許されていませんでしたけどね!」


 彼の声に怒気が混じっている。なぜだろうか?
 私はひとまず、言葉を返す。
「エクアだけではなく、私についても詳しいようだな」
「ええ、あなたは偉大なるアステ=ゼ=アーガメイトの子息。あの方の研究は僕の才能を打ちのめした。だけど、理想の世界を見せてもくれた!」


 彼は紫の瞳にどろりとした闇を溶かし込んだ。
 私はその瞳に見覚えがある。
 研究者としての時代、政治家としての時代に私は見た。
 あれは――理想に狂った人間の瞳……。


 彼は理想の闇に嫉妬の炎を纏わす。
「錬金術の頂に立つお方。生命を科学で切り裂き覗き込み、操ることのできるお方。それだけではなく、あらゆる分野において天才であり、剣士としても魔術士としても超一流。政治家としても、の大貴族ジクマ=ワー=ファリンを凌ぐとまで言わしめたお方!」

「本当に随分とお詳しい。特に父について」

「アーガメイト様は僕の憧れだったからね。それが、あんな下らぬ事故で亡くなり、跡を継いだあなたは錬金術の才もなく、剣も魔法も不得手であり、政治家に転向するも二年ほどで王都を追放されるなんて……かなり、失望しました」

「たしかに父と比べれば、私など取るに足らぬ存在であろう。だからといって、初対面の人間にここまでなじられる覚えもないが」


 このようの言葉を返すと、サレートは数度咳払いをして居住まいを正す。
「ごほん。申し訳ありません。少々興奮しすぎて。感情が乗ると自分を止められない性分でして。しかしながら、アルリナでの立ち回り、断片的でありながら聞き及んでおります。そして、今回の化粧品開発。アーガメイトの名に相応しいお方だと再認識しましたよ」

 彼はにこやかな表情で語るが、瞳に宿っている闇は最初のものと何ら変わっていない。
 取り繕った世辞というところだろう。

「まぁ、構わんさ。全て事実だからな。それはそうと、君は理論派の錬金術士と言ったが、いま見せた錬金術はどちらかというと」
「ええ、実践派の錬金術。今は実践派の魔導の錬金に首ったけでして。そして、こちらの方が性に合っているみたいでね」


 この言葉に偽りはない。
 ジュストコールを払った瞬間に物質を産み出した。
 おそらく、フィナのポシェットと同じ原理で彼のコートの内側の空間は広がっており、様々な道具が納められているのだろう
 それができるということは、空間を操ることができるという証明。
 また、凄腕の錬金術士の証明でもある。


「いやはや、見事なものだ」
 そう、世辞を返したが、彼はすでに私から意識を外し、エクアに絵画の道具を手渡して彼女の才を見せるように迫っていた。
 彼にとって私は、完全に興味の対象外のようだ。


 彼は再び、感情を高ぶらせて声を張り上げる。
「さぁ、エクアさん! この絵にっ、君の才能を殴りつけてくれ!」
「えっと、それって、私に描き足せということですか?」
「そうだよっ。君の筆により、僕の絵は更なる高みに昇る! 新たな世界を見れる! さぁ、僕の知らない世界を見せてくれ!!」
しおりを挟む

処理中です...