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第二十八章 救いの風~スカルペルはスカルペルに~

みんなと出会えてよかった

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 私は、納得と覚悟の中に潜む、自分自身の本当の姿を吐露する。


「私は…………死にたくない。自身の正体を受け入れてもらい、真の仲間として、友として受け入れてくれた君たちと離れたくない!」


 心の奥底に隠していた思いが、私の瞳を滲ませる。
 歪んだ視界の先には、フィナとエクアが涙を零し、親父とカインとマフィンが瞳を潤ませ、マスティフは力強く腕を組み自身を押さえつける態度を取っていた。

 全員を濡れる銀眼に映して、さらにこう続ける。
「外ではレイやアイリたちを含め、多くの者たちが世界を守るために戦っている……私は死にたくない! レイやアイリたちを死なせたくなんかない! だがっ、それ以上に! 大切な君たちを失いたくないんだ!!」


 私の心の叫びに、フィナは片手で両目を押さえて、歯を噛み締める。
 エクアは支えていたはずのフィナに抱き着き、肩を小刻みに震えさせる。
 親父はサングラスを取り、目頭を押さえて俯く。
 カインは零れ落ちる涙を白衣で拭い、むくんだ目で私を見つめる。
 マスティフは腕を組んだまま、天井を見上げて、大きく呼吸を行っている。
 マフィンは尻尾でそっと瞳を隠していた。


 私は体ごと顔をフィナヘ向けて、手を差し伸ばす。
「フィナ、モニターを元に戻してくれ。みんなを助けないと」
「…………まだよっ」
「フィナ?」
「まだ、諦めないっ!」


 フィナは抱き着いていたエクアを優しく離して、黒薔薇のナルフを浮かべる。
 そして、モニターに映る、百合さんの設計図と数式を睨みつけた。


「私が完成させてやるっ。そうよ、そうすればハッピーエンド! 魔族もレイもアイリもケントも救えるっ。救える、救える、救えるのにぃぃ、もうぉおぉぉぉ! なんでわかんないのよ! なんで肝心な時に私の脳みそは応えてくれないの! くそくそくそっ!!」

 彼女はモニターを叩きつけるように、激しく指先を打ちつけている。
 しかし、百合さんの描いた数式の意味が理解できず、言葉に痛みが走る。

「もうもうもう、これはどうなってんのよっ? これじゃ、計算が合わないっ! これも違う! でも、絶対、答えがっ!!」
「フィナ」
「待っててっ、すぐに答えを見つけるからっ!」
「フィナ、もういいんだ!」
「だからよくないって! 絶対に絶対に私がっ!」

 フィナは……涙でぼやける画面を睨みつけながら、ひたすらに指先をモニターへ打ちつける。
 しかし、彼女に才あれど、百合さんが千年かけて見つけ出せなかった答えを、今ここで得られるはずがない……。

 私は泣きじゃくりながらも必死に抗おうとするフィナヘ、強く言葉をぶつけた。
「フィナッ!」
「あっ」

 彼女はびくりと体を跳ねて、指先を止めた。
 そして、がくりと頭を落とす。
 私は彼女へ、とても仲間思いで優しい友へ、言葉を贈る。


「フィナ、ありがとう。君は本当に優しい女性だ。仲間たちの中で誰よりも仲間思いで、優しい心を持っている」
「ケント……」

 涙に濡れた顔へ、私は微笑みを向ける。

「ふふ、口が悪いのが玉に瑕だがな」
「……うっさい」
 小さく心に伝わる言葉。
 私は、優しく彼女の名を呼ぶ。

「フィナ」
 
 言葉に応え、フィナは震える指先をモニターに置いた。
 すると、沈黙していた私のモニターに明かりが灯った。


 百合さんのナノマシンを散布する準備が初期化したため、私は改めて作業を行う。その作業の合間、皆に語りかけていく。

「マフィン、私がいなくなった後、しばらくトーワの面倒を見てくれないか?」
「いいニャよ。任せておくニャ」
「そうだ、それと川の件を忘れないでくれよ。マッキンドーの森の川から水を引き、トーワの西から東の海へ横断する川を作りたいからな」

「別れの間際に色気のにゃい話だニャ。商売っ気があるのはにゃかにゃかだがニャ」
「ふふ、あとはキサとスコティの仲人はやれそうにない。すまない」
「残念ニャ。予算度返しの派手な披露宴で楽しませてやろうと思ってたのにニャ」
「あはは、私の分も派手に楽しんでくれ。それではマフィン、今までありがとう」

 
 マスティフに顔を向けて、言葉を渡す。
「マスティフ殿にも同様に、しばらくトーワの面倒を見てほしい」
「もちろんだ。ワントワーフの手勢を連れて、ゴリン殿と協力し、トーワを今以上の立派な城にしてやろう」

「それはありがたいっ。礼に私の執務室にある酒を全て進呈しよう」
「おおおっ、それは嬉しい礼だ。だが、良いのか?」
「元々はムキの屋敷にあったものだからな。腹は痛まん。好きなだけ飲んでくれ」


 カインへ顔を向ける。
「カイン、君には医者としてトーワに残ってもらいたいのだが……」
「もちろんですよ。今では五百人もの患者さんがいるんですから」
「カイン、病気もしてない人たちを患者と言うな……」

「ははは、そうでした。医者としてあるまじき発言でしたね。ですが、皆さんの命は、この医者のカインが預かりますよ」
「ああ、君なら安心して任せられる。頼んだぞ」


 親父へ顔を向けて、ニヤリと笑う。
「親父は~、どうしたい?」
「なんですかそりゃっ? 残ってほしいとかじゃないんですか?」
「すでに親父さんの願いは叶っているだろう。だから、以前のように胡散臭い行商人をやって、旅でもしたいのかと思ったのだが?」

「胡散臭いって、そんな風に思ってたんですねっ。ひっでぇな。ま、俺はカリスの仲間たちのもとで、罪を見つめ受け入れようと思ってます。だから、あいつらを支えたい」
「そうか」
「本音を言えば、自由に後ろ髪を引かれますがね」

「ならば、トーワに里を置き、旅の行商人として歩むのも悪くないのでは?」
「なるほど、そいつぁ、悪くない」
「ふふ、君を縛っていた二十四年の鎖はもうない。本当の自由を得たんだ。これからは好きな道を歩むといい」


 涙を残すエクアへ微笑みを見せる。
「エクア、君は若く、多くの選択肢がある。どれを選ぶも君の自由だが、私としては才能ある君を学校へ通わせたい。フィコン様に頼めばそれも可能だろう。どうだ?」
「グスッ、私は……トーワに残りたいです」
「いいのか、その選択で?」

「トーワにはカイン先生がいますから、医術の勉強はできます。絵の勉強は独学になってしまいますが、アルリナやアグリスから参考になる書物を手に入れて何とかします」
「それは茨の道だぞ?」
「わかっています。でもいいんです」
「わかった、君の選択を尊重しよう」

「ふふ、ありがとうございます。あ、だけど、少しの間だけトーワを留守にするかもしれません」
「留守に?」
「一度、ガデリに戻って、父と母のお墓を建てたいんです。二人とも海で……だから、故郷にお墓を」
「そうだな。それは良いことだ。ご両親も喜ぶだろう。お二人に立派になったエクアを見てもらうといい」

 
 最後に、いまだ嗚咽を漏らし続けるフィナへ言葉を掛ける……その言葉は、彼女から嗚咽を消し去るもの。


「フィナ」
「う、うう、なによ……」
「君にトーワを任せたい」
「……え、ええ、ええええ? な、な、なんで?」

「トーワを任せるということは、この遺跡の管理を預けるということだ。この中でそれが可能なのは君だけしかいない。これは君にしかできないことなんだ」
「で、でも、私に領主の真似事なんて」
「ふふ、エクアから聞いてるぞ。なかなかの書類捌きだったそうじゃないか」

「あ、あれはもうごめんよ。だいたい書類捌きだけが領主の仕事じゃないでしょっ。だから私には、」
「悪いがこれに関して決定事項だ。他のみんなとは違い、君に選択肢はない」
「なんでよっ?」

「言ったろ、遺跡を正しく管理できるのは君だけだからだ。今の君ならば、この知識を正しく扱えるだろう。だから、君に任せたいっ。愚か者が手を出さぬようにっ!」
「愚か者……」


 フィナは誰よりも遺跡の知識を知っている。
 ここに眠る知識の恐ろしさと素晴らしさを。
 バルドゥルやヴァンナスのように他者を傷つけることも世界を壊すことも可能。 
 それとは真逆に、未来のフィナのように誰かを救うために使うことも可能。
 百合さんが手渡した銃のように世界を守ることも可能。

 知識に色はない――だが、使い手の心次第で知識の色は何色にも変わってしまう。


 だから、フィナは!

「そうね、馬鹿をやる連中が出ないように監視しないと。それに、いずれはこの遺跡をどう扱うかも決めないといけない。残すか破壊するか……はぁ~、面倒な役割押し付けられたなぁ~」


 彼女はすっかり涙を乾かし、いつもの様子を見せている。
 それに私は微笑みを見せて、言葉を渡す。

「旅の錬金術士にとって一所ひとところに留まるのは不本意だろうが、私の代わりが務まるのは君しかいない。私のトーワを頼んだ!」
「あ~あ、ま、私しかいないわけだ。わかった、受け取って、私のトーワにしとくわ」
「私のだ! 地下倉庫の天井に穴を開けたような勝手はするなよっ」

「……善処します」

「それは絶対にする気ないだろっ……ふふ、まったく」
「あはははっ、安心して。トーワはともかく、正しく遺跡の力を見極められるように努力を続ける。場合によっては他の錬金術士たちの力も借りるかも」

「トーワはともかくという部分は引っ掛かるが……他の錬金術士たちとは?」
「テイローの名において、実践派の力を借りる。私だけで世界を背負うのは重過ぎる。だから、多くの知恵と意見を聞いて、道を模索しようと思う。その時は、みんなっ」

 フィナは、紫が溶け込む蒼の瞳に、この場にいる仲間たちを取り入れる。
 そして――

「力を貸してね!」


 仲間たちはフィナの無理やり浮かべた笑顔を受け取った。
 私はその光景を目にして、心を穏やかに微笑む。
 
 そこから表情を引き締めて、モニターへ視線を戻す。
 モニターを操る指先は最終段階に入ろうとしていた。

「フィナ。ヴァンナスだが、これを操作後、勇者を失ったあちらは混乱状態になるはずだ」
「そうね……」

「ヴァンナスそのものが消失する可能性もある。それによる犠牲者には申し開きもないが、少なくともビュール大陸・クライル半島に手を出す余裕は無くなる」
「わかってる。クライエン大陸の勢力が態勢を立て直す間に、こっちの防備を備えておけってことね」

「そういうことだ。こちらの最大勢力アグリスだが、フィコン様がいる限り、無茶はしまい。代わりにいろいろ注文を付けてくると思うが何とか躱してくれ」
「それが一番大変なんだけど……領主、面倒」
「なんか言ったか?」
「なんでもないですっ!」
「ふふ、それとだ……」


 私、操作を終えて、フィナとエクア、二人の全てを銀眼に宿した。

「エクアとフィナにこれだけは言っておく。絶対に運命を変えようとはするな!」
「え?」
「それって……」
「この世界で六十年後の君たちを生み出してはならないっ。君たちは今を生きているんだ。亡霊に人生を捧げるな。生きている道を歩むんだ!!」

 私はまっすぐと二人を瞳で射抜いた。
 二人は数瞬のためらいを見せたが、まっすぐとした答えを返してきた。


――エクアは

「わかりました。私は生きている人のために生きます。決して後ろに囚われることはありません」

――フィナは

「わかってるって。そんなことはしない。私の知識は、未来のために役立てる。過ぎ去った時間のために使ったりしないから」


 確かな二人の声を受け取った私は、ゆっくりと、エクア・フィナ・親父・カイン・マスティフ・マフィンの姿を銀の瞳に映していく。
 仲間たちは私の瞳と自分の瞳が重なるたびに、小さく頷きを返してくれる。

 そして――。


「月並みの言葉になるが……みんなと出会えてよかった。さらばだ、友たちよ」


 モニターに映る、ナノマシン散布のスイッチを押した。
 すると、遺跡から大地を貫き、天を突く光の柱が上がっている姿がモニターに映る。
 そこから、優しく頭を撫でるような光の風が溢れ出す。

 その風を頬に感じた途端、私の視界は暗闇に閉ざされて、全ての感覚を失った――。
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