マヨマヨ~迷々の旅人~

雪野湯

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第十三章 心に宿る思い

お遊戯

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「何の用だ、ウード?」
「ふふ。お茶でも、どう?」

 ウードは円卓に腰を掛けて、優雅にお茶を楽しんでいる。
 カップから香り立つは、紅茶の香り……。


「人の頭ん中で好き勝手やりやがって……ウード、以前のお前は真っ黒な影の楽器を手にしていた。でも、今は違う。お前は俺の中で、はっきりと道具類を産み出せるまでになったというわけか?」
「そうね」

 ウードは薄く笑い、紅茶を口に運ぶ。
 彼女は俺の心の中で、一歩一歩着実に自由になりつつある。
 その自由が完全なものとなった時、ウードは……。
 
 彼女はカップを音もなくソーサーに置き、小さく息を落とす。
「でも、これが私の限界。これ以上は無理。ここからは、あなたの意志の籠る許可がないと。許可、貰える?」
「誰がやるかっ……それにしても、紅茶ねぇ。紅茶を嗜む文化圏にいたってことか? ヨーロッパから中央アジアくらいだっけ?」

「さぁ? あなたの引き出しに眠っていた表層領域の情報を参考に組み立てただけかもね」
「くそっ、そういうこともあるのか」
「ふふ、あなたは私の正体を追っているようだけど、そもそもどうして私が地球人だと思っているの? 人間だと思っているの?」
「え? そ、そうか、たしかに……」

 ウード――人であるとは限らない。地球出身とは限らない。存在の可能性は無限にあり、正体なんか追うことなんてできない。
  
(こいつの正体を追えなくても今のところ問題はないけど、向こうが一方的に俺のことを知っているのは不気味だな。でも、どうしようもない!)
 俺は頭を押さえて、手詰まり感に表情を歪める。
 その様子を愉快そうに眺めていたウードが、思いがけない提案を口にする。


「ふふふ。ちょっとしたお遊戯をしましょうか?」
「お遊戯?」
「私が何者か、いくつか小口を……ヒントをあげる」
「いいのか、そんなのことして?」

「元々、正体を知られたところで問題のない話。私はあなたをからかって楽しんでいるだけだから」
 ウードは人差し指をそっと顎に当てて、妖艶に微笑む。

「この~、俺をからかってクイズゲームで遊ぼうってか。嫌な奴だな~、おまえはっ」
「あら、ヒント入らないの?」
「いるよ!」
「ふふ、それじゃあ……」


 ヒント1・私は『地球外生命体』ではない。
 ヒント2・私は『キリスト』を知らない。
 ヒント3・私は『日本』という国を知らない。
 ヒント4・私は『う』を知っている。
 

「今はここまで」

「少なくとも地球の存在なわけか。そして、キリストと日本を知らないと……あれ? なんで、知らない事をヒントに出せるんだよ?」
「開けられる引き出しにそれらの情報があった……かもしれないわね、クスッ」

「ほんっと、ムカつく奴。あと、最後のヒントの『う』を知っているってなんだよ?」
「それを教えてしまったら、謎かけにならないでしょう。フフフ」

 ウードは人を小馬鹿にしながらも、心の熱上がる艶めかしい笑みを見せる。
 俺は彼女から視線を外し、とりあえず『キリスト』と『日本』を知らないという部分に注目した。


――『キリスト』を知らない。
 ここから推測される事柄は大きく三つ。
 ウードはキリスト誕生以前の存在。もしくはキリストの名が届かない地にいた。
 あるいはその両方。

――続いて、『日本』を知らない。
 前記と内容は被るが、日本の名前が届かない地域に住んでいた。
 例えば、古代の欧州やアフリカといったところであれば、日本の名前を知らないはず。
 
 または、日本という国号が成立する前の存在。


 これらに必要となる情報を探し、引き出しをまさぐる。
 どうやら、日本の国号に関しては二説あるらしい。
 
 一つは689年の飛鳥浄御原令あすかきよみはらりょう
 この令は681年に天武てんむ天皇の命令により編纂へんさんが開始。689年に持統じとう天皇により施行された。
 これをもって、法令上での日本という国号が公式に設定された説。
 
 もう一つは大宝元年(701年)施行の大宝律令たいほうりつりょう
 飛鳥浄御原令あすかきよみはらりょうは未完成であったため、その後も編纂が続き完成されたのが大宝律令。
 これをもって、国号が公式に設定された説。
 
 しかし、中国「隋書」(607年)には『日出づる国の天子』という記述がある。
 このことより、公式ではなくとも七世紀前半には日本という名は周辺国にも知られていた可能性。
 

 以上をまとめると。
 ウードがキリスト誕生以前の存在であれば、日本を知らなくて当然。
 誕生後であれば、キリスト教圏外かつ七世紀以前の日本を含むどこかに住んでいた。
 
 
(ふむぅ~、地域は広域で特定は不可能だな。でも、年代については僅かに触れることはできる。つまり、これらのヒントはウードの生まれた時代のヒント? だとしたら、第四のヒント)


――『う』を知っている。
 これも年代の手掛かりだろうか?
 たった一文字の情報……暗号の類か? 
 仮定として、五十音あ行――あ、い、う、え、お。
 そこから『う』を知っている。
 となると、あ、い、え、お……この四文字は知らない?

 意味不明、暗号ではない?
 そもそも論として、これらのヒントはウードが嘘をついていないことが大前提。
 
 いや、本当であっても結局のところ、人類が誕生して数百万年の時に生まれた数千億の人類の一人を特定するなんて不可能。それ以前に人かどうかも定かじゃない。
 そう、正体を追う行為そのものが無駄……。

 
 しかし、その考えを見透かすように、ウードはさらにヒントを重ねてきた。

「フフ、おまけのヒント。私の『本当の名前』は世界に広く知られている。日本にも訪れている」

「本当の名って、やっぱり偽名かよ、ったく。で、広く知られている? まさか、歴史的な人物ってことか? いや、待て、その前に!? 日本にも訪れているってなんだよっ? お前は日本を知らないんだろっ!」

「そうねぇ、不思議ねぇ」
「お前、俺をからかって遊んでいるだけだろ!」
「まぁ、そうだけど」
「おいっ」

「う~ん、おまけのヒントはちょっと意地悪だったかしら? そうねぇ……おまけは、ちょっとした言葉遊び」
「言葉遊び? どういう意味だよっ?」

 俺は眉間に皺を寄せつつ、問いかけせっつく。
 だが、彼女はあくまでも主導権はこちらにあると言わんばかりに、ゆったりと紅茶を口に運ぶ。
 そして、カップをソーサーに戻し、僅かに口元を緩めつつ、瀟洒しょうしゃな言葉を紡ぐ。


「ここまでのヒントでは私の正体は特定できない。だけど、それとなくわかるはず」
「え?」
「いえ、わかるというよりも、想像できる人物。あるいは、そうだと感じていたものが、より一歩確信に近づく情報」
「ん、んん?」

「あなたが自分に感じたこと。私に感じたこと。それらとヒントを組み合わせれば、もう何となく予想がつくはず。あなたが自分に興味があればね……」
「俺に興味?」

「以前も話したけど、あなたは本当に自分に無頓着。私のことはあなたが子ども……これ以上は無粋ね」
「子どもの俺? 昔、会ったことあるとか?」

「いえ、まったく。ふぅ、ここまで鈍いと腹立たしくなってくる」
「なら、普通に正体明かせよ!」
「つまらないから、嫌」
「て、てめぇっ」

「フフフ。まぁ、これはただのお遊戯。退屈しのぎ。そんなに気にするような話じゃない。ヒントはまた後で追加してあげる。最後まで分からなくても、私が何者なのかは必ず打ち明けるから」


 ウードは席から立ち上がり、ふっと小さく息を円卓に吹きかけた。
 すると、円卓や紅茶は砂粒のようにサラサラと崩れ、闇へ吸い込まれていった。
 彼女は蠱惑の瞳を見せて、艶っぽく舌を出し唇に潤いを与える。

「さて、お遊戯はここまでにして、本題に入りましょう」
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