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25.5 番外編(アトラス視点)

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 またやってしまった。

 アトラスは、ハルトヴィーツをベッドにそっと寝かすと頭を抱えた。


 誰よりも何よりも、唯一無二の愛する存在であるハルトヴィーツを乱暴に組み敷いてしまうなんてどうかしている。


 本当なら、優しく大事に甘やかすように触れたいのに。


 気持ちを伝えるつもりなどなかったし、触れていい相手ではもちろんなかったので、今こうして気持ちを受け入れてもらえて、触れ合って、愛し合うことなど奇跡のようなことなのに、一度触れ合ってしまうと欲が深くなってしまった。


 触れると自分を抑えることができなくて、もっともっと触れたいと思ってしまう。
触れて、愛して、愛されて、深く繋がりたいと思ってしまう。
優しくしたいのに、泣き顔もすがる顔も自分しか知らないのだと思うと止められない。
誰にも触れさせたくない、見せたくない、自分だけのものにしてしまいたい。


 こんな乱暴で凶暴な気持ちが自分にあったとは知らなかった。
想っていて苦しいことは以前にもあった。
でも、自分はただの従者で、付き従って護るだけの存在だった。だから、心に蓋もできた。
ただ、側に居れて、必要だと言ってくれるだけで幸せだった。でも、今はそれだけでは足りなくなってしまった。
ああ、なんて欲深くてわがままなんだろう。


 ベッドですやすやと眠るハルトヴィーツの前髪を指で触れると、くすぐったかったのか身をよじると寝返りをうった。
可愛いな、と思わず顔が緩む。


 このままずっと二人だけの時間が過ごせたらいいのに。
そうしたら、誰にも触れさせなくても済むし、誰かに見られることすらない。本当の意味で自分だけのハルトヴィーツになる。


 でも、それはこの人が望まない。たとえ愛してくれていたとしても、俺にとっては唯一無二だとしても、この人は俺だけがすべてではない。


 ハルトヴィーツの心を占めているのは、俺のことだけではない。
国のこと、民のこと、そしてエミリオのこと。
王族として、兄弟として、大切にしているものだとはわかっているし、それも含めて愛しいと思っている。
でも、俺のことだけを考えていてくれたらいいのに。と、そんなことを考えてしまう自分もいる。


 『筆おろしさせてください』


 エミリオの言葉を思い出し、苦虫を潰したように顔をしかめた。
エミリオでない人物が言っていたら、潰していた。手出しなどさせないから問題もなかった。ただ、今は大問題だ。相手はあのエミリオだ。


 エミリオは、ハルトヴィーツにとって溺愛している弟で現王だ。もちろん王だとしても、ハルトヴィーツが大切に思っている相手でなければ、エミリオでなければ屈することもなかっただろう。
かなり相手が悪い。言葉だけで煽られてしまうほどに、正直焦っている。
と、いうかあのエミリオが言葉だけで終わらせるはずがない。


 一見、無害な兄に甘える小さな弟だが、エミリオはそんなものじゃない。本性を誰もきっと気づかないだろうが、あの人は獅子だ。絶対的な王者だ。
大人になったとき、誰もが屈服して膝を折ることになるだろう。
今は幼いか弱い小さな王さまを演じているにすぎない。誰が味方で誰が敵か、見極めているのだ。もちろん、ハルトヴィーツに遠慮なく甘えることができるというのが一番だろうが。


 アトラスは何故本性を知ったかというと、実はいうと2年前にエミリオの洗礼を受けていた。


 『ねえ、アトラス。兄さまのところを離れてぼくのところにおいでよ』


 2年前のある日、突然呼び出されて二人で話したいと言われ、いきなりそう言われた。  


 『ありがたいお話なのですが、俺はハルトヴィーツ殿下の剣でありたいのです。あの方に生涯を捧げるつもりでいるのです』


 『でも次の王さまはぼくだよ?兄さまは王子のままで、この先どうなるかわからないんだよ?』


 『この先がどこに向かおうが、俺はどこまでも共にあろうと思っています』


 真っ直ぐと見て言うと、エミリオはふーん、と面白そうに笑った。


 『なんだ。ただの悪い虫かと思ったけどいい目してるね。潰すのがもったいなくなった』


 エミリオは幼い見た目に合わない表情で、足を組んだ。


 『ねえ、お前さー兄さまのこと好きでしょ。ああ、建前はいいから。忠誠心とかじゃなくてさ、恋心っていうのかな?愛してるんだよね?』


 軽い言葉だったが、嘘は言えないと思った。


 『はい、お慕いしています』


 『だよね。そうだと思った。それなのに兄さまのお気に入りみたいだったから嫌だったんだよね。だから、早いうちに潰そうと思ってたんだけど…』


 気が変わった。と、ニコッと笑った。
笑っているのに、恐ろしいと何故か感じて思わず息をのんだ。


 『あのね、ぼくも兄さまのこと愛してるんだ。ああ、兄弟だからってことじゃなくてお前と一緒の意味でね。でも、ぼくは弟だし、王さまにならないといけないから添い遂げることはできないんだよねー本当は嫌だけど、弟だから特別って愛してくれてるから仕方ないよね。甘えたいのも本当だから今は弟で満足してるけど』


 エミリオはため息をつきながら、頬杖をついた。


 『ぼくは兄さまを幸せにしたい。だから、お前が想っていることも許してあげる。一生兄さまに尽くして、兄さまの幸せのために生きるというなら側にいることも許してあげる。ぼくたちは同志だ。兄さまのために生きるという意味では共同体だ。ただし、お前の剣が折れて、兄さまを裏切るようなことがあればぼくは躊躇うことないお前を殺すよ。わかった?』


 お前を殺す、その言葉で今まさに見えない剣が喉元に突きつけられているように感じた。


 それでも、そんなことは関係ない。答えはずっと決まっていることだったから。


 『もとよりあの方のために生きるということは本望です。命尽きるまで、それは変わらない。あの方が俺のすべてですから』


 『今の言葉、忘れないでね』


 エミリオのあの時の表情は今でも鮮明に覚えている。
普段はハルトヴィーツに甘えている無邪気な姿だが、あの時のことは忘れることなどできないだろう。






 エミリオは、ハルトヴィーツを愛している。
だからこそ、あの約束はだめだ。いつか必ずハルトヴィーツの体に性的な意味で触れることになるだろう。


 許したくない、触れさせたくない。
そんな日がくれば…と、考えるだけで気が狂いそうだ。


 あれはエミリオの嫉妬からきたものだろう。
愛する人に恋人ができたと言われれば冷静でいられるはずもない。
だからといって、許せるはずもない。
でも、約束をしてしまったのはハルトヴィーツだ。
自分が口を出せることではない。
わかっているけど、わかりたくない。


 「なんであんな約束したんですか…俺以外に触れさせないでください」


 ハルトヴィーツの頬に触れながら、アトラスは溢れてくる涙を止めることができなかった。


 ハルトヴィーツは変わらず、すやすやと穏やかな表情で眠っている。


 アトラスは、約束の日が来ないように…ただそう願うしかなかったのだった。
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