うたた寝日和

佐野川ゆず

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小坂涼

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仁菜子はしばらく僕の隣で泣いていた。何度も何度も「どうすればいいかな?涼ちゃん……」と繰り返しながら。そんな事、僕が一番知りたい。どうすれば仁菜子が兄の事を好きじゃなくなるのかって……。僕が仁菜子の一番になれるの?って……。でも、そんな事言える筈なんてなくて、ただ何も言わずに隣に居る事しか出来なかった。

 僕も仁菜子も小さな世界の中に生きていて、お互いに依存している。生まれた時から隣に居るのが当たり前で、僕たちは外の世界の事を知らない。もう高校生になるというのに、未だ僕たちの中心はお互いの事で回っている。そんな関係なんてそろそろやめにしなければいけないんだ。でも、それをやめるという事は仁菜子の傍を離れるという事で……、それはやっぱり出来なくて、だから仁菜子にも兄の事を諦めなよなんて事簡単になんて言えない。

 本当に僕達は不毛な想いをお互いに抱えている。そんな連鎖から抜け出しているのは兄の圭だけだ。いや、兄が普通なんだ。

 少しだけ泣きやんで来た仁菜子の頭をもう一度優しく撫でると、僕は
星空を見上げた。いつもと変わらない光。その星の光はきっと僕達が生きている今には星として存在していないものもある。でも、僕たちが居なくなった後もその場にあり続けて優しくこの地球を照らし続けるものもある。その光を見る事でこうして僕は支えられている気がする。
 でも、僕はどうだろうか?少しでも仁菜子の支えになっているのだろうか?僕がこうして星空を見上げて気持ちが落ち着くように、彼女にも同じようなものがあるのだろうか?それはきっと兄の圭の存在なのだろう。

 くやしい。自分の兄で、そして兄の事を大好きな筈だというのにその事を考えるととても悔しくて負けている気がした。

 と、その時だった。児童公園へと近づく足音が聞こえたかと思うと、暗がりの中から一人の人影が見えた。そしてその影は僕たちの方へと近づいて来る。

「やっぱりここだったな。涼、仁菜子」
「兄ちゃん」

 その声を聞いて仁菜子の肩がびくりと大きく揺れた。そして身体が強ばった事が隣に座っている僕にもわかった。仁菜子は下げた顔を上げようとしない。でも、兄はそんな仁菜子に近づいて行くと、目の前に座り込んだ。そして彼女の顔を下から見上げる。

「みないで」

 兄が顔を近づけた瞬間に仁菜子は違う方向へと顔を逸らした。そりゃそうだろう。仁菜子は泣きはらした顔をしている。そんなの見なくてもわかる。そんな顔を好きな人になんてとてもじゃないけれど、見られたくないだろう。

「仁菜子。ごめんな」
「……」
「別に仁菜子に隠してたワケじゃないんだよ」
「……」

 兄が優しく仁菜子に語りかけるけれども、彼女は口を開こうとしない。暫くその場が静寂の空間に包まれる。公園の外の道路には時折車が通って行き、車のヘッドライトとエンジン音が公園内に不思議な影と音を作っていた。その時だった。仁菜子が小さく呟く。

「わかってるよ。誰も悪くない事なんて……」
「仁菜子……」
「でも、私はずっと圭ちゃんの事が好きだった。誰よりも好きだった。できる事ならお嫁さんになりたかった」
「うん」

 兄は仁菜子の顔をしっかりと見ながら真剣に話しを聞いている。何だ、兄も仁菜子の事、好きなんじゃないか。ふとそう思う。今までそんな事表情に出して来た事なんてなかったけれど、きっと兄も仁菜子の事を特別な女の子として見ていたのでは無いのだろうか?瀬野川先生が兄の前に現れるまでは……。
 僕はぼーっとそんな事を考えながら仁菜子と兄の会話を聞いていた。

「でもね、それは出来ないって知ってた。圭ちゃんは大人で、私は子供で、私の事を女の子って見てくれていないって知っていたから」

 そこまで仁菜子が言うと、兄はいきなり仁菜子の身体をぎゅっと抱きしめた。小さな彼女の身体は大きな兄によってすっぽりと隠れてしまった。突然の事にびっくりしたのと、正直瀬野川先生が居るのに、何してんだよ!なんて思う。

「あ、圭ちゃん?」
「仁菜子、聞いて」
「うん」
「俺、仁菜子の事、好きだったよ。ずっと。仁菜子の笑う顔が大好きだった。そして涼の笑う顔も大好きだった。二人セットでとても大切で凄く好きだった」
「うんうん」

 どうやら仁菜子は兄の言葉を聞きながら涙が溢れて来たようで、時折鼻をすする音が聞こえた。

 ああ、そっか。先ほど感じた気持ち。兄はやっぱり仁菜子の事が大切で好きだった。けれども、その感情はきっと家族愛みたいなものなんだろう。僕が仁菜子に抱いている想いとは根本的なものが違う。

 やっぱり、仁菜子はどうやっても兄の恋人にはなれない。
 それはとても可愛そうだけれど……。
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