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第1章 転生からの逃亡

第16話 危急存亡

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 モフモフと無言で見つめ合うこと数分、モフモフは俺を解放するどころか、抱きしめるかのように自分の体に近づけた。

 何でぇー……。

「おっ、そこまで仲良くなったのか」

「師匠ーーーっ! お帰りをお待ちしておりましたっ!」

 おい、放せっ!
 出迎えに行けないではないかっ!

「うむ。体はもう大丈夫か?」

 続きをやるのかな?

「はい。大丈夫です」

「そうか。では、風呂に入れ」

「――えっ? 風呂ですか?」

「うむ。言いたくはないが……臭うぞ。女性の前でそれは駄目だ」

 そういえばエルモアールに来てから三週間くらいになるけど、一度も行水をしてない。
 無駄遣いできるほどの水がないからね。
 ちなみに、七日で一週間。それが五週で一ヶ月。十二回繰り返せば一年だ。
 前世よりも一年が長い。
 天文学とか季節とか一切関係なく、学がない下民でも分かるようにと頭のいい人が考えたそうだ。

 まぁ今はそんなことより……。

「女性?」

「うむ。言わなくても分かると思うが、ここには貴殿以外女性しかいない」

 どうしよう……。分かっていなかった。

「まさかとは思うが……性別を間違えていたということはなかろうな?」

 雲上人と雲上獣の据わった視線が怖すぎる。
 こういうときほどサクッと気絶したいのに、何故か気絶できない。

 役立たずっ!

「そんなことありえませんっ! 美しくて直視できないほどですっ! 男にはないものですっ!」

「うむ。そうだろ、そうだろ」

「グルグルッ」

「では、お風呂へ行かせていただきます」

「うむ。おい、放してやれ」

「グル……」

 不承不承の態で放してくれ、無事お風呂に迎えた。
 しかし、二人とも何故かついてくる。

「あのどうしてついてくるのでしょうか?」

「どうしてって、風呂の場所を教えるためだ」

「なるほど。ありがとうございます」

「うむ、良い」

「では、そちらのモフモフは?」

「コイツは従魔みたいなものだ」

「従魔……」

 つまりは、先輩だ。
 ご主人様に仕える犬の先輩だった。
 見た目は獅子型だから猫かもしれないけど、忠臣という意味なら犬の方が適しているだろう。
 もしかしたらご主人様は猫派なのかも。
 俺もモフモフの従魔が欲しいと思ってたから、ご主人様に倣って猫型の従魔にしようかな。

「ここだ」

「…………大きいですね」

「普段はコイツと一緒に入っているからな」

「なるほど……」

 風呂と言われて案内された場所は、お湯が湧く湖だった。
 衝撃的すぎて大きい以外の感想が思い浮かばない。

「グルルッ」

 先輩が喜びの声らしきうなり声を上げ、湖に突入していく。水しぶきと波が襲いかかるも、ご主人様の後にいたおかげで、一滴の水も被ることがなかった。
 ご主人様、感謝します。

 プチ災害の発生源である先輩はというと、巨大な魚と戯れていた。
 先輩に体当たりをぶちかます巨大魚を右前足ではたき落とし、動きが止まった一瞬を突いてかぶりつく。
 その強靭なアゴで巨大魚の首を折って締め、首を振って岸近くに放る。そしてまたプチ災害が起きた。

 ……嫌だ。
 こんなお風呂……お風呂じゃない。

「どうした? 入らないのか?」

 いつの間にか全裸になっているご主人様。
 普段はサラシで潰しているのか、ただの着痩せか分からないが、その豊満な果実は目に毒だ。
 白磁のように白く艶やかな肌に、薄い桃色の花が……。

 南無妙法蓮華経……南無妙法蓮華経……。
 精神を乱すでない。
 仕事をしろっ! 【精神耐性】よっ!

 というか、少しは恥じらいを持って欲しい。

「こ、ここはお風呂ではありませんっ」

「ん? 何故だ?」

「巨大な魚が現れる風呂があると思いますか?」

「ここにある」

「ここ以外でっ!」

「ある。同僚の風呂を真似したからな」

 元凶はその同僚かよっ!
 余計なことをっ!

「前は毒耐性を取得できたり暑熱耐性を取得できたりしたのだが、そいつが風呂にそんな効果はいらないと言うものだから、少し変えてみた」

 同僚様っ!
 ナイスですっ!
 感謝感激雨霰でございますっ!

「そ、そうなんですね……」

 結局入るしかないのか……。
 端の方でひっそりと気配を消していよう。
 何かあっても岸に上がればいい。
 遠浅でよかった。
 まだ座れるからな。

「風呂から出たら手紙と地図を渡すからな」

 ぷかぷかと浮かぶ果実を俺の魔眼が追う。
 最近無意識に使えるように訓練していたから、その弊害が出てしまった。

「あれ? ということはもう卒業ですか?」

 追うなっ! 俺の魔眼っ!

「残念ながらな」

 おい、持ち上げるなっ!
 見ちゃうだろっ!

「も、もしかして……大海嘯が……?」

 思わずどもってしまった。

「いや、アレはまだ先だ。ただ、貴殿の捜索が始まったらしい」

「――えぇっ!? 何でっ!?」

 身の危険が迫っていると聞いて初めて魔眼を止めることができるとは……。
 ご主人様の魅力は素晴らしい。
 これでも【魅了耐性:5】だぞ?
 もっと精進せねば。

 さて、これだけ時間が経てば死んだと思っていても不思議じゃないのに、まさか捜索しているとは思わなかった。
 さっき師匠がいなかったのも、様子を見に行ってくれたからか?

 感謝に堪えないです。
 この駄犬、一生ついていきます。

「貴殿らには称号があるだろ。誰かがそれを王国の人間に話したのではないか?」

「あっ! 異世界人の称号……」

 死亡通知と死因記録の閲覧が可能という称号があった。
 女神様が付けた称号に間違いはないと、キチ○イ王女は盲信するだろう。……最悪だ。
 誰だ、言った馬鹿は。殴るぞ。

「死亡偽装ができないということは……どこまでも追ってきそうだ……」

「姿を偽るだけならできるだろ。錬金術で作った薬の一つに毛髪の脱色剤がある。単品で使うと、青みがかった白髪になるという欠点があり、すぐにバレる。だから別の染色料を使い、一部染めることを勧める。お勧めは赤だ。混ざって紫になるぞ」

 紫……。
 ご主人様も先輩も紫系の色だ。
 駄犬も後に続きます。

「あとは仮面でも付けろ」

「仮面ですか?」

「魔眼があるからな。見た目普人族で魔眼など使ったら、魔獣の変身か上位人族の二択しかない。どちらも希少な存在だ。魔眼の発光を隠すためにも、目元だけでも仮面をつけておけ」

 ベネチアンマスクみたいなやつでいいのか。
 できれば魔導具というものがいいな。

「霊峰の向こう側にある境界都市は、ギルドが管理しているらしい。そこなら魔法薬も多いし、変わった土産品も多いだろう。価格もこの国とは違って買いやすいかもしれない。とりあえずは、頑張って山越えしろ」

「あのー……お金は?」

 ご主人様に金の無心をする駄犬。
 情けなく、そして恥ずかしい。

「山で稼げ。麓で売ればいい」

「……頑張ります」

 ご主人様はスパルタだった。
 駄犬を駄犬のままにはしないらしい。

「それと【スキル封印】だが、どうだった?」

「怖かったです……」

「まぁそうだろうな。だから、スキルに頼らなくても魔法をコントロールできるようになれ。そうすれば魔法を取り上げられることはない」

「え? できるんですか?」

「当たり前だ。スキルは習得したから表示されるもので、表示されたから使えるようになったのではない。神様が人間にどのような技術を身につけているか、分かりやすく教えてやっているだけだ」

「そ、そうだったのですね。じゃあ魔力を動かせるようになれば、すぐに死ぬような状況にならずに済む……?」

「動かせるからスキルとして表示されていると言ったろ? あとは自分次第だ。意識しないで魔力をコントロールすることに慣れろ。魔法スキルもな」

「はい!」

「あと、大迷宮の中に【スキル封印】を攻略しないと踏破できない迷宮もあるし、犯罪者を捕縛する道具の中でも迷宮産の物は、スキルや魔力を封印できるから気をつけろ」

「犯罪者にならないから大丈夫です」

 自信満々に告げるも、ご主人様の美顔は呆れ果てていた。

「どうしました?」

「やはり貴殿は可哀想なくらい阿呆の子なんだな……」

「そんなっ! どうしてですかっ!?」

「法を作って施行するのは誰だ? それぞれの国や組織の権力者だろ? 権力者にとって都合が悪い存在は全て犯罪者だ。貴殿が清廉潔白な人生を送っていても意味はない」

「そう言われれば……そうですが……」

「だから、全部ひっくり返せるほど強くなれ。権力では命は守れない。権力を使って武力を集められるから命を守れるのだ。それを覆せるほど強くなれば、好きな人生を選べる。――弟子よ、励めよ」

「――はいっ。頑張ります」

 そして異世界初の入浴を終えた後、お別れ会をした。
 先輩が獲った巨大魚は脂がのっていて身がとろけ、それでいて後味がくどくない。塩で焼いただけなのに、超一流料理人が作った料理に感じるのは、スライム生活のせいだろうか。
 違うと思いたい。
 お腹がはち切れるほど食べた後は、デザートに水スライムを食した。
 大変豪華な晩餐でした。

 その夜、横になった先輩のお腹の上にご主人様と一緒に寝た。
 通常のご主人様の寝方らしく、久しぶりにお腹の上で寝てくれることを知った先輩は大いに喜んだ。
 俺も喜んだ。
 転生してから今日までで一番快適に眠れそうだったから。
 そして寝心地はというと、大変素晴らしいものだったと言っておく。

「おやすみなさいませ」

「うむ」

「グガーー……」




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